「宮本常一の旅」

 「ここはいわくに」と子どもが言う。「ここは」のあとに続くのは「いわくに」だと思い込んでいるようすだ。たぶん、義父母のいる山口市へ向かう途中で、「ここは岩国」と親たちが言ったのを、覚えてしまったのだろう。「ここは広島」と何度も訂正したが、かたくなに「ここはいわくに」と言いつづけている。
 
 まだ子どもが生まれる前、岩国の錦帯橋にお花見に行った。近くで猿回しをしていて、通りすがりにそれを見た。
 何年か前に、NHKだったと思うけれど、民俗学者宮本常一についての番組を連続でやっていて、「宮本常一の旅」というタイトルだった。そのなかで、山口の猿回しが、若い頃に出会った宮本常一の思い出を語っていた。
 彼が若いとき、地域の被差別部落民の猿回しの人々の聞き書きをまとめて、宮本常一に渡した。そして、それを読んだ宮本常一に「きみは人間を矮小化している」と言われたそうだ。「差別や貧乏のつらさや、そんなものだけで猿回しができるはずはないんだ。きみに解放を語る資格はない」と。そして「きみは人間を尊敬することによって解放されるよ」と。
 心に響いたのでメモしている。宮本常一は次のようにも言った。「知る、作る、暮らすことを手放してはいけない。学問は木、人間は森、人間は伝承の森だ。芸能は平和だ。丸だ。記憶されたものだけが記録される」。それから青年は猿回しになった。半芸半学の生き方を志した、という。
 
 すごい言葉だ。「人間を尊敬することによって解放される」。