教室の隣の席の子のような

新学期がはじまっている。子どもは3年生になった。
社会科の授業がはじまるのを、ものすごく楽しみにしていて、パパに参考書買ってもらって読んでいたが、「日比谷焼き討ち事件って何」とか、そんな目眩しそうなことを、きかないでほしいな。

こないだ読んだ鶴見俊輔さんの本に出て来たから、かろうじて記憶にある。1905年ですか。日露戦争のときかな。鶴見さんが言うには、それは民衆が「もっと戦争をしろ」と主張した事件で、それがこの国の「国民」の誕生なのだという。

私たちは、現代史をろくに習ってない。中学でも高校でも、時間がなくて端折られた。現代史をいちばん生き生きと感じたのはむしろ小学生のときだった。沖縄が返還されたり、中国と国交回復したり、ということがあったせいもあるけど。

日本史、世界史のしっぽとしてじゃなく、現代史という授業を別につくったほうがいいんじゃないだろうか。そうでないと、近現代について、私たちは何にも知らないまま、大人になる。知らないことは、とてもこわいことだと思う。

最近読んだ『在日朝鮮人ってどんな人』(徐京植)という本。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%B2%E3%81%A8%EF%BC%9F-%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%B3%AA%E5%95%8F%E7%AE%B1-%E5%BE%90%E4%BA%AC%E6%A4%8D/dp/4582835554

中学生くらいから読める。在日朝鮮人を通してみると、日本の近現代史がすごくわかりやすくなる。現代史の授業の副読本にいいなあ、と思った。
図書館で借りて、もう返却したから適当な引用ができないんだけど、在日朝鮮人が、なぜ、どのように、存在しているのかということは、そのまま、日本が近現代、何をしてきたか、を浮き彫りにする。鏡みたいに映し出してくれる。

そういえば、「鏡」とは歴史という意味だと、古文の時間に習ったけか。『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』。

鏡を見たら、否応なく見えてしまう醜さがあって、だから鏡を避けるのに違いないが、鏡を避ければ避けるほど、いっそう醜悪な怪物になる。

老人ホームに入所したFのおじさん、戦後、神戸で警官をしていたとき、先輩警官から、戦前戦中は朝鮮にいて、娘たちをさらってトラックに乗せていた、それが仕事だったという話を聞いたと教えてくれたが、そのようなことを、怒りをもって語ってくれる人たちが、いなくなってゆく、そのあとに、私たちの子どもたち孫たちが、どんな嘘を吹き込まれて育つのかと、思ったらこわい。

 少女らをトラックに乗せ連れ去った記憶ごと行方不明のイルボン
                 (イルボン…日本)
 教室の隣の席の子のような慰安婦以前の少女像かな



さて、子どもは、新しい教科書をもらってきた。さっそく開いている社会科の教科書。
それで、地理の学び方の例にあがっているのが、仙台周辺なんだけど。写真も地図も、2008年くらいのもので、震災前の。
「ここは津波がきたから、いまはこうじゃないよ」って言う。

ああそうだね。歳月は過ぎるし、地図もかわる。
図鑑も教科書も、正しいことを書いているけど、でも、現実にも真実にも追いつかないっていうことはあるんだよ。だから、ほんとうのほんとうのことは、きみが自分で探さなきゃいけない。
自分でさがせるようになるために勉強するんだよ。

ってことを、おかーさんは言いたかったです。きみは、ささかまぼことか、ほかのいろんな情報に気をとられて、話聞くどころじゃなかったですが。

もっていく雑巾も用意したし、元気で一年間やってください。

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