星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

バケツのコスモス

天気がよかったので、午後は畑の草刈り。ひたすら草刈り。
ようやく、にんにくを植えるスペースぶん、草ひきして、耕した。Cimg9109

草のなかから、枯れずに残ったいちごの苗があらわれる。(枯れたのもずいぶんある)。いちいち植え替えてやる。この作業もえんえんと続けている。

草と一緒に刈ったコスモスは、バケツに入れて庭に置いた。

はや10月。お隣から栗をもらった。息子は食べないので、栗ごはんは、湯がいた栗のなかみを、あとからごはんに混ぜることにした。じゅうぶん美味しい。Cimg9106_2



テレビを、あんまり見ない家だと思う。テレビから音が聞こえる、ということがまずない。見たい番組のあるときは、家族の邪魔にならないように、それぞれがヘッドホンして見ることが多い。自分が聞こうと思っている音ではない音が流れているのが、3人ともきらいなので、文句を言い合っているうちに、いつのまにかそうなった。
音があるのは、パパと息子が野球を見るときぐらいかな。いまは試験中なので、テレビつけないようにしているが。
なのに、勉強しているはずの息子が、音を消したまま野球の試合を見ていたりすると、裏切られ感、あるよなあ。

そんなわけで、テレビでニュースを見ない。わざわざヘッドホンして、テレビの前にすわってニュースを見る、ということはしないのだ。ニュースはパソコンを開いたときにチェックするだけなんだけど、ちょっと見ないと、よくわからないことになっていたりする。
いつのまに解散総選挙。いろんなことが嘘っぽくて、ネットの記事に騙されているのかなと思ってしまいそう。

衝撃は、希望の党かな、やはり。
希望って、こんなに虚無感を感じる言葉だったっけ、という衝撃。

(それが、私の感じ方の間違いなら、いいと思うんですけど)

 ☆

フィリピンで、ゴミ山を歩きまわっていた頃、貧困の惨憺たる光景に、胸がつぶされそうな気持になったりしていた頃に、
「パガサ(希望)」という言葉に、すがりつきたい気持ちがしたことを覚えている。
希望がいる、希望がほしい、学校が希望になるのなら、学校がほしい、お金が希望になるのなら、お金がほしい、そう思った。
それが、パアララン・パンタオという学校の支援をはじめた、私の初心だった。
何年か前、フィリピンで見た印刷物に、パガサ、という文字を見たとき、そのことを思い出して、パガサというその文字が、目にしみてくるようだった。

  忘れていた言葉を思い出す「パガサ」ほしかったのは希望(パガサ)のつばさ

って短歌を書いたけど。

希望って、本当は、とてもリアルな、心の動きだと思う。慕わしさとか、愛おしさ、なつかしさ、乾いた喉を潤す水、朗らかさとか喜び、勇気とか、献身とか優しさ、祈り、そのようなものとして、心を震わせる。

私は私の初心を、忘れないようにしよう。
言葉を、虚無の側に、引き渡さずにすむように。