詩人が詩人の仕事を

ものを書くなんてことは、人に喋ってはいけないかもしれないことを、でもなんだか胸にたくさん抱えてしまうし、困り果てて思いついたことだった。

ノートのなかなら治外法権。お父さんもお母さんも先生も見てはいけない。だれも私を責めるな。いいとか悪いとか言うな。だれも私の息をとめるな。

でもどこかに、こっそり読んでくれる友だちはいないかしら。
読んだよ、とも言わないで、名前も顔も知らないままで、
こっそりほほえんでくれる友だちはいないかしら。

私がものを書いてるなんてこと、偽名つかって短歌書いたり本出したりしてるなんてこと、親たちは知らない。
誰も知らせてはいけない。喋ったら絶交だから。

だいたい、喋るのがいやだから、こそこそ隠れて書くんです。
人前に出るなんていやだ。
なのに、詩人は朗読会をするという。
詩人は朗読会をするものらしい。
朗読だって。名前も顔もばれてしまう。声もばれてしまう。信じられない。

でも、河津さんは朗読会をするという。
朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」朗読会。
ああ。あの日私が、大阪に行かなかったら、広島で朗読会するなんて、こんな話にはならなかったかもしれない。

なりゆきというのはこわい。

河津さんがアンソロジーをたくらんだことのすごさは、他者の発語を励ましたことです。

わたしはかわいい3月ウサギ、とか、ぼくはかしこい7月キツネ、とか、
そんなことを言いたいだけの詩人はたくさんいそうだけれど、
他者の言葉のほうに、沈黙のほうに、傾いてくれる詩人って、いそうでいない。

日本の詩人の詩が呼び水くらいにはなって、在日朝鮮人詩人の詩が収録されたこと、それから一番すごいのは、朝鮮高校の生徒が詩を書いたことだわ。
京都の朝高生につづいて、広島の朝高生たちが。

河津さんのブログで紹介されています。こちら。
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2010/11/post-db62.html
「彼らの声を聴いて下さい1」

詩人が詩人の仕事をしている、と思う。他者の発語を励ましている。この朝高生たちの詩があらわれてきたというなりゆきこそは、詩人が詩人の仕事をしたからなのだと思う。

詩人の仕事をしている詩人が、朗読会をするという。
逆らえない。

朗読会します。朗読会。11月21日。日曜日。広島朝鮮学校で。
来てください。