星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

前世紀の

病院で問診票書くのに、子どもの生年月日、西暦と平成の変換を、迷う。昭和からの切り替えが、いまだにできてない感じなのだが、ここんとこまた急速に頭悪くなってる気がするわ。

さて、平成も15年を過ぎて生まれた子どもは、21世紀に生まれた子どもなのだ。

図書館で、「日本の産業 自動車と化学工業」というような本を借りてきて読んでいた子どもが、ママこれはいつの本って聞く。奥付を見ればいい、1996年って言ったら、「なんだ20世紀の本か」と吐き捨てるように言った。

なんかショックだったのだ。

それで気づいたのだが、私の頭のなかはどっか、子どもの頃に「いまは20世紀で、未来は21世紀」って思ったそのままなのだった。

ああ、子どもの頃の私は、21世紀ってずーっと未来だと思っていて、その頃には人類はもっと幸せになっていると、思っていた。

が、いや、すでに20世紀は過去で、私たちは前世紀から来た人間なのである。

考えてみれば、戦後20年近くたって生まれた私は、戦前や戦中のことを、うまく想像できない。生まれる前のこと、まして戦争以前のことは、過去も過去であり、すでに必要のない時代遅れの情報、と感じてきた。
同じように、21世紀生まれの、平成も15年過ぎて生まれた子どもにしてみれば、昭和であるとか、20世紀であるとか、そりゃもう、昔話の世界だあね。

そして私は、過去に対して、父母や祖父母たちの人生に対して歴史に対して、しごく冷淡だったのだが、「なんだ20世紀の本か」と子どもが言ったとき、それはそのまま、かつての自分の冷淡さだったんだと、ひやっとした。「なんだ20世紀の人間か」と、捨てられてゆくんだろうな、と。



振り返って、親たちのことをほとんど知らないことに気づく。親たちも語らなかった。時代がちがうから、と。たぶん、戦争は、ひどい断絶をもたらした。私はいま、自分の祖父母の名前も、はっきりおぼえていない。伯父伯母叔父たち従兄弟たちのことも。その来歴も。聞かない間に死なれてしまう。

子どもに中国語の1から10の数え方を教えたときに、それは私が、母から教わって、母はその母から教わったのだが、祖母は、少女の頃に、支那で暮らしたことがある、と私は母から聞いた。

支那、と言った。母方の祖母は、少女時代に奉公先の一家について、支那に行った。たぶん1910年代か20年代。父方の祖父は、戦争で二度も徴兵されて支那に行った。30年代と40年代。母方の伯父たち3人も、戦争で支那に行った。40年代。「支那に行った」と言ったのだ。中国に行った、なんて言わなかった。

その「支那」が差別語である、という。記憶のなかで、差別語のように聞いた記憶はないから、とまどったが、そのように使われてしまえば、当然そうなる。
なのだが、その言葉を避けると、なけなしの家族の記憶が、その部分すっぽりと消えてしまうようだ。中国、と言い換えると、何か別のものに変容してしまう。
支那」でなければ、祖母や祖父や伯父たちは、どこへ行ったのだろう。
ついでに言うと「土方」も「百姓」も差別語らしい。では私の父や伯父たちは、何をして生きてきたのか。
通学路にときどき出現する「おしのとっつぁん」と呼ばれていたおじさんがいたが、あのおじさんのことは、なんと呼べばいいのか。

言葉を排除する。排除せざるをえないような言葉の使い方をしていく。そうすることで、歴史が消える、他者が消える、言葉とともにあった肉体性が消え、愛情が消える。それらにつながっている私たちの存在そのものを、削り取っていく。

差別語をつくりだしてしまうのは差別だが、それはもう、差別される側に対してのみならず、差別する側が自らに向けた排除であり暴力だなあと思った。アイデンティティそのものをえぐりとるような残酷さの。



子ども、アメリカ合衆国の地理だか歴史だかの本も借りてきていて、言った。「インディアンっていうのは正しくないんだよ。ネイティブ・アメリカンって言うんだ」
となると、なぜ、インディアンと呼ばれたか、というところに遡って、話してやらなくちゃいけないわけだ。新大陸発見のことから。で、その新大陸発見という言い方からして欧米中心の史観なんだよとか。

参考書がいる。