星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

ひとの話を聞いてない

広島に戻ってきた。まず対応しなければならなかったのが、息子の、例の英語の自主学習ノート。
またしても再提出。今度はその日のうちに再提出したようなんだけど、それでも不備で返されている。テストをなおして一緒に提出しろということなのに出していない。
なぜかをきいたら、
「どのテストかわからない」っていう。そりゃこないだの定期考査のでしょう、と思うけど、秋休みの課題のテストもあったからって言う。わかんなかったら、聞きに行かなきゃって言うと、「職員室こわいし」って言う。まあ気持ちはわかるけど、
「ぼくは職員室に行かずにすむように、再提出や未提出がなくてすむように、がんばっているのに、なぜうまくいかないんだろう」
と、しょんぼり、ぐずぐず。
このまましょんぼりが続いても困るので、
私が先生にお手紙書くことにした。
息子は再提出の意味はわかったけど、テストがどのテストかわからないって言ってます、職員室こわいし、って言ってます、とか、そのまま書いた。わかんなかったり困ったら先生に聞きに行くように、言いましたのでよろしくお願いしますって、提出用の英語のノートに書いた。

すると先生からお手紙。授業中にどんな指示を出したかを、具体的に書いてあった。それが本当なら、息子が話を聞いていないのである。息子には、職員室はこわくないから聞きに来なさい、友だちに聞いてもいいよと、声をかけてくれたらしい。声をかけてもらった息子はちょっとほっとしたみたいだ。

だいたいわかった。つまり、彼は私の子どもなのだ。つまりこいつは「ひとの話を聞いてない」のだ。(息子は私よりはちょっとはましかも、と思っていたのだったが、幻想だったね)

メモ。息子の側の問題点は3つある。

①中学に入り情報量が増えたので、対応しきれずに忘れる。

②先生がみんなに向けて話すことを、他人ごととしてぼんやり聞いている。言葉の断片にとらわれて話の意図を理解できず、自分勝手な解釈をしたり、自分が具体的に何をすればいいかがわからないままになる。 

③聴覚過敏の特性による。息子は聴覚過敏があり、大きな音が苦痛、ざわついた場所が苦手。また人の話を聞き逃すことがある。(通常は、多少の雑音があっても、自分が聞こうと思う声を選んで聞き取ることができるが、それができない。たとえば椅子の音やまわりのおしゃべりなどの雑音が耳に入ると、先生の声が消えてしまう、というふうになる)そのため、人の話を聞き逃す可能性が、日常的にある。

こういうことでしょう、と息子に言ったら、うんうんとうなずくのでしたよ。もちろん、すべて私自身のことだ。

①については、メモをとるなどの工夫をする。②については、聞くときの意識を変える。すべて自分ごととして聞く。先生の話の意図を考えながら聞く。自分はどうするかを考えながら聞く。すぐには変わらないにしても、努力はできる。
③については、そういう自分だと知っておく。

いずれにせよ、息子の特性でもあり、コミュニケーションの課題でもあり、これからも向き合っていかないといけないことなので、今回の英語の先生との件は、彼にとっては、自分のコミュニケーション障害を理解するいい経験になるかもしれない。

息子には言った。自分の特性や弱点をよく知って、わからないこと、曖昧なことは、先生や友だちに聞いて確かめる習慣を自分でもつこと、うまくいかないことはよくあることで、いちいち沈まなくてもいいこと、でもそういうときこそ、人と対話する勇気が大事なんだよ。

ひとりで完璧にやろうなんて無理だから。できないことばっかりだから。そこをどうやって補うかって対話するしかない。対話して生きていくしかない。だから、再提出の罠も、コミュニケーションの訓練だから。

それでまた私は先生にお手紙書き書き。
「まさか、ママ、先生と文通する気?」と息子が、なんだかうれしそうに聞く。いや、これで終わりにしたい。あとはきみが自分で先生とお話するんだよ。