こどもの日 母の日

5月ももうこんなに過ぎて。私は何をしているかしら。
子どもの日とか母の日とか。わが家的にはなんにもなかったけど。

パアラランのニュースレターつくって発送した。
ブログ、なんとか更新。ニュースレター貼りました。
レティ先生の写真載せたら、なつかしくて泣きそうになった。

レティ先生、いなくなったけれど、パアラランの使命はまだ終わらない。
3歳から5歳の間に、子どもたちがどれだけ素晴らしく成長するかを知ってしまったら、やめられないと思う。
1994年7月に初めて訪れてレティ先生に出会って、1995年から支援をはじめたから、もう30年。奇跡みたい。

ご支援ありがとうございます。一つ一つにお礼申し上げられないのですが、心からありがとうございます。

もし私、レティ先生に会わなかったら、パアラランで子どもたちと遊ばなかったら、自分が親になるなんてこわくて無理だったと思う。
レティ先生はゴミ山に捨てられていた赤ちゃんを養女にした。そのときのことを、こう言っていた。まず、捨てた親に対する怒りが湧いた。それから、もうひとり子どもを育てられる喜びがこみあげてきた。
とても不思議な気がしたので覚えている。子どもを育てる喜び?

思うに、大人って、とても失礼なんだよ。子どもに対して。ほぼ暴力的。圧倒的な力の差を背景に。私のなかに、暴力の記憶がたくさんある以上、私がそれを、自分より弱いものに伝染させずにすむって、楽観的に考えられない、とても。
子ども育てるなんて、考えられなかった、まっぴらごめんと思っていた。自分の手垢で、赤ちゃん汚すなんて、そんな罪深いこと。
と思っていたのに。ところが。
すごい、と思ったの。こんな世の中に生まれてこようとか、私を母親にしようとか、なんかすごい度胸のある子だなと思った。そのことは、生まれる前から、感動してリスペクトしてる。その気持ちは、一瞬もゆらいだことはないので、
楽しかったわ、子育て。
家を出ていって、このまま自立してくれればありがたい。自立って、親を捨てるってことだと思う。捨てていいんだからね。

私の母は死んでるから、母でないなら、レティ先生に育ててもらえたらいいなと、思っていた。きっとしあわせに育つでしょう。そう思える人がいてくれたので、なんていうか、いざというときに不幸から子どもを救い出す手立てがあると、思えるだけで、救われる気がしてたし、安心だった。

管理放棄地で、咲いてた。

共感力がない、と思っているとしたらそれは、絶対に違う。
あなたに、共感しない、というだけなので。

自閉スペクトラム症がある方々による、自閉スペクトラム症がある方々に対する共感 | 京都大学 (kyoto-u.ac.jp)