「ひろしまの冬」

ひろしまの冬」というタイトルのお芝居だった。たぶん1983年頃に観た。在韓被爆者の亡霊たちが出てきて、舞台の四方から声をあげる。「ヒロシマへ帰りたい」。
原爆で、親がそこで死んだから、子どもを埋めてきたから、生まれ育った土地だから、そこに青春があったから。
広島へ、なのかもしれず、ひろしまへ、なのかもしれないが、でもそれは、「ヒロシマ」と聞こえて戦慄させられた。
その翌年ぐらいに、自分がその土地を訪れるとは夢にも思わなかったけれども。全羅南道ハプチョン。

あの頃すでに、原爆棄民、という言葉は言われていた。
それから四半世紀も過ぎて、まだ聞くのだ。原爆棄民という言葉。
これはどういうことなんだろう。

棄民しつづけたかったか。

差別がこわいから、被爆者と言えなかった人も少なくない。それはもう、韓国でも日本でもどこででも。
原爆も酷たらしいが、人の世も酷たらしい。
人の世の酷たらしさは、不幸への尊敬心がないことだ。

ハプチョンの被爆者。ずっと寝たきりで、もう死んでしまったほうがましだと思うくらいつらいという人が、唯一の願いは、被爆者と認定されることだ、と言った。
ヒロシマへ帰りたい」の声が耳に戻る。

十年ぶりに広島に戻ってきたとき、被爆者という言葉を日常的に耳にするのに驚いた。東京では忘れていた。8月6日や9日にニュースを見なければ、年に一度も聞くこともないだろう。
本当いうと、私、広島をきらい。この土地もこの土地の人も、きらい。東京もきらいだが、広島もきらい。生きるというのは、きらいなものと何とか折り合いつけてゆくよりしょうがないことだけど。
でもほかの土地にいるよりは、どこか納得してこの土地にいるのは、たぶん「ヒロシマへ帰りたい」という声が、焼きついたんだな。私のなかに。なんかそれは宿命的なことだ。
だけど、なんであのとき、あのお芝居を観ることになったんだろう。

子どもが、被爆アオギリの歌など、学校で習って帰る。かわいそうにそれも、広島で生まれた子どもの宿命だわ。4歳のころ、原爆ドームの横を通ればやけどをすると、この子どもは思いこんで、こわがったが。