パアララン・パンタオ 2012年8月 ②

8月5日(日)
朝、ジュリアンが来て、台所のこわれた電気をなおしている。レティ先生が食事をつくってくれている。
11時頃、レイも来て、ジュリアンの運転で、レイと私の3人、空港に向かう。渋滞がなければ1時間だが、渋滞なら2時間もそれ以上もかかる。
渋滞なくて1時間で着いた。外はずっと雨だが、まあまあ小降りのほう。

大阪から、1時に高さん到着の予定。それまで1時間ある。
ジュリアンが「寝てていいよ」って言う。それで私は、ジュリアンとレイのおしゃべりと、カーラジオから流れてくる英語とタガログ語の歌と、ときどきはげしくなる雨音と聞きながら、寝ていた。
いつのまにか。パアラランに通って勉強していた少年たちは、いつのまにか、たのもしい兄のようになった。

ふたりとも結婚して、ジュリアンは男の子がひとりいる。レイは男の子が2人いる。レイは今度3人目が生まれるって。いま6ヶ月。ほんとに? 奥さんのお腹から? レイのバスケットポールみたいな腹からじゃなくて? ってからかったら、
「ほんとなんだ。ぼくのお腹じゃなくて、マイワイフのお腹だ。バスケットボールじゃなくて、ほんものの赤ちゃんだよ」って笑った。

時間通り、高さん到着。友人のジャーナリストがくる、とみんなには言っておいた。それで、ダンプサイト(ゴミの山)にも登れないか撮影もできないか、打診してみたんだけど、なんにしても、この雨でぬかるんで危ないからダメ、ということで却下。
このときはまだ台風がこんなにひどくなるなんて思わなかったんだけれども、地方まで行くのは無理だし、マニラのイントラムロスぐらいなら私でも案内できるかなあということで、雨のなか向かう。
ジュリアンは駐車場で待っていて、レイが一緒に歩いてくれる。

10年ぶり以上だ。ここに来るの。イントラムロスのサンチャゴ要塞と、そのなかの美しい庭と、リサール記念館は、大好き。
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ずっとずっと前、ゴミの山に、たぶん1か月ほど滞在したとき、学校も今のようにきれいではないし、雨はふるし、道はぬかるむし、電気は止まってるし、水道もないし、蠅と蚊はすごいし、そこにずっといて、ある日、ここに来て、美しい庭を見たとき、もうそれだけで救われるような気持ちになったな。


Img_5038 パッシッグ川。ホセ・リサールの小説「ノリ・メ・タンヘレ」を思い出す。その大事な舞台だ。学生の頃、古本屋が店じまいするときに、たまたま買っておいた「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」の2冊、戦慄して読んだ。
要塞のなかの小部屋での特別展では、リサールの生家の家具など展示されていた。


記念館では、処刑前に、家族に渡したランプのなかに隠されていた別れの詩が、各国語で翻訳展示されている。レイが、高校生のとき、この詩をスペイン語で書取りさせられて、暗唱させられたよって言う。
日本語訳、ほかのもあるけれども、ここに展示されている訳はこれ。


「ミ・ウルティモ・アディオス」(Mi Ultimo Adios)
最後の訣別 

                       ホセ・リサール/1896
                       翻訳 加瀬 正治郎

さようなら なつかしい祖国よ 大陽に抱かれた地よ
夏の海の真珠 失われたエデンの園よ!
いまわたしは喜んできみに捧げよう この衰えた生命の最もよいものを
いや 生命そのものをささげよう
さらに栄光と生気と祝福が待っているなら 何を惜しむことがあろう

戦場にあって はげしい闘いのさなかにあって
人々は生命をささげたのだ ためらい まどうこともなく
そこがいかなるところでも ―糸杉 月桂樹 白百合の生うるところ
断頭台も広野原も 格闘も殉教の苦しみも
それらはみな同じもの われらの家と祖国にささげられたもの

暁の光をのぞみ見て 私はいま死んでゆくのだ
ほのぐらい夜をつきぬけ 昼の光へ導くために
紅の色が乏しければ私の生命の血で染めよ
なつかしい祖国のために私の血はみな注ぎつくそう
黎明の光を鮮血の色に染めるため

私は夢みた はじめて生命のひらかれたとき
私は夢みた 若き日の希望に胸の高鳴ったとき
おお 東の海の宝石よ きみの晴れやかな顔をみる日を
憂愁と悲しみよりとき放たれて
きみの顔にかげはなく きみの眼に涙のない日を

わが生涯の夢 わたしの中の燃ゆるねがいよ
すべて来れ! いま魂はとび去ろうとして叫ぶのだ
すべて来れ! そしてきみたちが消えゆくことは美しい
きみたちは消えてゆくことに憧れているにちがいない
そしてきみたちの永遠の永い夜の胸にいだかれてねむれ

いつの日か わたしの墓の上の草むらに
きみが一輪の花の咲いているのを見つけたら
唇におしあて私の魂に口づけしてくれ
地下の冷い私の額は
きみのやさしさ きみの暖かい呼吸の力を感じよう

柔かな月の光を私の上に注がしめよ
暁のきらめく光を私の上に輝かしめよ
悲しい風の嘆きのうたを私の上にうたわしめよ
私の墓の十字架の上に一羽の小鳥のくるのを見たら
平和のうたをうたわしめよ

大陽をして空に水蒸気を立上らしめよ
そして清らかな天に向かって私の反抗を立上らしめよ
だれか心やさしい人あらば 私の非業の運命を嘆いてくれ
そしてしずかな夕ぐれに祈りをあげてくれ
おお わが祖国よ 私が神に抱かれて休らうことのできるよう

不運の死をとげたすべての人のために祈ってくれ
かぎりない苦難をうけたあらゆる人のために祈ってくれ
不遇の悲しみに泣いた母たちのために
夫を失い 妻を失った人たちのために 拷問の試練にあう囚人のために
そしてまた救いをうるであろうきみたちのために

暗い夜のとばりが墓苑をつつむころ
死者のみひとりめざめているとき
私の休息 ふかい神秘を敗らないでくれ
そうすればきみはきっと悲しいうたの反響をきくだろう
それは私なのだ おお わが祖国よ きみにささげる私の歌なのだ

十字架も墓標もきえ去って
私の墓も忘れられるとき
鋤でならし 掘り返すにまかせよ
私の骨はふきちらされて消え去るまえに
きみの地上にしきつめられるだろう

そして忘却は 私を気にもとめないだろう
きみの谷間と平野の上を私がすぎゆくとき
きみの土地と大気を鼓動させ 清めながら
色彩と光 うたとなげきとともに私はゆく
私の抱いている忠誠をいつもくり返しながら

わが憧れの祖国よ おまえの悲しみが私の心を悲しませるのだ
愛するフィリピンよ きけ 私の最後の別れの挨拶を!
私はすべてをきみにささげる 両親も血族も友人も
私は圧制者の前にひざまづく奴隷のいないところにゆくのだ
そこでは信仰の名によって人を殺すこともなく 神がつねに高きところに

私の心から引きはなされたきみたち皆よ さようなら
家から引きはなされた幼なじみの友たちよ
私は感謝しよう ものうい日々から免れたことを!
さようなら 私の道をてらしてくれたやさしいひとよ
すべての愛するものたちよ さようなら! 死の休息が待っているのだ!

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ホセ・リサール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
イントラムロス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%82%B9

夕方、早めにパヤタスに帰る。そのあと豪雨。すこし遅れたら、渋滞にまきこまれてたいへんだった。
夜じゅう、激しい雨。