ヒバクシャ

 

 被爆者を、被曝者とも、ヒバクシャとも表記するようになったのはいつ頃からだろう。原爆による「被爆」、放射能に曝されるという意味での「被曝」、そして「ヒバクシャ」のカタカナ表記は、すでにヒバクシャが世界中に存在することを物語っている。中国新聞社が『世界のヒバクシャ』という本を出したのは1991年。世界各地の核汚染とヒバクシャの実態を初めてリポートしたその本を読んだとき、恐ろしさで体がふるえたが、その後の世界は、いっそうひどい。本にはまだ、劣化ウラン弾は登場していない。NHKスペシャルで、劣化ウラン弾による放射線被曝をやっていたが、湾岸戦争以降、旧ユーゴスラピアの紛争やイラク戦争で使われた劣化ウラン弾は90万発以上という。一発でひとり被曝しても90万人のヒバクシャ、10人で900万人のヒバクシャ、100人で9000万人のヒバクシャ。想像を絶する。そして少量の被曝でも染色体に異常をもたらすという。

 広島に原爆が落とされた翌年、アメリカの詩人ハーマン・ハゲドーンは『アメリカに落ちた原爆』という詩を発表した。「広島に落ちた原爆はアメリカにも落ちたのだ」と。それはアメリカの良心の声だったが、もはや形而上の表現にとどまらない、現実の光景だ。 戦争の結末に、勝者も敗者もいない、ただ夥しいヒバクシャだけがいる。アメリカの兵士も、イラクの子どもも、旧ユーゴスラビアの老女も、ヒバクシャとしての同じ苦悩と絶望を生きる。そのような世界が、いまある。もしかしたら、日本が劣化ウラン弾を作ったり使ったりすることから、かろうじて免れているのは、61年前の広島長崎の被爆者のおかげだといえるのかもしれない。でもそれも、かろうじてだ。 

 生命はつながっていると思う。もしもあなたがヒバクシャなら、明日は私もヒバクシャだろう。そのような世界に、私たちはいる。「分かちあうたったひとつの空を恋えば遠き内部に死の灰が降る」(野樹かずみ)