菊の匂い

 
 風が吹いて、向かいの森から赤や黄色の葉っぱがはらはら落ちてくる。
 風に押されて、アスファルトの坂道をカサカサ音をたててのぼっていく。

   庭は南天や万両の実が赤く色づいて、すでに鳥に食われていたりするのもある。
 白い小菊が花盛りで、去年の3倍くらいは咲いている。手入れもしないから、てんで勝手に咲いているだけだが、庭は菊の匂いがしている。

 花を活けようか、と思ってはみたのだ。でも、玄関は日当たりが悪くて暗いし、床の間は物置と化しているし、台所のテーブルもすきまはないし、子どもの手の届くところはだめだし、子どもの行かない2階だと、誰も見ないし、絶対に水をかえ忘れて腐らせる。
 花を飾るような暮らしをしていないことを、あらためて思った。

   子どもの頃、母は玄関の靴箱の上に花を活けていた。剣山に適当に挿しただけだが、いつも花があった。花は、行商の花売りのおばさんから買っていた。たぶん、花を活けるために、花を買っていたのではなくて、行商のおばさんから花を買うために、花を活けていたのだ。この季節はいつも、菊の匂いがしていた。
 いろんな行商のおばさんたちが立ち寄っていく家だった。よく来ていたのは花売り、魚売り、海産物売りのおばさんたち。母は、買うときも買わないときも、立ち寄ったおばさんたちにお茶をだしていた。おばさんたちも、母を相手におしゃべりしながら、休憩して、それからまた行商に行く、というふうだった。

 行商のおばさんたちが、花や海産物と一緒に運んでくる話は、子どもの私に、おそろしく聞こえた。 私の知らない、でも母は知っているらしい、あちこちの土地の、あちこちの家の、物語。人が死んだり、病気になったり、生き別れたり、つまり生老病死なのだが、幸福な話より不幸な話が多かった気がするのは、たいてい女たちの話は、「かわいそうになあ」と、嘆息しあって終わるからだった。
 「かわいらしやなあ」というおばさんもいた。それも、痛ましい、というような意味だった。