いない世界

☆ いない世界

あのころがよかったわって言っていたあの頃も泣きながら生きていた

車椅子も杖ももたずに病院を出たらしい 翼が生えたのだ

その家に死者を尋ねてゆく午後の川がひときわ青くあかるい

死者の家に死者がいなくて立ちつくす路に銀木犀の花ふる

病院を出て行った死者はどこだろう「ここよ」って声は聞こえるのに

親不孝でごめんと娘が泣いている親不孝にしかなれない星で

会いたいか会いたくないか斎場に老いた故郷の面影が来る

ほんとうはあの人を苦手だったのよって打ち明けてくる 懺悔みたいに

がらんとした骨のながめだ空襲のあの焼け野原にもどったように

焼け跡をさまよった少女はいなくなり いない世界がゆっくり暮れる

(未来4月号)

「おひたし」を「おしたし」と言った隣のおばさん、子どもの頃の私の暮らしのなかに、標準語と「ひ」と「し」の混乱をもちこんだおばさんは横浜で生まれた人だった。横浜の空襲の写真を、たまたまこないだテレビで見て、ああこのなかに、おばさんはいたのかと思ったんだけど。
まだ若かったおばさんが、再婚して宇和島に行くとなったとき、親は「そんな地の果てに行くのか」と言ったそうだけど、昔は橋もないし、松山から向こうは、山道越えていくか、汽車も海沿いをずっと迂回して走るようだったのだから、たしかに海の向こう、地の果てだあね。
去年の秋に、おばさんが、広島で死んだことに、たぶん私はすこし、関係がある。「宇和島にいたころがよかったわ。あんたのお母さんがまだ生きていて」って声が耳にある。
子どものころの、私の悪事を記憶する人が、またひとりいなくなったわけなんだけど、いなくなった気もあんまりしないんだけど、

あのころがよかったわって、おばさんが言っていたあのころに、私は子どもで、春はれんげ畑や裏山や近くの沼で、花を摘んで草を齧って、ひなたぼっこして過ごした。どこかに秘密基地をつくること、そればっかりを考えていたりしたんだけれど、
永遠みたいにながい気がした、あの春の午後の光に暖められて、自分は育った、という感じはする。父や叔父たちもそうだったろうと思う。そこのところの共感がなかったら、私はたぶん、故郷のひとたちとどうつきあっていいかわからないだろう。

 永き日のにはとり柵を越えにけり  
 ふるさとや石垣齒朶に春の月     芝不器男


毎年、春になると、書いてる気がするけど、不器男の句。「そんな地の果て」への信頼の根っこに、この句があるなあと思う。
おばさんが死んだ一か月後にやっぱり広島で死んだおじさんは、宇和島に、帰りたかったろうな、と思う。親族たちには会いたくなかったかもしれないが。
帰りたかったろうな。