春休み in 山口 (津和野) と、十字架

31日かな、ザビエルの教会の近くを通ったとき、義父さんが、孫に、キリシタン弾圧の話などImg_3790 聞かせていた。津和野に弾圧の舞台になった乙女峠というのがあるのだ。義父さんの話は、おおざっぱで、というよりは正しくなかったんだけれども、キリシタン弾圧があったのは本当。しかもそれは明治初年。長崎で発見されたキリシタンたちが、ばらばらに配流された配流先のひとつが、乙女峠だった。
何十人かは殉教し、残りの人々はのちにゆるされて長崎にもどった。
5歳のモリちゃんという女の子は「お菓子をあげるよ」と言われて棄教をそそのかされたけれど、「天国のお菓子はもっとおいしい」と言って受け取らず、衰弱して死んだらしい。

行く先々で、十字架やマリア像がよく目についた。鍾乳洞にもマリア観音があったし。あれは、死んだ子を抱いているように見えて、ぞくっとした。香月泰男美術館の玩具たちのなかにも、ブリキと木ぎれでつくったごく小さなキリスト像や、ピエタの像があって、素朴な愛情を感じさせた。

「生者と死者をつなぐ」(森岡正博)という本のなかに、十字架について、書いてあったのが、心に残ったんだけれども、そのくだりを思い出した。

「ところがあるとき、私はなんの前触れもなく十字架の意味が分かったのである。磔のイエスは、ほかならぬ私たち自身によって殺されたのだ。そう気づいたとき、私は思わず十字架の前にひざまずきそうになった。私は十字架からあふれ出てくる何かを全身で受け取ったような気がした。
 そもそもイエスが捕らえられたとき、彼を釈放させる選択肢もあったのだが、ユダヤの民衆はそれを望まず、イエスの死罪を選んだ。イエスはみずから選んで身代わりになって死んでくれたというよりも、「おまえなんか死ねばいい」という民衆の総意によって殺されたのである。(略)
 このように、私たちが直接的に殺した人たち、そして間接的に殺したかもしれない人たち、私たちによって魂を破壊された人たち、その彼らがいま十字架にかけられたイエス像のかたちを取って、私の目の前にぐいっと現れ出てきた、というふうに私は思ったのである。」

それはとても共感できる考え方だ。

死ねばいいと思われた アウシュビッツガザ地区で東京のアパートで
鳩の血と呼ばれるルビーの赤色の深さよ人生は殉教なるべし
              野樹かずみ『もうひとりのわたしが(略)』

って、そういえば書いたなあって、思い出したけど。

何を信仰するかしないかはさておき、つまるところ人間は、殉教するか、殉教者にひざまずくか、の他にないわけだ、と思った。「おまえなんか死ねばいい」とする傲慢な民衆であることから身を引き剥がそうと思ったら。
殉教すること。「死ねばいい」と思われた側に、身を翻して赴くこと。 Img_3787

津和野の教会(畳敷きの教会ってはじめて見た)で、モリちゃんのお話読みながら、そう思った。
心のどこかに、モリちゃんがいなければ、人間の品位なんかなしくずしだ。

 

津和野。道ばたの溝を泳ぐメタボな鯉に、子どもは餌をやるのである。1歳2歳のころから帰省の度に津和野まで来て、鯉にパンくず撒いてやるのを、自分の仕事と心得ているが、きみはお菓子につられて転ばないんだよ。ああ、もしかしたら転びそうかなあ。どうしてぼくにはお菓子がないのかと、聞きわけなく、ぐずぐずいつまでも泣いていそうじゃあるなあ。