なりゆき

歌集「もうひとりの(以下略)」について、取材してもらったんだけど、私というのは、まったくなってないので、

「なりゆきです」としか答えられないのでした。なりゆき。

学生のときに、大学の隣の古本屋で、殺人事件を起こして死刑になった在日朝鮮人二世の少年の書簡集をたまたま見つけて、読んだのです。ショックを受けて、その背景には何があるのだろうと、在日朝鮮人文学を読み始めて(でも古本屋で安く手に入れられたものだけ)それを卒論のテーマに選んだのです。
先輩に誘われて在日韓国人被爆者の聞き書きをしたということもあって、それで韓国に一人旅して、そのときにハプチョンにも行ったのです。
そういうことを、東京に行ったあとはずっと忘れていて、それはもう自分でも過去の話だと思っていたのですが、10年ぶりに広島にもどってきたら、たとえば被爆者という言葉を、ここでは日常的に聞く、いろんなことを思い出す、昔きいた被爆体験の話なども、空耳になって戻ってきたりする。いろんな再会もあったり、また新しい出会いもあって、朝鮮学校に取材にいくなりゆきになったりする。そういうなりゆきは、とても不思議。
だから、犬も歩けば棒にあたるんです、きっと。
ゴミの山の学校のことも、なりゆき。NGOとか教育とか、関心も何もなかった。でも、ゴミの山に行ったら、そこにある学校がつぶれそう、という場面に出くわしてしまった。知らないふりできないし。
それら、いろいろななりゆきのなかで、書いていたことを、まとめたらこうなっちゃった。すみません。とりとめもない話で。

つまり「書いてしまった」わけですね。帯文にあるみたいに。
はい、「書いてしまった」わけです。恥ずかしいけど。



犬も歩けば棒にあたる。雪の坂道を歩けば、子どもは転ぶ。ここんとこ毎日のように転んで、アザつくってますが、今朝は、なんと、転ばずに行けたらしく、6年生の班長も、もうひとりの1年生も転んだのに、ぼくは転ばなかった、と得意そうに帰ってきて言ったことでした。