だれが悪いわけでもないといえばない。産経は悪いけど、そういう悪いことするのが、マスコミの伝統的な仕事ではある。
とまどうのは、30年前なら、そういうことに関心をもつ学生は、准教授の立場に共感しただろうと思うわけ。でもいま、関心をもつ学生が、それを告発する。この変化は何だろう。
時代とか、民族とか、立場とか、それぞれあるから、それぞれに、納得しやすい快い思想のありかたというのはあって、快いところに身を置いているのだろうと思う。で、異なるものに出会ったとき、ざらっとする。ざらっとしたときに、なんか余裕がない。攻撃的だったり排外的だったりする。
みんなが被害者みたいな顔で、追いつめられている感じで、だから他人が悪い、になるんだけれども、
もしかしたらほんとうは、みんな貧乏がわるいんじゃないか、とおもったりする。
どんな事情があっても、国と国の関係がどうでも、主義主張はどうであっても、他者の不幸や痛みを聞く耳はひらかれている、というのが文化だと思う。
それがたちまち政治イデオロギーの問題にスライドし、レイシズムに及ぶ、というあたりが、なんかなあ、痛ましく見える。
いつの時代も、かなりゆがんだ景色のなかを、生きているには違いない。