リアス式海岸

15日の昼、 Img_5207

海のほうを1時間ほど、父をさそってドライブした。
くねくねのリアス式海岸

湾ごとにあらわれてくる光景は、どれも似ていて、すこしずつ違う。

・・・次、トンネルがあって・・・それから、見晴らしのいい山にのぼって・・・ここは昔わしが仕事にきたところ・・・ここの山は、蕨のすごいのがよく採れて、母ちゃんと一緒に採りにきたところ・・・ここは昔、2月に、いかだの上の小屋をつくる仕事しよって、海に落ちたところ・・・

と父が、ガイドしてくれるのだが、
・・・ありゃ、おかしい、あの道はどこへ行ったか、あの集落はどこやったか・・・ Img_5217


と、ところどころ記憶はあやしくなる。年とってぼけたと嘆くので、
「父さんがぼけたんじゃなくって、昔っから、宇和島リアス式海岸は、のびたりちぢんだりしよるのよ」
と言ったら、ほんとにそんな気がしてきた。

父が、あれこれなつかしそうで、楽しそうである。

どこがどこやら、私はわかりません。 Img_5220


遠足のときに、ひたすら海岸を歩かされた記憶があるけど、歩いて、どこにたどりついたのだったろうか?

山の緑と海の青。
遠足というのは、山にのぼるか、海岸を歩くか、だったが、どの山を登り、どの海岸を歩いたか、わかんないな。

山の緑と海の青。
絵具箱から真っ先に消えた緑と青。

海が見たい、と死ぬ前に母さんが言ったらしい。それでくーやんが、連れていってやる、と車を出してくれたが、母は車に酔う人なので、気分悪くなって、結局海まで行かないで帰った。そのあとはもう、寝たきりで、海を見ることはかなわなかった。

海まで、たったこれだけの距離なのになあ。

午後、パパと息子は、また温泉の温水プールで、浮かぶ練習をした。
その間、父と私は温泉の座敷で、のんびり高校野球見ていた。
父が、兄になにかあったか、何か聞いとるか、と言う。
何ごとかと思ったら、去年の冬ぐらいから、兄がかわった、毎週温泉に連れてきてくれたり、親孝行してくれる、という。
仕事もなんとかあるし、年金ももらえるようになったし、それなりに落ち着いたんじゃないの、と私は答えたが、

でも、変わったのは、どちらかというと、父のほうだと思う。
以前は、穏やかさの奥に、息子たちへの愛憎の、怨みとも不信ともなんともつかない暗いものが凝っているようだったんだが、いつからか、それがない。
溶解したかな。思いのほかの好々爺になった。

「金は、なくても心配だが、あっても心配だ」と笑う。
たしかに。金があれば賭け事をし、金がなくなればホームレス寸前になる。
そうよ、去年の冬、兄は高いみかんを送ってくれたが、どうせ何かに使わずにいられないなら、私たちが何かしてもらっていけないというものでもない。

それから叔父(無口で、釣りの上手なほう)のところに行ったら、兄も仕事切り上げて帰ってて、私たちのために、叔父さんが釣った魚をさばいて冷凍してあるのを、氷と一緒に発砲スチロールの箱に一杯つめこんでくれている。店で使うエビとベーコンも入れといたって言う。
それから、一緒にかまぼこ屋にいって、お土産に、じゃこ天とちくわを、買ってくれる。このお土産代は、もうひとりの叔父(よくしゃべるほう)、が出してくれたらしい。

いろいろと、ありがとう。 Cimg4424


しまなみ海道から見た夕日。


それで帰ってきてから2日間、昼ご飯はちくわ、夜ごはんはじゃこ天。
ちくわはもうなくなったけど、じゃこ天はまだあるので、今晩もじゃこ天。