星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

夏の旅 宇和島 1 

7日。宇和島に帰省。天気よくて、暑くて、海が真っ青だった。写真は来島海峡。

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松山で高速に入りそびれ、途中の駅で、息子はアンパンマン列車など撮影して、もうそのまま一般道をゆく。高速道ができてからは、高速道ばかりだったので、くねくね山道の一般道は久しぶり。四国に帰ってきたという気がした。そうだった。宇和島はこんなに遠くてたいへんなところだったのだ。卯之町からは列車は不通。途中の峠の道はのり面崩落で片側通行。
吉田町あたり、山、あちこち崩れている。川もあふれたみたいだ。1か月経つのに、水に浸かったあとだなあと、わかった。

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豪雨被害のとき、このあたりの被害の報道は遅れた。同じ市内にいながら、父は被害のことを、2日後にニュースで見るまで知らなかった。自宅の雨漏りだけを見ていた。叔父のひとりが住んでいるところは川のそばで、絶対浸かっただろうと思っていたが、そこはいつも浸かる場所なので、アパートの1階は駐車場、叔父の部屋は2階で、問題ない。窓から、前の道を、人が膝までつかりながら歩くのを、見ていた。

宇和島に着いて、父を誘って温泉に行く。それから回転寿司に行く。いつも通り。

8日の朝、兄と朝ごはんして、息子を連れて図書館に行って、暇つぶし。図書館建て替えになるらしい。来年はもうここにはないのだろう。私がいた頃は、もっと古い木造の図書館だった。もういなくなった人たちと一緒にここに来た。図書館で一緒に過ごすことができた人たちのことは、いつまでも大好きだ。
中学校のときに読んだ本を探してみたけど、見つからなかった。何年か前にはあったのに。ずいぶん古いからしょうがないのか。

 

そういえば町にセブンイレブンがやってきていた。父の家の近くのファミリーマートはなくなり、兄のすんでいるところの近くのサンクスKもなくなり、こんどはここにファミリーマートが来るらしかった。マニラと宇和島をつなぐセブンイレブン
そこにかつて何があったか、消えてしまうと忘れてしまう。コンビニの前には何があったのか。高校生のころ毎日見ていたはずの場所なのに、もう覚えていない。

午後、待ち合わせて、釣りへ。マニラの海は宇和島の海と同じ匂いがした(と息子は言った)が、どうだろう。

釣りの用意は叔父がしてくれる。父と兄と叔父と私たち3人。ゼンゴ(小あじ)ばかり釣れた。2時間ほど。全部で80~100匹ほど釣ったんじゃないか。私はずいぶん調子よくて29匹釣った。
湾の向こう岸にも、崩れたみかん山が見えた。

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魚は叔父がさばいてくれて(私は下手なので手を出さない)、夜は飽きるほどの小あじの刺身だった。絶品。残りは一夜干しにしたのを、もらって帰る。

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帰国したら

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帰国したら、台所に山ほどの玉ねぎがあった。お隣が畑でとれたのをわけてくださった。お隣の畑は玉ねぎよくとれる。たぶんそのように土壌改良したのだ。私のところは、植えてもラッキョウのようなものしか取れないので、植えません。
で、一週間もいなければ、すべて枯れているかジャングルになっているかだと思いつつ、畑に行ったら、ブルーベリーがたわたわ実っていた。枝豆もかろうじて育っている。パパが水やりしてくれたらしい。ブルーベリーお隣におすそ分け。


それから私がいない間に、屋根の修理の話がすすんでいた。たまに雨がひどいと雨漏りしてたのが、こないだの豪雨では天井のシミの色が変わるほどだった。瓦ではない、トタン屋根の部分が相当だめみたいなのは、知っていた。全部やりかえないとだめですよ、とずっと以前に言われていたのだが、今はいい塗料もあって、塗り替えだけで大丈夫なそうで、古くて壊れた物干し台の撤去もしてくれるというので、話をすすめたらしい。それは必要なことなんだろうけど、何も今でなくても、と私は思う。お金のやりくり、つらいんですけど。

フィリピンで買ってきた品物の販売の準備をする。情報の整理をする。パアララン、こんなにお金がなくてどうしようと思いつつ、支援してくれる人たち、気にかけてくれる人たちの思いやりが心に染みます。昔、パヤタスのゴミの山で私が学んだのは、生きるのはこんなに難しいサバイバルなことなのかということだったと思うけど、それは、普遍的な現実、ということだったかもしれないと思う。貧困も、暴力も、特別な場所の特別な問題ではなくて、どこにあっても、私たちは、こんなに壊れやすい世界で生きているということなのだ。だから、なんとか支えあって、前を向きたい。
息子、「パアララン・パンタオ物語」を再読していた。行ってきたから、リアルに想像できる、らしい。目の前で読まれると恥ずかしい。

息子は片付かない宿題を前に途方にくれている。たくさんあると、やる気がおきず、それでもがんばって半分ほど過ぎると、なんとかなるだろう、と思って、やっぱりやる気が起きない。いくつかの科目は前者でいくつかは後者、全体としてやる気が起きない。
美術の宿題が、美術館に行ってレポートを書く、というものなので、マニラのメトロポリタン美術館に行ったことを書く、とは言ったが、資料がない。
でも、フィリピン・モダンアートで検索して、片っ端から画像をめくっていたら、数点は見たものが出てきた。知りたかったことがあったので、思いついてSNSで美術館にメールしてみたら、丁寧な返事がきたのが嬉しかった。次の企画展の案内も来ていたけど、行けませんけど、ありがとう。

それから宇和島に帰省の準備。7日に帰省。

 

 

夏の旅 フィリピン 6 

 

 

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7月31日。

学校の裏から見えるゴミの山。草におおわれているから、知らない人は本物の山と思うが、ゴミでできている。20数年前、はじめて来た頃は、平らかだった。レティ先生がここに来た頃は、いちめん田んぼだった。

朝、子どもを連れてくるお母さんたちのなかに、隣人のカンデラリアのお母さんがいる。20数年前にはじめてあった頃に、8人ほども子どもたちがいたから、ずっと年上のおばさんの気がしたけれど、実は数歳しか違わない。以前は彼女の子どもたちが、パアラランに通っていた。いまは娘の子どもたちが2人、男の子と女の子が、通っている。
学校前のテラスでは、お母さんたちがしばらくの間、おしゃべりをしていく。情報交換の場でもあるのだった。

 

息子とふたりで、ジプニーに乗ってエラプまで行く。先日撮り忘れていた校舎の写真。奨学生のジェイペロウとライジェルが来ている。

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教室では、ベイビー先生の孫(娘のエライジャンの息子)のPJ(2歳)がうろうろしていて、息子のあとについてゆく。「どうしよう。ぼくは子どもとどうやって遊んでいいかわからない」と言う。たしかに。そういう経験はしてきていない。それでも、抱っこはしてあげたみたいだった。
PJはもうアルファベットが読める。
エライジャンは去年生まれたシャナという名前の女の赤ちゃんを抱いて、キッチンにすわっていた。私はエライジャンを生後3か月のときから知っているけど、そのころのエライジャンによく似ている。「ほら、ロラ(おばあちゃん)ですよ」と私はすっかりおばあちゃん扱いだった。

お昼ご飯のあと、エライジャンの姉のチャイリンが来て、私の髪を切ってくれる。いま、ヘアカットの勉強をしているんだそうだ。フィリピンで散髪すると50ペソ(100円あまり)ですむから、フィリピンで切ればいいよ、と息子に言ったら、彼もその気だったが、マニラに来て思い直した。男の人たち刈上げ頭がとても多い。刈上げはいやだ。
「少しだけ切ってあげるよ」というチャイリンの言葉を信じて、切ってもらう。ほんとうに少しだけ、切ってくれた。
息子、「なかなかいいよ」と私に向かってぼそぼそいう。気に入ったなら気に入ったと、はっきり言えばいいのに、と言うと、なんて言っていいかわからない、などと言う。アイライクディス、でいいんでね? そんなの私でも言える。
でも恥ずかしくて言えないのだ。「彼女は、いい美容師さんになると思う」とあとでまた、私にぼそぼそ言う。

昼休み、ジェイペロウが、子どもたちのノートの準備をしている。文字や数字をなぞって書けるように、赤い点線の文字を書き込んでいるのだ。一冊ずつ。それならできそうなので、息子、手伝う。ジェイペロウ、気持ちよくどさっとノートをくれる。

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午後のクラスの子たちがやってくる。ジェイペロウは絵のすごく上手な女の子だけど、子どもの扱い方も上手で、お遊戯するのに、ジェイペロウが前で踊ると、子どもたちが盛り上がる。そのなかでも、決して踊らない、歌わない子が1クラスにひとりはいて、息子は階段にすわってその子たちを見つめている。

私たちはチャイリンと一緒にモンタルバンの市場までお買い物。息子のズボンを買う。着るものはとても安いので。たくさんの小さなお店がひしめくなかに潜り込んで、あれでもないこれでもないと探すのは、面白い。暑かったけど。

それからジプニーでパヤタスに戻る。ジプニーを降りた近くに、レティ先生の姪の、マジョリーのサリサリストアがある。のぞいたら、娘のジェシカとエイエがいて、ママは家だから、と家まで一緒に行く。ジェシカは半年前に女の子を産んで、チェチェという名前、マジョリーはロラ(おばあさん)になった。私も当然、ロラと呼ばれるわけだった。
マジョリーのいまの悩みは、ジェシカが赤ちゃんの面倒を見ながらできる仕事はないだろうか、ということだ。それは、日本でもとても難しい問題だ。

エイエは高校生。フィリピンの教育改革で、ハイスクールが4年から6年間に伸びた。それはよかったねと言うと、子どもたちにとってはいいのかもしれないけど、そのあとカレッジに行かせなければいけないし、卒業が2年間も伸びるのは、親としてはしんどい、とマジョリー。

赤ちゃんが生まれる。結婚したの?とか、夫は?とかは聞かないことにしている。たまたま耳に入ってくるのでなければ、詮索する必要のあることでもないのだ。結婚はしていないかもしれないし、夫はいても働かないかもしれないし。
大切なのは、赤ちゃんの存在を全力で喜ぶことだけ。そう思う。ここにいると、そういうことがよくわかる。

おやつに買ってくれたバナナキュー(揚げたバナナに砂糖をまぶしたもの)がおいしかった。レティ先生のぶんのバナナキューをもって、学校に戻る。


戻ると、ちょうど午後のクラスが終わったところで、数人の子が残って、先生たちと掃除していた。アイヴァンもいて、箒をもって働いている。
「見れば見るほど似ている」と息子。「ふだんはぼーっとして、なんにもしないでひとりの世界にいるくせに、箒とかもたされると、妙にはりきって、掃除したりするところも、なんかそっくり」と自分で言う。ほんとに。そっくり。
子どもたちが帰っていく。
バイバイ、アイヴァン。来年また会えるかわからないけど、よい人生をね。
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イエン先生とアリーアと一緒に、ダンプサイトを見に行く。坂道を降りる。ジャンクショップがあり、ゴミから発電をしているという発電所がある。パアララン・パンタオの旧校舎があったあたりは草の中。ずっと降りていく。いちめんの草のなかで、ヤギが草を食べていて、あとで写真だけ見たら、秋吉台がどこかの風景にも見えそうなほど。大きな大きな草の山が広がっている。
ふもとの集落を歩く。ところどころぬかるんだ道。たいていの家には窓ガラスはない。いまきみが歩いているのは、たぶんマニラでも最も貧しい地域のひとつだ。

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放課後の教室で、イエン、リサ、マイク先生、アリーアとおしゃべり。勉強している日本語のこととか、フィリピンの小学校のこととか。
私のシャイな息子は、アイヴァンそっくりだったこととか。

たぶんアイヴァンみたいな子にとって、小学校にあがる前に、何年間か小さいクラスで、落ち着いて過ごすという体験はとても大切だと思う。パアラランは、アリーアみたいにアシスタントの先生もいるから、アイヴァンにはとてもいいと思う。
小学校はクラスの人数多いでしょ?と聞いたら、1クラス60人か70人くらいいるらしい。先生たちは、叫ばないといけないから、のどがつぶれてしまうらしい。ドロップアウトする子も多いし、先生たちもそういった子のフォローができない。

これまでもアイヴァンのような子はいたはずで、そういうとき、レティ先生は、小学校に通う年齢になっても、もう一年ここに通わせるように、親たちに言っていた。

貧困の連鎖を断ち切るためには、3歳から5歳の幼児教育がもっとも効果的、と言われている。それはもう実感として、よくわかる。そしてアイヴァンみたいな子が、これからなんとかやっていけるために、パアララン・パンタオの2年か3年はとても大切だ。学校で、みんなとの活動に参加できるために、ほかの子より少し時間がかかり、少し余分なステップが必要なのだが、少しの適切なケアがあることで、乗り越えてゆけることも多い。

息子は、すっかりアイヴァンがお気に入りだ。「アイヴァンは大物になるよ。この学校から、スペシャルな人、プレジデントとか、そういう人が出てきたってことになるかもしれないよ」などと言う。
アイヴァンのことより、私は、君が君自身をなんとか成長させてくれるとうれしいと思うよ。きみが、しっかりした大人になることができたら、それがアイヴァンの希望になるよ。

夜ご飯のあと、息子は、滞在中に一日数行ずつくらい、英語で書いていた日記を、読んで、レティ先生に聞いてもらった。とても立派だとほめてもらっていた。
マニラの交通事情はエキサイティングで、ダンプサイトは、信じられない光景だ。
ダンプサイトを歩いてきたので、息子もすこしは想像できるだろう。レティ先生と昔の話をする。ゴミの山がどんなだったか、蠅がどんなたにたくさんいたか。そんななかで、子どもたちがどんなふうに働いていたか。
面白いのは、やはり、いろんな失敗談で、私の失敗談となると、息子、目を輝かして聞いている。いやなやつ。
「過ぎたことだよ」とレティ先生が言うと、
「じゃあ、なかったということで」と息子が応じているのが、おかしかった。

「あのさ、ママ。ママは、僕に、みんなにどんなにお世話になっているか考えなさいって言ったけど、ママのほうこそ、ものすごくお世話になってきたんじゃないの」と息子は言った。
いいことに気づいたね。だからきみは、母がたくさんお世話になりましてありがとうございますって言わなきゃ、って言ったら、言っていた。
「母を助けてくれてありがとうございます」
するとレティ先生は言った。
「彼女も私を助けてる。彼女は私の娘のようなもので、きみは私の孫だから、またおいで」
ありがとうございます。息子はとてもいい経験ができた。
もう、ぼくのキャパシティをとっくに超えている、と言っていたが。

8月1日。

早朝4時半、ジュリアンが迎えに来てくれる。
渋滞の前に空港まで行ってしまいたい。それでも場所によっては、こんな早い時間でも混んでいるのだった。1時間で空港に到着。
午後、福岡について、外に出ると、信じられないほど暑い。

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パヤタス校近くのサリサリストア

夏の旅 フィリピン 5 インディペンデント

7月30日、月曜日。グレースがイントラムロスに連れてってくれるっていう。マニラの観光地。

まずジプニーで、ショッピングセンターに行って、円をペソに両替して、それから銀行に行って、買って帰るオーガニック・コーヒーの代金を払い込む。Human Natureという自然派の製品を扱ったブランド。そこでレティ先生の孫が働いている。なので少し割引になる。

銀行からは、バン、と呼んでいる15人くらいの乗合タクシー(エアコンつき)で。ジプニーとトライシクルとバンを乗りこなせたら、相当に自由に移動できる。渋滞は避けがたいとしても。
イントラムロスの近くで降りて、トライシクルでサンチャゴ要塞へ。
何年ぶりだろう、サンチャゴ要塞とリサールミュージアム(以前はリサールシュレインと言っていた)は大好き。

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グレースが写真を撮ってくれながら、「スマイル、スマイル」と息子に言う。「きみはいい顔してるんだから、笑ったらもっといい感じになるから、笑いなさい」。

つまりね。きみは相当けわしい表情をしているわけよ。目つき悪いし。不機嫌に見えるから、まわりを心配させる。いまのところ、この子はシャイで恥ずかしがり屋だということにしてあるけど、いろいろと腹黒いやつだよとは、言わずにおくけど、笑顔は大事だよ。人生が変わる。ありがとうも、小さな声でよそ向いてじゃなくて、笑顔で言いなさいね。

と余計なことを言って、私は息子をむかつかせているのだった。

グレースの友人たち3人と合流。
リサール・ミュージアムは、撮影は可。フラッシュは禁止。帽子はとる。
ホセ・リサールは、36歳で処刑された独立の英雄。小説「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」の作者。つつましいけれど、フィリピンの人たちの、リサールへの敬愛の気持ちがひしひと伝わってくるような展示だ。20数年前から数年おきに来ているんだけど、展示の仕方も少しずつ変わっているんだけど、いつ来てもそう感じる。大好きな場所のひとつだ。

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イントラムロスは、スペイン統治時代の面影のある一画だが、散策するには暑い。サンチャゴ要塞を出て、息子が探したのは、セブンイレブン
はるばる、マニラまで来て、探しているセブンイレブン
「だって自販機がないから。リサールミュージアムにひとつあったけど、壊れてるし」。
セブンイレブンあった。大聖堂の横に。
みんなでアイスクリームを食べて、飲み物とついでにハイチュウを買った。

それから国立博物館に行ったが、あいにく休館日。それなら、メトロポリタン美術館に行きたいと息子が言う。ガイドブックによると開いているはず。誰もメトロポリタン美術館を知らないので、人に聞いて、ジプニーに乗って、ついた先は、美術館ではないメトロポリタンで、美術館は、もっと違う方向だとわかる。
ここで美術館を目指す派と、ショッピングセンターに行きたい派が分かれる。美術館は行けても行けなくてもよかったのだが、グレースともうひとりの女の子が行ってくれるっていうので、あらためてメトロポリタン美術館を目指す。
通りを変えて、ジプニーに乗り込む。そのジプニーの運転手が、まだ若い男の子で、渋滞のなかを、パラパラパラパラと景気よく鳴らしながら、わりと小気味よく走り抜けてゆく。
日本でこんな運転あり得ない、こんな警笛の鳴らし方もあり得ない、と息子は大いに喜んでいた。
ジプニーを降りて、すこし歩いても道を間違えて、またトライシクルに乗って、ようやくたどりついたメトロポリタン美術館
閉館30分前。入場料100ペソ。

 

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なかに入ると一階は改装中で二階部分だけの展示だったが、これが面白かった。フィリピンの現代美術。キュービズムシュールレアリズムの手法の絵もあるが、西洋絵画とは全然印象が違う。混沌としたマニラの匂いがするのだった。すこし血の匂いがして、画面に体温があるような。画面が皮膚でその裏側に人間の肉があるような。
荷物は入り口で預けたし、カメラはだめだし、荷物を入り口で預けて、メモもとれない、パンフレットや本のようなものもないというので、なんにも記録がない。
帰国してインターネットで探して、ようやくいくつか、見てきた絵をみつけた。
私はこの絵が好きです。花嫁?

息子はこの、車の後ろに子どもがはりついている絵が気に入ったらしい。

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フィリピンの歴史を寓話的に描いた大きな絵も気に入ったらしい。拾ってきた写真は左右が切れているが、息子の記憶で再現すると、
左からは、馬に乗った青年(革命の英雄のリサールか)がやってくるが、それを阻むのは、スペインの堕落した聖職者たち、その後ろにはスペインのあとにフィリピンを占領するアメリカがふんぞり返っている、という絵らしい。右端の自由の女神の松明の火は消えていた。

メトロポリタン美術館とても面白かった。また来たい。

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美術館を出てマニラ湾を散歩。
宇和島の海とおんなじ匂いがする」と言う。たしかに。地元の人が釣りをしているあたり。
夕日の沈むちょっと前のマニラ湾。

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それからリサール公園に行く。快い夕涼みだった。噴水が、ライトアップされて、それが、大音量で流れる音楽にあわせて踊るのが、なんか、他愛ないけど、面白かった。
チョウキンでご飯食べて、つきあってくれたグレースの友人と別れて、またバンに乗って、帰る。

夜、レティ先生が、息子を呼んで、今日、どこへ行ってきたのか、聞いてくれる。
「恥ずかしがらない。きみはハンサムなんだし、本当だよ、自信をもって、ちゃんと相手を見て話しなさい」
息子、今日一日の足取りを話しはじめる。けっこうちゃんと英語話している。
「and then(それから?)のあとの沈黙がたまらなかったよ」と後で言っていたが。そうね、英語が出てこないときは、とりあえず私は、万歳して笑うかな。踊るとか、絵を書くとか、まあそんなで、なんとかなる。そんなで、なんとかできるまでには、きみは、もうすこしかかるかな。
一人っ子でスペシャルな子どもなので、よほど甘やかしていると思われたかもしれない。「料理を教えてあげないといけないよ」と私も言われたが、息子にも、「インディペンデント(独立)が大事、ひとりで、自分でやってみることがね」と促してくれたのだった。

いいね。これからきみのテーマは、インディペンデントだ。

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リテックスの市場の路地

夏の旅 フィリピン4 国鉄とMRTとタガイタイ

 

7月28日。土曜なので学校は休み。
フィリピンの国鉄に乗りたい、と息子は言った。フィリピンに国鉄なんてあるの?と私は思った。あるのだった。日本の古い車両が走っているらしく、それを見に行きたい。
国鉄の駅あたり、遠いし土地勘もないし、私は行けない、と言ったが。
マニラに住んでいる友人の直ちゃんが、連れていってくれるって言う。彼女の息子の6歳の秀君と一緒に、昼にジョリビーで待ち合わせて、そこから、配車アプリで車を呼んで、国鉄トゥトゥバン駅に向かった。

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行けてしまった。それで乗れてしまった。一時間に1本、マニラのすこし北からすこし南を結んで走っている、みたいだ。
駅はこざっぱりとしてきれいだった。切符もすんなり買えた。線路に雨上がりの水が残っていた。

私たちが乗ったのは203系。かつて1980年代から2000年代、日本で常磐線を走っていた電車らしい。そのころは電車、だったが、マニラではディーゼル車がひっぱっている。
駅には遠くに、キハ52(国鉄一般色)も見えた。

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日本の列車なのでなつかしい感じだが、ドアに鉄板が入れられ、窓には金網が入れられているのが、マニラ風。土曜の午後、客もそんなに多くなくて、車窓からの金網越しの眺めが色とりどりに変わっていくのが楽しい。貧困地域のごみごみしたところも通れば、ビル街も抜ける。

 

1時間ほど乗ったかな、エドサ駅で降りて、MRTに乗りかえる。数駅先で降りて、そこから配車アプリで車を拾ってジェイコーベンのコンドミニアムに行く予定(レティ先生とグレースは先に行って待っている)だったが、

 

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渋滞で、場所と時間があわないらしく、車を捕まえられずに1時間がたって、ようやく普通のタクシーに乗った。マニラの移動は先が見えない。
そしてみんな、とても忍耐強い。

レティ先生の末息子のジェイコーベンと、奥さんのカティは、2年半前日本に来たときに、広島まで来てくれて、そのとき、息子は学校を休んで一緒に宮島まで遊びに行った。
そのときは屈託なかったが、この年頃の2年半の変化は微妙である。
息子、ジェイコーベンに、「ほら、ちゃんと目を見て挨拶してよ」と言われている。
「おっきくなったね、ママより背が高くなった?」
ジュリアンが、空港に迎えに行ったら、同じ大きさで、同じ格好のふたりが立っていたって言っていたらしい。

秀くんの落書き帳に、息子、電車の絵を描き始めた。絵を見て、それがどの新幹線か何系の電車か、秀君が当てていくのが見事で、ふたり楽しそうに過ごしていたわ。
たしかに電車の絵は上手だし、秀君ほんとにうれしそうだし、心通うひとときでしたかね。

「学習の間をぬって、電車の絵の練習をしたかいがあったよ」
って、ぬかせ。

☆☆

7月29日。日曜日。

 

日曜日は、奨学生たちと日本のインターン生が、エラプ校で日本語を勉強したり、ミーティングをする。ジェイコーベンは、奨学生たちが日本語がすこしでもできれば、それは就職に有利になるから、応援していきたい、と言っていた。
フィリピン経済の変化もあるのだろうが、パアラランの奨学生たちがよい就職ができたのは、やはり快挙だと思う。

 

それで日曜は奨学生たちと過ごすつもりでいたら、私たちがいない間に、ジェイコーベンが、息子を連れてきているのに、どこかに連れていってあげなければ、と言ったらしく、急遽、ボーンが来てくれて、私たちはタガイタイに行くことになった。
マニラの南、タール湖のある景勝地
レティ先生とグレースとボーンと私たち5人、朝早く出発する、という話だったけど、前夜、登山仲間のミーティングとかで出て行ったグレースが、なかなか帰ってこなかったので、実際は朝ゆっくりめに、出発。

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タガイタイは2度目だけど、湖を見るのは初めてだと思う。涼しくて気持ちのよいところだった。食事、牛肉のスープとマンゴージュースがおいしかった。
山の斜面がちょっとしたプレイランドになっていて、家族連れで、にぎわっていた。レティ先生とボーンは車で待っていて、私たちは散策した。谷をロープで渡るやつがあって、息子、こわがりなので絶対無理だが(ポニーにさえ乗らなかった)、他人が空を渡っていくのを見ているのは楽しいらしかった。
ゴミ箱の近くにいた7歳くらいの女の子の気配がすこし変で、見ていると、彼女、ゴミを拾っているのだった。客が捨てていったペットボトルをゴミ箱のなかから道端から、拾い集めていた。ひとりで、毅然と。

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渋滞になる前に早めにタガイタイを出たが、それでもそこそこ渋滞で、晩ごはんをジョリビーで買って帰るのに、買いに行ったグレースがなかなか戻ってこないのは、やはり並んでいるからで、たぶんみんなをとても疲れさせた小旅行だったんだけど、そういったことも全部含めて、旅の思い出になるという、しあわせのなかに私たちはいるのだった。


 

夏の旅 フィリピン 3

 

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7月27日。
バザーで販売するためのリサイクルバッグなどは、NPOハロハロさんを通じてお願いしておく。頼んでおいたのはすっかりできあがり、受け取った。注文を出したあとになって、バザーができる予定がひとつ入ったので、その分の商品は、こちらに来てから、買うことにしていた。息子も一緒なので、荷物はいつもの2倍運べる。
朝、近所の、製作者のロイダさんの家に行く。途中、舗装されてない、石と泥のややぬかるんだ路地を歩く。そこらじゅう、のら犬だらけなので、犬の糞、踏まないようにね、と注意する。息子、「舗装されてるところはいいんだけど、そうじゃないところは、石なのか糞なのか、見分けがつかなくてこわいよ」と言う。まあ、そうですね。
バッグや小物、あれこれ買い足した。

ロイダさんの夫が、タッパーのなかで飼っている虫を見せてくれる。小さな芋虫がもぞもぞ動いている。なんの虫だろうなと思っていたら、おじさん、虫をつまんで、ばくっと食べた。
私たちにもすすめてくれるが、息子はとんでもないという顔でおびえていた。もうすこし若かったら、私食べてみたいけど、胃潰瘍をやってからは、バロット(孵化寸前のあひるのたまご)も食べられなくなっているので、食べずにおく。
あれはおいしいの?とレティ先生に聞いたら、おいしいよ、と言うので、たぶん、おいしいのだろう。

学校に戻ると、新しい奨学生が来ている。アリーア、18歳。医療技術のコースで学んでいる。今年、パアラランの奨学生は6人。そのうち新しいメンバーがふたり。
授業のないとき、4人はエラプ校で、2人はパヤタス校で、アシスタントティーチャーをする。

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このアシスタントティーチャーが、アイヴァンのような子には必要で、私の子も、幼稚園のとき教室を脱走していた頃は、クラスをもたないフリーの先生にお世話になったし、教育実習の生徒さんが加配の先生のようについてくれて、そのお姉さんと一緒にようやくクラスの活動に参加できるようになったのが、5歳になった頃。
アリーア、立ち上がって窓の外を見ているアイヴァンの傍らにいる。

今年もパアラランは給食がある。今日はごはんと豚肉のアドボ。f:id:kazumi_nogi:20180805123957j:plain
私たちもお昼ごはん。朝、台所にエビがいたから、私たちにはエビのシニガンスープが出てくるな、と思っていたら、出てきた。私、大好き。
エビが嫌いな息子は困惑している。食べられないものは食べなくてもいいので、私が全部食べてあげよう。きみは給食を分けてもらいなさい。
息子がエビ嫌いなせいで、わが家の食卓にエビはのぼらない。私、1年分のエビを食べた。

きっと息子のためにごちそう作ってくれたのに、残念だ。シニガンの酸っぱいスープは少しなら飲めるが、そもそも、ごはんとおかずを混ぜながら食べるという、日本とは違う食べ方に抵抗があるようだった。

彼はどんなものを食べるのかと、レティ先生が聞く。うーんどうなんだろう。食べられるものは食べられる。でも食べられないものは食べられない。その線引きが微妙すぎる。
たとえば卵。卵焼きは好きだが、ゆでた卵や目玉焼きや生卵は食べられない。
そういえば幼稚園のお弁当は毎日同じだった。いつもと同じ、というのが安心感の源みたいで、違うものをいれるとそれだけ残してくる。時間をかけて3パターンぐらいまでは増やしたが。
マクドナルドはいつでもどこでも同じ味なので、安心して入れるお店だ。カップヌードルも大好き。
たくさん買ってきてるから、お腹がすいたら、カップヌードル食べるから大丈夫だよ。

その息子、なかなか手ごわいのだった。旅に出たがるくせに、すこし環境が変わると、調子を崩す。去年の夏はひどい便秘になった。熱まで出て、結局病院に行ったのだ。
今回は一週間という長い旅(しかも海外)なので、便秘薬と頓服と、薬持参。

息子、ここに来てから顔もろくに洗わないし、体を洗うのもいやがるし、家にいるときも、いちいち言わないと動かないが、ここでもそうで、というかそれ以上で、もういいかげんにしてほしい、と怒ったら、彼は言った。
「だって、トイレ、蟻がいるから」

蟻。蟻?蟻! 蟻が怖くて、トイレにすわれない。蟻が怖くて、髪を洗えない。
いや、小学校低学年までは、蟻が怖くて、石に触れない、とかもあったけど、いまも、ですか。
「それにミミズも」
長いミミズ状のものは、私が八つ裂きにしましたが。

息子の話はいいわ。つづき。

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午後、買い物があるのでSM(大きなショッピングモール)に行く。グレースも給食の食材の買い出しに行くので、一緒に行く。
通りに出ると、ジプニーやトラックがひっきりなしに通る。信号はないので、数人で一緒に車の前や後を横切る。人前で手をつなぐのをいやがる年頃だが、そんなことはかまっていられないので、腕をつかんで一緒に渡る。
ジプニーを待つ間、通る車を片っ端から撮っている。彼には彼の面白さがあるのだろう。ジプニー満車で通りすぎてゆくので、トライシクルに乗る。途中でジプニーに乗り換えて、SMまで。

 

ピアノを弾きたいというので、楽器店に行くと、電子ピアノがあった。頼んだら気持ちよく弾かせてくれる。お礼を言って帰ろうとすると、店のお兄さん、こっちのほうが音がいいよと新しいのを弾かせてくれた。
スーパーでは、カートの大きさにおののいていた。たしかに日本のスーパーとはくらべものにならない大きさだ。ドライマンゴー探す。
また別の店で、肉など買う。給食なので、たくさん。カートを押したことは、夏休み帳のお手伝いのところに書いてもいいよ。
チョウキン(中華風のファストフード店)でハロハロ食べる。彼はガイドブック見て、ハロハロが食べたいと言ったのだ。かき氷とアイスクリームと果物など混ぜて食べる。私も久しぶりに食べた。

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帰り、タクシーを拾うために、スマホで、グローブの配車アプリを利用する。はじめて知ったが、とても便利そうだ。というか、マニラの街によく合ったシステムだ。

「この街の車線はとてもフレキシブルだ」と息子。「たぶん誰も車線を守って走ってないし、3車線のはずが4車線になったり、5車線になったりしているし、朝は右が3車線、左が1車線のところが、夕方は逆になっている。」
言われてみれば、そうですね。

「マニラ、半端ねえ!!」

 

学校に戻ると、息子はたいてい校長机(物置)のところにもぐりこんでしまう。人前に出るときも腕を組んだままだし、笑わないし、あんまりよくないなあと思って、
「もしかして緊張してる?」ときいたら、
「あたりまえじゃないか」と返ってきた。「日本で日本語使ってさえ、コミュニケーションは難しいのに、まして英語で、何話せばいいかわかんないし。」
そうかあ。日本でコミュニケーションが難しいのは同感だが、私はここは楽だったけどなあ。でも、さしあたり笑顔でいようよ、きみ緊張すると目つき悪くてよくないよ。
「英語の先生は日本人のあいまいな笑顔はよくないって言ってたよ」などと返してくる。
英語もできないなか、たいていのことを、へらっと笑ってしのいで、ゆるしてもらって、やってきた私としては、立つ瀬のない言われ方だが。

息子、ああ言えばこう言う状態なのだった。思うにたぶん、自我がゆらいでいるのだ。

 

ここはどこですか。ママの大切な友だちのおうちですから、友だちだから警戒しなくていいので、きみがどんなふうでも、レティ先生たちいままで、ほんとにいろんな子どもたちや日本の学生たちを見てきているから、きみがどんなふうでも全然平気なので、リラックスしなさいね。

それでも夜、アイヴァンの話から、息子が小さかった頃の話をしてやると、めちゃくちゃ面白がっていた。他人事みたいに笑っているけど、きみのことだよ。いや、ほんとに面白い子だったわ。

 

 

 

 

 

夏の旅 フィリピン 2 ぼくがいた。

7月26日。朝ご飯はグレースが作ってくれる。レティ先生の養女。最初に会ったとき、彼女まだ5歳だったが、今はすっかり頼もしいお姉さんになって、レティ先生の介護その他引き受けている。最近、登山が趣味。ピナツボ火山にのぼった写真を見せてくれた。
息子、ガーリックライスを食べるには食べたが、食べにくいらしい。レティ先生とグレースがあとでパン買ってこなきゃ、と話している。私も遠慮しない、ありがとう、お願いします。

朝9時前に、先生たちやってくる。パヤタス校はイエン先生とマイク先生。マイクは去年まで、パアラランの奨学生のひとりだった。カレッジを卒業して、パアラランの先生になった。
ほかにカレッジを卒業した子たちはよい就職ができた。ロウェルはコールセンターに、デニスは銀行に。

先生たちもよい就職をした。クリステルとロシェルは教員資格をとって、正規の小学校の先生になった。教員資格の試験では、パアラランでの経験が評価された。

マイクを別として、減ったぶんの先生の数を増やすことはしなかった。
資金不足が深刻なのだ。
受け入れる子どもの数を制限して、クラスを減らして、奨学生や親たちの助けを借りながら、やっていこう、という相談を新学期がはじまるときにした。
それでもパヤタス校だけで午前午後あわせて61人来る。エラプ校は4つあったクラスを午前午後とも2つに減らして、あわせて82人。

長く支援をつづければ、当然そういうこともあるのだけど、スポンサーさんたちが亡くなってゆく。だから時々、私は死者にお便りを出しているのだが、会ってお礼を言うこともできないままに、逝かれてしまう。メンバーが高齢になって、活動ができません、というグループもある。今年度はいままでのところ、例年の半額しか送金できていない。
7月末で資金は尽きる。

フィリピンの教育改革は劇的にすすんでいる。5歳になったらキンダーガーデンに通えるし、いままで4年間だったハイスクールが国際標準の6年間に変わりつつあるし、公立の学校は大学まで無償になった。(パアラランの奨学生への支援も、交通費と制服、テキスト代、で済むようになった。これまでの半額ほどで足りる。)

もしも、あんまりお金がなくてつらかったら(つらいので)、レティ先生の健康も心配だし、先生たちもここで安い給料で働かなくても、仕事は見つけられそうだし、子どもたちもキンダーガーデンに通えるし、パアラランはこれまで十分使命を果たしてきたし、もう使命を終えてもいいのかもしれない、と私はすこし思ったが、

やってくる子どもたちを見て、思い直した。この地域にこの学校は必要だ。
シンプルに行こう。レティ先生は学校を続ける。私たちは支援を続ける。


小学校や幼稚園に行く前の教育が、決定的に大事だということを、ここの子どもたちは教えてくれる。学ぶことが楽しいという達成感や自信がなかったら、子どもたち、小学校に通いつづけることは難しい。小学校前に自信をもてた子は、そのあともなんとかがんばれる。
この地域に、パアララン・パンタオという学校はやっぱりどうしても必要なのだ。パアラランに子どもを連れてくる近所のお母さんたち、おばあさんたちが子どもの仕草ひとつひとつを窓から見ている、その祈るような気持ちが、なんかもう、ひとごとでなかった。

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イエン先生は給食の準備。マイクがクラスを担当。歌とお遊戯とお祈りのあと、お勉強。母音のIについて。Iで始まる言葉や文字のかたちを覚えよう。それから色の学習。赤い色について。それから顔のパーツの名前。

レティ先生の次男のボーンが車を出してくれて、レティ先生とグレースは病院に行く。私たちも一緒に行く。週に2回、セラピーを受けている。看護師さんの説明によると、弱い電気を流したり温めたりして、筋肉が硬直しないように、やわらげるように、しているのだそうだ。1時間ほど。
見ていると、レティ先生は毎食小魚を食べるし、飲んだことのないミルクも飲んでいる。素直に前向きで、ああこんなふうに生きるんだなと、彼女を見ていると、老いても全然大丈夫、と心強い気持ちになれる。

息子、夏休みの宿題が半端ない。一週間も海外旅行して、そのあと帰省もして、宿題終わるはずがない。で、英語の宿題をもってこさせて、教室の隅の、校長スペース(実は物置)の机と椅子で、勉強するようにさせた。勉強するふりして、音楽聞いていたりするのは、まあいつものことなので放っておく。
トイレに行くとき、校長スペースの前を通る小さい子たちが、こいつ誰や、という顔をして、ぼくをにらんでいった、と息子が言う。そりゃ、こいつ誰やねん、だろう。ハローも言ってないのに。
ひっこんでないで、出てきて教室で、子どもたちと一緒にいなさい。それでニュースレターに使う写真撮って、と言ったら、さっきの、こいつ誰やねん、ってにらんだ男の子たちが、カメラ見せてカメラ見せて、となついてきたらしかった。

気づいたのは息子だ。
「教室に、ぼくがいる」と言った。あれは、ぼくだ。パヤタス校の午後のクラス。
見に行くと、いた。みんなが歌うときもお遊戯するときも、決して歌わない踊らない子が。すみっこで、ひとりで勝手なことをしている、ときどき歩いて、カーテンの外なんか眺めている。
いーや、ほんとにそうだ、幼稚園の頃の息子みたいだ。なんか、顔まで似ている。
アイヴァン君、4歳。右端の赤と黒のシャツ。
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レティ先生に言うと、アイヴァンは去年から来ている。今年はまだましで、去年はずっと教室のなかを歩き回って、机に向かってすわることもできなかった。スペシャルな子どもだ、彼のお母さんは、彼から目を離せなくて四六時中、彼をプロテクト(保護)している。
そうそう、そうでした。いつどこへ向かって飛び出していくかわからないし、親のあとをついてくるなんて、かわいいことはしないので、いつもいつも、捕まえていないといけなかった。

息子はアイヴァンを気に入った。翌日、一緒に写真を撮ったが、アイヴァン恥ずかしがって、顔をあげないまま。息子のほうはまれにみるいい笑顔。
「アイヴァンはぼくよりずっといい。教室で机に向かってすわっているし、おとなしくしている。僕が4歳のときは、教室にいられなくて、出席とったあとは脱走していた。教室にいられるようになったのは5歳からだよ。アイヴァンはぼくより1年はやい」
それから予言した。「彼はきっと大物になるよ」。

それからエラプ校へ。ボーンの車で行く。
エラプ校の先生は、レイレ先生とダニエル先生。それから、奨学生が3人(ジェイペロウとジャンポールとライジェル)、アシスタントティーチャーのボランティアに来ていた。

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責任者はベイビー先生。奨学生だったロウェル君のお母さんが、給食係。ロウェルのお母さんに、卒業おめでとうを伝えた。ロウェルもあとから顔を見せてくれた。ロウェルのお父さんが亡くなって、カレッジをやめて、子どものおやつのゼリーを行商していたのはたったこの間のことのようなのに。あのとき打ちひしがれていたお母さんの顔が、毎年会う度にほがらかになっていて、それがとてもうれしい。
給食の残りのスパゲティもらった。
ベイビー先生に、パヤタスカード(寄付してくれた人へのお礼のカード)の準備のお願いをする。ベイビー先生とロウェルのお母さんが、クレヨンの仕分け(色ごとにわける)をはじめたので、それくらいなら、できるよね、息子、手伝った。

 

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エラプ校周辺