星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

希望

明日から定期考査なんだが。広島カープのせいで、まあそうでなくてもだが、落ち着かない息子だ。パパが音を消して見ていると、足音しのばせて後ろに立っているとか、私が台所からちょっと離れると、食器棚の引き出しにおいてあるiPadをのぞきにくるとか。ひっきりなしに冷凍庫から氷を出してかじっているとか。机に向かって5分とすわってないだろうっていう。学校で50分すわっていられるというのが信じられないくらいだ。

定期考査なので。日頃学校に置きっぱなしの教科書も持って帰る。(英語の教科書は持って帰るのを忘れている…) 国語の範囲が、魯迅の「故郷」と芭蕉の「奥の細道」で、なつかしく読んだことでしたが、ワークブック見ていたら、
「故郷」のテーマをめぐって、故郷への絶望、というような内容を選んでいる。
それもそうだけど、それならばよ、最後に出てくる、あの美しいフレーズは、なんのためでしょう。
 「まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

幼馴染みのルントウとの関係の変容は、封建社会身分制度のもたらす社会の絶望的な面を語っているのだが、それがなぜ、最後に突然、「希望」についての話になるのか、よくわからないふうだった。
そういえば、私も中学生で読んだとき、よくわからない話だった、と思う。教科書に載っていただけで授業ではやらなかった記憶だけど。魯迅で痺れたのは、大学生になって読んだ「狂人日記」だったが、たぶん狂人の妄想の話が面白かったのだ。

目の前に絶望がある。でも、未来を生きる子どもたちがいる。それならばどうしても、希望が要るのだ。希望がないなら、希望をつくらなければいけない。
という思いは、今でこそ私にも自然なものだけれど、
でも思えば、子どもにとって、子どもは、未来などではなく、相当にうんざりな現在、現実そのものなのだった。

そういえば、息子がいろいろ絡まれて、困って先生に相談したワンワンたちの件。息子は、それはしんどかったね、と先生に共感してもらったことで救われていたからいいんだが。事情をきかれたワンワンは「仲良くなりたくて」と言ったらしい、「カス」と暴言を投げつけてきたAは、去年息子に話しかけたときに反応が薄かったのが気に入らなかった、というのがずっとあって、それで思わず言ってしまったらしい。それぞれ注意されたらしい。
そこはもう、個性の違いなので、どうしておれの思うように反応しないんだと言われても困る話だ。コミュニケーションの流儀が違うのだろうが、無駄に傷つけたり傷ついたりしないことを考えたいよね、というところだけど。

ワンワンはでもその後も、学校に来ることと謹慎とを繰り返しているらしいんだけど、ふるまい方がわからないというふうなんじゃないだろうか。それで、踏んではいけないところばかりを踏んでしまう。あるいは自分で自分を踏み外してしまう。(私はすこし身に覚えがある)。

それでも、道は未来へつづいていく。

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青春18きっぷの広告。……雪国というものを初めて見た。
技術の授業でつくったらしい。雪国って、近くの駅ですけど、これ。