パラダイス

先週、映画「万引き家族」観てきた。シナリオも役者も凄かった。あの疑似家族のもっているなつかしさ。子どもの頃、よその人も、ときどき家族みたいにうちにいて、一緒にごはん食べたりしていたこととか、思い出した。家族だけじゃない、いろんな大人や子どもがまわりにいたことに、たぶん私は救われた。大人になってからは、私が、よその人に家族みたいに受け入れてもらって、住まわせてもらって食べさせてもらって、生きのびたこともあったし。
最後に安藤サクラが、あの家族の日々を、「おつりがくるほど楽しかった」とたぶんそういう言い方をしたのが、心に残った。そうか、家族と過ごすって、おつりがくるほど楽しいことか。

それから新幹線の殺傷事件があった。事件の残酷さは、そのままこの社会の残酷の写し絵のように思えるんだけれども、偽善と利己と無理解と暴力がつくりだした殺意と思う。そのどれもが、偽善も利己も無理解も暴力も、とてもありふれていると思う。私たちはその殺意の形成に加担していないかに自覚的になったほうがいい。
何年か前に、私の住んでる町の近くで、不登校になった高校生が、祖父母に預けられて暮らしていたんだけど、学校に行かないことをなじられて、祖父母を殺してしまった事件があったことなども思い出すけど。

 

ふと思い出したのが、昔読んだ、トニ・モリスンの『パラダイス』という小説。人間は楽園をつくろうとして、地獄をつくりだすという話。
黒人だけが住むルービィという名の架空の町があって、町はずれに修道院がある。その修道院には、いろんな過去と傷とをもった女たちが流れついている。ここには黒人も白人もいる。親に捨てられて自傷癖をもつ娘とか、自分の子を不注意で死なせてしまった母親とか、幼少期の性虐待で心に傷を負った者とか。彼女らは、無秩序で自堕落な暮らしをしていて、でもありのままを受け入れる寛容さがある。
一方町は、男たちが支配している。厳格な父権社会で、肌の黒さを基準にした差別的で排他的な社会。社会的な成功や経済的な豊かさを獲得しながら、人間の器を小さくしている。よそ者を蔑み、支配できないものを憎み、男たちは、若者たちの反抗や障害児が生まれたことも、忌まわしいことは全部、修道院の女たちのせいだと考え、そして町の秩序と幸福を守るつもりで、修道院を襲う……という話。

男と女、親と子、肌の色の濃い薄い、いろんな対立や相克があって、それらが不幸やら苦悩やらをもたらしたあげくのはてに、暴力や破滅に向かう、地獄にまっしぐらなんだけれど、でもこの物語は、彼らが歩まなかったもうひとつの可能性をきらめかせている。不幸や苦悩だと彼らが思う同じものが、調和や癒しでもあり得たということ。地獄へ向かう道の裏側にいつでも、パラダイスへの道もあったということ。それはほんとに紙一重なのに、その紙一重の向こう側に行けなくて、人間は地獄をつくってしまう。

その紙一重に、思いをこらしたい。ヴェイユなら、注意深さ、祈り、と言うと思う、その深さでしか超えてゆけないような、紙一重の、とほうもないはるかさの。

『パラダイス』を読んだのは、20年ぐらい前だと思う、自分が家族や子どもをもつなんて思ってもなかった頃だけど、いま家族がいて子どもがいて、本当におつりがくるほど楽しいと思う。

ここんとこ毎夕方、ピアノから「きらきら星変奏曲」が聞こえてくるのも楽しいし。いま考査前で、夜中まで、因数分解の問題の解けないやつを一緒に考えるのも、泣きたいほど楽しいし。
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これは向かいの森の、沢の近くの。モリアオガエルの卵だよって、近所のおばあさんが教えてくれた。

 

変わった子

胸の痛い事件がつづく。5歳の女の子の虐待死も、新幹線の殺傷事件も。新幹線、今度は人身事故で新下関で止まっているとか。地獄のリアリティぶりが心臓に刺さる。
おかげで、米朝首脳会談のニュースとか、どこか遠くのレビューのニュースのようだった。平和的だったし。

新幹線の殺傷事件の報道、犯人の障害名を見出しにもってくるなんて、さすがにそれはない、それは駄目だと思った。訂正消去されたみたいだけど。偏見が助長されたらマスコミの罪だと思う。そうでなくても生き難いなかを、絶望と闘いながら生きてるのに、そういうこと全然わかってないだろっていう。なんかなさけなくなった。
障害を取り上げるなら、障害者を絶望させない社会をつくれるかということを問い続けてほしいけど、そういう粘り強さが、あるとも思えないので、無責任に書くなよ、と思う。

それはそれとして、とりわけ、胸にひっかかっているのは、犯人の父親のコメントだったりする。ああ、似てるよ。自分の息子を変わった子というあたりとか。「変わった子」って、私もたくさん言われてきましたけど。自分が何か苦しみを感じると、相手を「変わった子だから」という理由で排斥することで、自分を守ろうとする男たちというのは、うちの父をはじめとして、たくさん見てきたわ。

親が悪いとか、そういうことを言うつもりもないんだけど。

ああ、こういうことか、といろいろと思った。さしあたり私の父は、あの犯人の父の姿を見て、自分が、息子に対して全くダメな親だったことを、少しは自覚して欲しいし、にも関わらず、たった16歳で帰る家を失った、発達障害と軽い知的な遅れもありそうな息子が、ヤクザに拾われたりそこを抜けるのに指を失ったりしながらも、犯罪に手を染めることもなく、いじめられて職場を追われてもホームレスになっても生きのびて、社員は家族だからと言ってくれるような会社に拾ってもらえたことについて、運を天に感謝すべきだと思う。
たぶん、気がつかないと思うけど。「迷惑かけてごめんなさい」と去年帰省した弟は言ったらしいんだけど、本当は、父さんが謝るべきなんだと思うよ。あの子に、こんなに苦しい、たいへんな人生を生きさせてしまって。

それからまた思い出したのは、兄の借金のせいで、毎晩ヤクザが取り立てにきていた頃の光景だった。玄関で土下座して謝っているのは母だった。父は他人顔だった。兄と父は血はつながってないし、近所の家を見ても、子どものことで、悩んで泣いているのは母親ばかりだったから、そういうもんかと思っただけだったけど、でもあのとき、高校生だった私が思ったのは「父さんは苦しむのを怠けてる」ってことだった。
もしかしたら、怠けた罰で、母さんに先に死なれて、ひとりで長生きするはめになったかもしれない。と私はひそかに思っている。言わないけどね。
そして、あのときヤクザに土下座していた母は、「変わった子」である私たちを絶望から守ってくれたのだと思う。

犯人の母親のコメントも読んだ。育てにくい子でって。
きっと本当に困りながら、子育てしたんだろうなということは、想像できるけど、愛情も疑わないけれど、

もしかしたら、欠けていたのは、「覚悟」だったんだと思う。そして思うに、「覚悟」のない愛って、地獄をつくる。

童子の死

森田童子が亡くなっていたらしい。今年の四月に。
ふいに胸に痛みが走る。それで、ユーチューブ聴いている。

若い頃に聞いたとか、そういうことではないのだ。ずっと名前しか知らなかった。ある日、人からもらったカセットテープに、森田童子の「サナトリウム」の曲が入っていた。それが彼女の声を聞いた最初。声に惹かれた。90年代の半ば頃。ああもう20年以上前なのか。
あのころ私、人生がもう終わったみたいに、玉手箱の煙のあとみたいに感じていたから、(そういうことはときどきあるみたいだ。子ども時代の終わりとか、たぶん青春の終わりとか)その歌も、ずっと過去の方角から流れているみたいに聞いていたんだけど、
そしてたしかに、過去ではあったんだけど、そのときでさえ、私も、私の兄たちの世代の森田童子も、今からみればじゅうぶん若かったのだ。と、いま気づいて驚いている。

そのカセットテープは、面白かった。といってもはっきり思い出せないんだけど、ロシアの、ソ連というべきかな、ヴィソーツキーの曲なんかも入っていて、早い話、そのカセットテープを編集した人の好きな曲が入っていたのだと思う。

誰がくれたテープだったか、もう名前が思い出せない。一度だけ、会ったかな。たぶんすこし年上の男の人で、顔も思い出せない、何を話したかも思い出せないけど、この人は、この世の居心地が悪そうだ、という感じがとてもしたのを覚えている。

思い出した。パアラランの展示をどこかでしたときに、来てくれたのでした。自分の生活もたいへんそうなのに、気にかけてくれて、しばらく、ニュースレターを送っていたんだけど、数年後、住所が変わって、それからわからない。

私はちゃんとお礼を言えていたかしら。

あのカセットテープどこにいったかな。ずいぶん聴いたけど。テープレコーダーもないし、あってももう聴けないんだけど。
好きな曲を入れたカセットテープを、あげたりもらったりしていた時代が、あった。そういえば、そういうことがあった。

時代の終わりの音、みたいな死の知らせ。
このあたりを貼っておこう。

ラストワルツ - YouTube

教科書の短歌

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庭のドクダミ。もう梅雨入りしている。
試験前の子が、ふだん学校に置きっぱなしの国語便覧など持って帰ったので見ている。なつかしかったり面白かったり。
短歌のところ、正岡子規与謝野晶子石川啄木は、何十年変わらずに教科書に住んでいると思う。なつかしいというか、なんか、田舎に帰って、おじいさんおばあさんの遺影をみるような感じ。

私たちの頃にはまだ載ってなかったと思う。
岡井隆「眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す」
寺山修司「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」
この二首たいへん好き。あと、俵万智穂村弘も写真入り。
歌だけだけど、笹井宏之「廃品のなかでひときはたくましく空を見上げてゐる扇風機」があって驚いた。亡くなって何年になるんだろうと数えたら、もう9年がたつのだ。たった昨日のことのようなのに。こんなところで、歌に出会うなんて。

中学生に何を読ませるか、編集の手つきも見えてくる感じ。
息子は穂村弘「校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け」が好きなんだって。これは石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と一緒にずっと教科書に住むかもしれない気がする。地ならし用のローラー、もずっとあるかな。

 

 

 

 

 

パアララン・パンタオ支援のお願い

6月。フィリピンは今月から新学期です。それで、火曜日にパアララン・パンタオへ送金。友人のみなさま、ほんとうにありがとうございます。

おかげさまで、1995年以来すでに23年支援を続けることができています。今年24年目になります。(学校は1989年から続いています)
パアララン・パンタオは毎年、ゴミ山周辺の100~300人の子どもたちの学びを支えて来ました。
20年前には、小学校に通うこともむずかしかった地域の子どもたちが、いまでは小学校に通えるようになり、努力すれば高校や大学へも進学できるようになってきました。
パアラランで学んだ子どもたちのなかには、大学卒業後にパアラランの先生をしてくれたり、公務員や会社員などよい仕事について、家族をもった人たちもいます。
ゴミ山に依存して生きるしかなかった地域で、数千人の子どもたちの運命が変わりました。支援してくださった友人のみなさまには、そのことを誇りに思ってもらえるとうれしいです。

貧困地域での幼児教育はことに大切で、就学前に適切な教育を受けることで、自信をもって小学校に通えるようになり、その後の多くの困難を乗り越えてゆけるようになります。パアララン・パンタオは貧困地域の子どもたちが、小学校に通えるように、親たちの啓蒙もかねて、就学前教育に取り組んでいます。

フィリピンでは、去年から公立小学校に付属して幼稚園が開設され、5歳になったら通うことができるようになりましたが、ジプニーに乗って行かないといけないので、実際には通うことが難しい子もいます。
小さい子の発達段階はさまざまなので、親たちの目の届くところ、家から近いところに、場合によっては親と一緒に通ったほうがいい子もいます。
幼稚園ができたことで、通える通えないの格差が生まれないように、地域の子どもたちの受け皿として、パアララン・パンタオには、また新たな使命が生まれています。去年からは3~4歳児の教育にも取り組んでいます。
フィリピンの経済状況や教育事情、地域の状況の変化、に柔軟に対応しながら、がんばっていきたいと思います。

おかげさまで新学期を迎える準備ができました。本当にありがとうございます。ただ7月~8月にかけての予算が、まだ準備できていなくて、不安です。ご支援いただけると助かります。
いくらでもけっこうです。すこしの金額が大きな勇気になります。

郵便振替
00110-9-579521 パヤタス・オープンメンバ-

まで、どうかよろしくお願いいたします。

パアラランのホームページはこちら。

http://www.fureai-ch.ne.jp/payatas/


新学期の様子については、7月訪問、8月のニュースレタ-で紹介しますね。

また、古本をパアラランへの寄付に替えることもできます。(旧記事参照)

ご協力よろしくお願いいたします。

kazumi-nogi.hatenadiary.jp

 

 

薔薇が咲いた

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庭のつるばらが、花盛り。でも庭からはあまり見えない。車庫の上から屋根をずっとのぼってきて、ベランダで花盛りなのだ。
ベランダの上や、屋根の室外機のまわりは枝を切っておかないとな、と思っていたけど忘れて、気づくと花が咲いていたので、花が終わるまでこのまま。
薔薇の花摘んで、畑のよもぎと一緒に、天ぷらにしてみた。香りを味と錯覚して食べる感じ。ちいさくてかわいらしかった。

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畑のにんにく収穫。1年分採れるからありがたい。ベランダの屋根がなくなっているので、二階の部屋のなかで干している。匂いがすごい。

季節も変わるけれど、気づけばいろんなことが変化している。
今、が変わり続けているし、対応しなければならないことは、私にもそれなりにあるし、未来ももちろん変わりつづけるのだが、すこし不思議な感じがするのは、過去が変わっていることだ。
年とったせいだけど。

謎だったり苦しかったあれこれのことが、ふいにくっきりその意味がわかって、それがあんまりばかばかしいと、なんていうか、うしろ足で砂かけるよりしょうがないじゃん、というか、すでに砂に変わっているというか。
生きるほどに、過去の方角にはあれやこれやの、自分と他人のいまいましい思い出が溜まって、そういうものをたくさんひきずって生きて行くのはしんどいだろうなあと、それはごく子どもの頃からおそれていたことで、
他人の記憶のなかに自分が残るかもしれないことも、とてもいやだし、
ほんとのところ、
私は生きるのがこわくてしょうがないような子どもだったんだけど、
なんとか生きてみたら、
どうやら、後ろはどんどん砂にかわってゆくので、 
それはもう捨てていいというか、消えてしまうと言うか、どんどん身軽になって、
いつか私は、なんにももたない人になると思う。
夥しい砂のなかに、ほんの少しだけ手渡されたダイヤモンドのような輝きがあって、それを、未来の方角にもってゆけたら、人生はそれでよさそうな気がする。

他人の記憶の中で、私が砂になれるかはわかんないが、歪んで奇怪なものとして記憶されるのかもしれないんだが、それならばそれで、他人の記憶のなかの私は、歪んだまま死んでゆくのでいいんだと思う。

国語の先生が、太宰の「人間失格」は、読むと人生しんどくなるから、読まなくていいよと言って、それで息子は、あー手遅れだよ、読んでしまったよ、と思ったらしいんだけど。
恥の多い人生でも、大丈夫だから。ほんとに大丈夫だから。

 

おれはおれを気に入らない

去年かきかけだった絵のつづきをかいた。
「おれはおれを気に入らない」というタイトルは息子がつけた。(もしかしたら、おれは母ちゃんの絵を気に入らない、と言いたかったかもしれん。)
一年前の春休み、山口線から山陰本線三江線に乗ったときの。三江線もう廃線になってしまった。子どもは毎年顔がかわる。

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