野を越えて


 習字道具の出し入れが嫌いで、習字のある日もわざと道具を忘れて学校に行くような子どもだったのに、書道教室に行かされることになった。近くに越してきた母の知人が教室を開いたからである。小学校から中学にかけての何年間か通ったろうか。習字は結局、面白いと思うこともないまま、やめたのだが、その教室で、先生から、娘さんのおさがりだという本をもらった。
 『二十歳の原点序章』(高野悦子)。自殺した大学生の日記。田舎で、大学も大学生も見たこともなく、いつか自分が大学に行くだろうなどとは夢にも思わずにいた12歳に、大学紛争の話などわけがわからなかったが、それでも読んで、引用されていたヘッセの詩はおぼえた。

         野を越えて

    空を越えて雲は行き、
   野を越えて風はよぎる。
   野を越えてさすらうのは、
   私の母の迷える子。
     『ヘッセ詩集』高橋健二

 その後『二十歳の原点』も読んで、高野悦子の頃とはすっかり様相の違う大学に進学したが、大学紛争などなくとも、それはそれなりに残酷な時代だった。