この世の善意

「姉さん、おれやけど」と弟から電話がきた。とても久しぶり。
声があんまりうるさくない。コントロールができている。社長が、電話が来ないと待っている、と言う。私は兄に、こちらにくるついでに寄れる場所だから、連絡して、挨拶してくればいいと思う、と伝えて、兄も連絡すると言っていたのだが。
それで兄に電話したら、父が行きたがらない、というのだった。それに、父は弟が帰省してきても家に入れるつもりはないというので、それは、兄がホテルをとってやるという。

そこまで難しかったわけですか。それで弟は、帰れないんだな。

父に電話する。以前、弟の勤め先に挨拶に行った後のトラブルが、相当にこたえているらしく、いまの社長はよくしてくれているようだよ、と言っても、以前そう思って行ったら、借金を払えという話だった、と警戒するし、あいつも大人だから自分でやれ、年寄りが出て行くことはない、と言うし。
よくても悪くても、自分の息子がどうやって生きているかは、見届けて死ねと私は思うけど、
もしかしたら、この父のところには帰れないと思うことで、弟ががんばって成長できている面もあるのかもしれず、いずれにしても役に立たない男親であるから、まあいいかと思って、言わなかった。

弟に電話。父さんは家に入れないと言ってるけど、ホテルはとってあげるし、会うようには言っといたから、帰ればいいよ。

社長に電話。社長にはうまく言っておいてくれと兄は言ったけど、うまく言えない私は、そのまま正直に言ったけど。
これまでに、問題を起こしても自分でどうもできずに途中で逃げ出すこともしてきているし、あの子を雇うのは大変ではないでしょうか。障害者枠での雇用や、あるいは生活保護のほうが、と思うんですが。
すると社長が言うには、ぼくは、働ける間は働いたほうがいいという考えです、彼はここも一度逃げ出そうとしたことがあるし、でも帰ってきて、いまは出ていくことは考えていないと思う。難聴があるが、障害の程度としては軽くて、障害者雇用の補助は出ない。でも補聴器は必要なので、その代金は役所が出してくれた、と言う。
私が気にしたのは、難聴よりもむしろ、発達障害の件でしたが、発達障害のこと自体がピンとこないらしく、うちで働いてもらう分には問題がない、と言う。

弟には注意欠陥なところがあって、それで事故も起こしたのではないかと、私が言うと、理由を聞くと、考え事をしていたというので、家族とのことも悩みかと思って、父親との和解を言ったのだと言う。それは違うかも、と思うけど、それでも5年働かせてくれて、社長が納得しているなら、それでいいのかと思ったけど、結婚して家族でももったら、仕事もやりがいもできるかもしれないと言うに至っては、社長それは前向きすぎる、私はついてゆけません。

弟はずっと実家に住所を置いたままだったので、住民税がとんでもないことになっていたらしい。それも時効にできる分は時効にして、残りは給料の天引きで払い終えて、問題はなくなっている、と言う。そこまで面倒みてもらったのかと、ふるえる。弟の住民税のことなんて、誰も知らないし考えなかったと思う。

それから私は耳を疑ったのだが、社長は弟のことを、うちで一番よく働いてくれるし、なくてはならない社員だと言うのだった。社長の両親もとても好いていて、畑仕事を手伝ってもらって喜んでいる、と言う。

なくてはならない社員。

本当ですか?と思うけど、本当なら、なんか立派じゃん、弟。

小学校か中学校を出たら働くのが当たり前だった父たちの感覚からすれば、不憫とも思わないみたいなのだが、母が死んだあと、たった16歳の子が、何にも持たずにひとりで家を出て、この世を生きてみたというのは、たいへんなことよ。当時は分からなかったにせよ、発達障害の子が。

7年後に帰ってきたときは、刺青あったり小指がなかったりして驚いたけど、あのとき、布団をたたむのがとても上手だったことにも驚いたのだ。ヤクザの親方のところに住み込んで、朝の掃除が日課だったらしい。そんなことを思い出した。

16歳で家を出た子は、ヤクザの親方、土方の親方、あっちの親方こっちの社長のところで、布団の畳み方からはじまって、彼なりに生きることを学んできたのかもしれない。
そして、この世の善意を味方につけたということなのかもしれない。いまの社長は、自分のミスから逃げずに、自分で責任をとることを、強く言って、弟を引きとめてくれたという。
家族が何にも教育できずに、放り出すことになってしまった子を、世間が育ててくれたということかもしれない。

弟がどこでどう生きてきたかなんて、私は聞く勇気がないし(社長は彼の話は面白いと言ってくれるが)ほんとのところ、生きのびてきただけでも、途方もないことだと思うんだけど、「なくてはならない」と言ってもらえるなんて、この世の善意もすごいけど、私の弟も、えらいかもしらん。
生きるにあたっての間抜けぶりを、弟がたくさんのハンデを抱えながらも、半世紀かけてなんとかできるというならそれは、彼がこの世に希望を置いていけるということだ。



それでまた私はひとしきり、弟の名前と息子の名前を呼び間違えたり、息子に向かって、姉ちゃんは、と言ったりしていて、気づいた。
似てるのだ。弟と息子。この人たちは似ている。

一方は、テストで100点取れなかったことを悔しがっていて、
もう一方は、テストなんて名前書いて終わりで、もし同じクラスなら、上から1番と下から1番くらいに違うが、
心の感触は似ている。

私がどうして男の子の子育てを、こんなに気楽にやっているかがわかった。弟で慣れているのだった。失敗や、いじめられやすさについて、心構えができるし、彼らの非常な美質、素直さや優しさや、明るさや純粋さを、ふしぎな勇気を、大好きで、そして信じているからだ。