佐田岬(灯台)と夏祭り

それから岬の灯台まで。Cimg4126

昔はずっと、みかん畑だったらしい。
「岬のだいだいはうまい」と父。色がすこし白っぽいのが特徴らしい。

三崎の港を過ぎたあたりからか、ふつうの舗装されたくねくね道になって、車でゆける行き止まりまで、けっこうあったなあ。
そのあと、灯台まで、山道を歩く。1800メートルって書いてあった。
のぼったりおりたり、けっこう大変でしたが、木陰で風が吹くところは気持ちがいい。じいちゃCimg4154
んもそこらの木を拾って杖にして、足腰弱ったとぼやいているわりには健脚だった。


歩いたかいはあるというもので、途中の海岸が、息をのむほど美しい。
このあたりの岩は青緑色で、砂が青い。海の色がほんとに青くて透明で、すごいな。人もいないし、ゴミもない。石を拾って遊ぶ。
道の右側は、瀬戸内海の海岸、左側は宇和海の海岸、で、瀬戸内海側のほうには、バンガローや店もあって、たぶん原発で道ができたころに、できたのだろうが、すでに廃墟だった。 Cimg4166_2



それからまた歩いて、灯台の見える展望台まで。瀬戸内海側のほうは、少し波があって小さな渦を巻いている。それで「このあたりで取れるサバはうまい」のだそうだ。
戦争中の格納庫があった。私たちのような観光客もけっこういたが、白いシャツで杖つきながらやってくるおじいさんたちは、なんというか、観光客というより、巡礼の趣だった・・・ Cimg4214




帰り、そのまま松野町まで行く。息子が寿司食べたいというので、父のおごりで寿司食べる。
それから夏祭りに行って、橋の上の屋台でかき氷食べて、花火見る。河原で花火を打ち上げる場所まで見えるし、すごい迫力なんだけど、私はそれが楽しいんだけど、息子は、うるさすぎて耐えられないと耳をふさぐので、ちょっとだけ見て帰る。Cimg4261
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ホテルでニュース見ている息子に、高校野球はどうだったってきいたら、(注目していたのは第4試合、高知明徳と広島瀬戸内)
「負けてしまった」って彼は言う。ええ、どうしてえ、と思って、テレビ見たら、勝ってるじゃん。2-1で勝ってるよ。

ああそうか、とすこしして気づいた。私は四国の高校生だったから、当然、四国勢を応援するわけです。でも息子は、広島の子なんだねえ。



それで今日、ニュース見たら、福知山の夏祭りで爆発、とあって驚く。それからいきなり思い出した。
昔、弟が、まだ十代だったと思うんだけど、屋台のテキヤをやっていた。こういう祭りに店出すのだ。そのときに、屋台を焼いてしまったという話を聞いた記憶が。
あれは弁償したのか、それとも逃げたのか、どういうことの顛末だったんだろうか。あんまり昔すぎて思い出せない。
わかんないけど、人身に何ごともなくってよかったのだ。弟、案外、運のいいやつかもしらん。

父には、最近の消息(といっても半年前くらいか)伝える。すると、そういえば、たまに無言電話がある、と言う。父が出ると、切れる。弟だろうか。
「親父が生きとるのを確かめにかけてくるんやろかねえ」と父。

そうかもしれないし、そうでないかもしれないし。