続 うさぎ晴らし

何かをやろうとするときに、誰かに相談なんかしたら、反対されるばっかり、なのだが、しなければしないで、うるさいわけだし、そこらへんのやりくりの難しさに、貧乏が拍車をかける。思えば大学進学を父に大反対されたときからそれは始まっているのであって、ほとんど宿命的と思うわ。

あのときは、金なんかない、と父がいうから、金なんかだしていらない、と言って進学して、父に逆らって家を出る以上は、もう自分に帰る家はない、と覚悟したけど。でも生活費稼ぎのバイトに疲れて、大学まともに行けなかったな。いま、若者の貧困とか、奨学金という借金、などという記事をみかけると、ああ、時代が私の後をついてくるよ、と思うんだけど。

いま、フィリピンのゴミ山の麓の学校を支援できたり、奨学金を出せたりしていることは、私の人生の「うさぎ晴らし」ですけれども。助けてくださるみなさま、ありがとうございます。

思えばパアラランの支援をはじめたときも、やめとけっていわれたんたわ。たぶん誰も私がそんなこと、できるなんて思わなかったし、私も思わなかったけど、やらない、なんてことはできなかった。支援してくれる人たちがあらわれたことが本当に不思議で、自分が大切に思うことを、誰かに応援してもらえる、という感覚が、私は本当に幸せだった。

話戻って。いまはもう、自分のことでは、あんまり理解ものぞまないし、他人の感情の相手もいちいち面倒臭いし、内緒でできることは内緒でやるけど、内緒でできないことをどうするかだよなあ。家族もいるし。反対されるよなあ。むずかしいなあ。