のような

土曜日、街に降りたので久しぶりに訊ねて言ったら、「4か月ぶりだ」と言われた。おじさん、日記書いているのだ、それをめくって、チェックする。私たちの訪問は、赤で記入されているのですぐわかる。
子どもの頃からずっと、隣人だった人たち。娘たちふたりが広島に出てきたので、出てきたのだ。その娘たちは、隣のかずみちゃんが、広島に出て行ったので、自分たちも行く、と出てきたわけだから、私の進学は、まったく思いがけず、他人の人生を左右することになってしまった。
おじさん、先週まで入院していたらしい。頭に水が溜まるのを抜いてもらったらしいが、あんまり調子よくない。おばさん、癌を抱えながらもまあまあ元気。
ふたりとも80歳を過ぎてしまった。ときどき、私の父にも電話してくれるらしく、元気だったわよ、と知らせてくれる。
ありがたいことです。娘の私は、さっぱり電話しないのに。
小学生になった子ども、「おおきなかぶ」を暗唱して、たったそれだけで、この子は東大行くぞ、とほめてもらっている。
帰り際、「あんたらが来ると寿命が3日のびる」とパパに言ってくれたらしい。3年のばしてください、とパパは返事したらしい。
寿命が縮むと言われるんでなくてよかったよ。

子どもの頃の田舎の、あれこれのことを思い出す。
こないだ「崖っぷちのエリー」見ていたら、酔っぱらいがどぶに落ちて死んでいた場面にくらくらした。
昔、うちの前のどぶに、知り合いのおじさんが酔っぱらって落ちて死んでいたことがあった。朝になって発見された。酔っぱらうと、ほんの30センチほどのどぶにわざわざ落ちて、ほとんど水もないのに、水死したり、できてしまうのだ。

どっかの息子が包丁ふりまわして、警察が来たとか、新聞にも載って、もうここで生きていけんと、お婆ちゃんが泣いたとか、でもほかに、どこにも行けませんがね。また別の息子は、バイクで暴走しているとか、私の母も、近所のおばさんたちも、子どもたちのことでは、みんなとんでもなく悩んだろうが、そういった景色も、とおいとおい夢のようだ。
泣いてくれる母親なんてもういない。

昔、学生のころかな、家族のことをきかれて、兄も弟も行方不明だと言ったら、誰も探しに行かんのんね、と驚いたふうに言われたことがあったけど、ふーん、探しに行くものなのか、と私はそっちが不思議だった。
毎晩ヤクザがくるとか、家の金をもちだしされるとか、そういうことのおそろしさを知らないから、そんなことが言える、とも思った。誰が探しにいきたいものか。

母が生きていたら、もしかしたら探したかもしれない。でも私は姉だったり妹だったりするが、母ではないので、心配してやったりはしないのだ。

家族、というのは、いまでもきつい。どうかすると、ずっと忘れていたいほど、行方不明ならいっそ行方不明のままでいてくれ、と思いたくなるほど、きつい。
たまさか、こういうおじさんおばさんいてくれて、何から何までわかっていて、家族でないけれど、家族のような、人たちがいてくれて、気にかけてくれるから、ときどき思い出す勇気ももてる、と思う。

のような。この距離感がいいのだ。たぶん、お互いにとって。