小さいおうち

「小さいおうち」(中島京子)を読んでいた。昭和の、戦前の話のなかで、昭和15年にはオリンピックが開かれるはずで、その話題とか、紀元2600年の奉祝曲の話とか、読んでいて、ふと現実のニュースを見ると、こちらはこちらで令和の奉祝曲の話で、どちらもが地続き、どちらも現実、どちらも虚構のようで、へんな気分だった。
「小さいおうち」面白く読んだが、どこにどんな愛情があったかなかったか。嘘と秘密と本当と。言わないで死んでゆければいいようなことが、人生にはあるよ、と思ったりした。

ところで、私の愛用?のキッズケータイが、そろそろ使えなくなる。来年からサポートしてくれなくなるらしい。私がケータイなんかもたないと言ったら、連絡取れなくて困ることもあるから、と息子の名前でのキッズケータイをもたされて、かれこれ10年くらい? 私はポケベルも知らずガラケーもついに使ったことがないが、いまでは高校生の息子がスマホを欲しがるようになった。
それで、キッズケータイが使えなくなったら、私が手ぶらで出かけてしまうのが、パパは心配らしく、とうとうスマホを買うことになった。
息子は自分のスマホだと思って喜んでいる。パパは、ママが出かけるときに持たせるのだと言っている。まあ、そのように使うらしい。

で、買いに行ってですね、電気屋で店の人とパパと息子と話しているのが、私はなんにもわからんかった、わからんかったんですけども、スマホはやってきた。
とりあえず、家族や友人の電話番号を入れる。息子に全部やってもらう。やってもらいながら、まずいな、とちょっと思う。これらは母の秘密の人間関係ではないか。
しかし、たいした秘密もございませんね。

夜ごと、息子からスマホを取り上げるのが私の仕事になりそうで、めんどくさっ、と思っています。

昔さ、ポケベルの時代に、会社にポケベルもたされた人たちが、首に縄つけられたみたいでいやだと、言っていたのが隔世の感あるよね。

私、キッズケータイ程度でよかったんだけどなあ。それもたいてい電池切れてるとか、もって出てないとかで、よく叱られたけど。スマホ、使える気はしない。

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もうひとり11月生まれの人がいて。