『私の一世紀』

 ドイツのノーベル文学賞作家ギュンター・グラス氏(78)が、第2次世界大戦中の少年時代に、ナチス武装親衛隊に所属していたことを告白したというニュースがすこし前にあったが、その後、グラスがそのことを告白している自伝「たまねぎの皮をむきながら」(仮訳)の注文が殺到しているそうだ。注文は2倍以上になり、出版元は発売を前倒しししたとか。
 
 はじめて映画「ブリキの太鼓」を観たときの衝撃など、思いだしている。そうなのか、それでオスカルちゃんはあんな声で叫ぶし、家々の硝子はあんなふうに割れるわけなのか。あの硝子破片は、物語のあらゆる場面につきささっているように、痛い。
  『私の一世紀』(ギュンター・グラス著 林睦實・岩淵達治訳 早稲田大学出版会)は何年か前に、とても面白く読んだ。1900年から99年までの1世紀を、1年1話のショートストーリーで描いた。語り手の「私」は1年ごとに異なる。実在の人物も登場するが、ほとんどは無名の「私」が、戦争や市民生活のそれぞれの事件や出来事をどう生きたかを語る。史実に基づきながらも寓話性にあふれていた。悲哀と笑いとグロテスクと滑稽。
 最大のテーマは、やはり戦争で、ナチス時代はもちろん、戦後の冷戦時代、さらにその後、統一後のドイツで外国人排斥運動が起り、スキンヘッドたちがトルコ人を襲撃した話もあったけれど、ナチス時代をひきずるようなメンタリティがいまもつづいていることを執拗に見つめているのが印象的だった。ナチス時代──刺さったままの硝子破片が、ときどき疼き出すような具合に。
 そう、たしかに『私の一世紀』でグラスは、ドイツの戦争犯罪はいまにつづく「私」の問題だと語っていた。