『日本に来たユダヤ難民』(ゾラフ・バルハフティク著)という本を、私は読み終えたばかりで、
これは、ポーランドからリトアニアに逃げたユダヤ難民の指導者だった(のちにイスラエルの宗教大臣になった)人が綴った、
当時の詳細な記録で、
杉原千畝が日本の通過ビザを出したこと、そこにいたる経緯とかはもちろん、難民の救出につながったものは何か、それを遮ったものは何か、
国家間の情勢の絶望的ななりゆきとか、反ユダヤ主義の凄まじさとか、人々の気持ち、信と不信、資金の問題とか、詳細に具体的に綴ってあって、
読むのが苦しくなるほどで、
正義という言葉が正義から遠く、平和という言葉が平和から遠いときに、生き延びる努力は、現実の残酷を認識する力と、ひたすらに具体的な行動と工夫で、その工夫が想像を超えて奇天烈だったりする、それがもう圧倒的で、
いろんなことを考えながら、
(ビザ不要のオランダ領キュラソの入国ビザなんて、まるで詩のような話だと思ったり、思うに私には、具体的な工夫が欠けているのだと、苦い認識をしたりしながら)
けっこうくたびれながら、読んでいて、
日本、上海、アメリカ、戦後の廃墟のヨーロッパを経て、著者はようやくイスラエルにたどりつき、私も本を閉じた翌日、
ガザ攻撃の映像が目に飛び込んできたのだった。
ゆるして欲しい。
この映像は、どこかで見た、と思う。
はじめてなのに、どこかで見た、と思う。
どこかで見た、と以前にも思った、と思う。
死んだ子どもは、はじめて死ぬ子どもなのに、その死をすでに見たことがある、と思う。
感覚が狂い始める気がしてくる。
はじめての映像なのに見飽きている二〇〇九年のガザの空爆
見えないが 瓦礫の下に幼虫のように埋まっている子どもたち
両目から砂がこぼれる魂が崩れはじめているかもしれない
と、私は2009年に書いた。(野樹かずみ「もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう」)
いま見ているのは2014年のいまの空爆の映像、2014年のいま殺されている子どもたち。