岡山へ、ベン・シャーン展を観に行ってきた。
http:// www.pre f.okaya ma.jp/s eikatsu /kenbi/ exh_sha hn.html
ベン・シャーンは大好きで、どうしても見たかった。
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ベン・シャーンは大好きで、どうしても見たかった。
縄跳びする少女の絵を最初に見たのは、新聞の文化欄だったと思う。30年くらい前、私はその白黒の小さな写真を模写した記憶がある。色がわからないのは適当に想像して。カラー図版を見たのはそれから何年もして画集を手に入れたとき。
塚本邦雄の「少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓駆けぬけられぬ」の短歌を読んだときに思い出したのも、この絵だった。
塚本邦雄の「少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓駆けぬけられぬ」の短歌を読んだときに思い出したのも、この絵だった。
ベン・シャーンが撮った写真も展示されている。
貧しい母子の写真なんか、ゴミ山の麓の人たちの姿を思い出す。今はゴミの山にものぼれないし、周辺のスラムも勝手に歩けないし、写真も撮れないんだけど、以前は自由にほっつき歩いてた。
写真、整理しようと思っては忘れているが、あの頃、不思議ななつかしさと、いとおしさのなかを、歩いていた。
リルケの「マルテの手記」に寄せた版画。「マルテの手記」は高校生のときに読んで、何が書いてあるのかさっぱりわからなかったのが、大学生になって読んだら、心臓が声あげて泣きそうになって、驚いた。
「一行の詩のためには……」のあとに、短い言葉と、一枚の絵。
一行の詩のためには……
多くの都市を
多くの人々を
多くの事物を
禽獣を知らねばならぬ
飛ぶ鳥の姿
小さな草花のたたずまいを
まだ知らぬ国々の道を
思いがけぬ邂逅
遠くから近づいて来るのが見える別離
少年の日の想い出を
心を悲しませてしまった両親を
少年時代の病気を
しずかなしんとした部屋で
海辺の朝
海そのものの姿
星くずとともに消え去った旅寝の夜々
愛にみちた多くの夜の回想
産婦の叫び
死んでゆく人の枕もと
白衣の中に眠りおちて恢復を待つ産後の女
死者の傍らで
想定外だったのはこの絵。言わずとしれた「ラッキードラゴン」シリーズで、この絵が展示されていることも知っていたんだけれども。
絵は私よりも大きかった。それで、絵の前に立ったとき、体がふるえた。おじけづいた。どうしようと思った。
ここにある肉体は、抽象とか象徴とかそんなものでなく、そのまま、肉体だという感じがした。あんまりなまなましくて、おびえた。その肉体は生きていて、でも病んで傷ついていて、若くなくて、被ばくしていて、すでに死をその内側に抱えている体で、そういう体を、私もたしかに知っていると思った。愛がなければ、抱けません、と思った。
こんなにデフォルメされた肉体が、こんなに生々しいなんて困る。見るんじゃなかったと思った。涙までにじんできた。
で、美術館を出た。近くの方はぜひ。5月20日まで。
そのあと福島かな。一部の絵は、福島へは行かないらしい…。