こんなにスリリングなモーツァルトを聴くことは、もうないだろうと思う。もっとも親だからはらはらするというだけのことではあって、このスリルは親の特権ではあるよ。ピアノソナタk535 第一楽章。今日発表会だった。
曲芸師かカーレーサーかと思う。本人的には時速200キロぐらいでぶっとばしている感じらしい。…無事終わった。
舞台衣装のズボンの裾、長すぎるので、ものすごく縫い上げてあるのだが、それが短くなっているようだ、と気づく。背が伸びたんだなあ。2センチ、縫い上げ降ろしてやらなければ。
終わってご飯食べて、市立美術館でグリとグラ展やっているので見に行く。幼児とお母さんとでいっぱい。絵本のおいてある部屋で、「いやいやえん」読みふけっていた。なつかしいですかね。きみの幼稚園のころの愛読書でしたよ。
常設展は、私この美術館どれくらいぶりにきたのかな、学生の頃はよく来たんだけど、モネやゴッホやピカソやシャガールや、久しぶりに見て、なんかこみあげるものあった。
それから、植物公園に行く。クジひいたら五等で、シャボン玉もらう。シャボン玉ふきまくって遊んでいた。二年ぶりぐらいに来たのかな。二年前はこわくてほとんど遊べなかった遊具で、遊べるようになっていた。それなりに、大きくなっているのだった。
植物公園、どうってことはないが、夜のライトアップ見たかったんだよね。恐竜がいた。キャンドルの迷路。まだ吹いているシャボン玉。でもまだ残っているきみの幼さに、私はずいぶん救われている。
☆
それで夜遅くなって帰ってきて、元衆院議長の土井たか子さんが20日に亡くなったというニュースを知る。
一度お会いしたことがあります。2007年にパアララン・パンタオが、アジア人権基金から、アジア人権賞と賞金の100万円をもらいました。そのおかげで、分校の増築工事を完成させることができたのでしたが、アジア人権基金の代表のひとりが土井たか子さんでした。あのときの100万円はほんとに助かったので、「ありがとうございました」とお礼を言ったら、「ない袖はふれませんからね」と土井さんはおっしゃった。
たぶんあれが、最後のアジア人権賞だったのではないかしら。その後、基金は活動を停止して、残った資金のなかから30万円をさらにパアラランに分けてくださって、おかげで、その年の給食、資金不足で中断しかかっていたのを、なんとか継続できた、ということがあったのでしたが、そのまま事務所も閉じたようでした。
先日、「パアララン・パンタオ物語」を、お世話になったので、その後の報告もかねて、贈呈したいと思い、連絡先を調べてもらったのでしたがわからなくて、どうしていらっしゃるだろうと思ったばかりでした。
謹んで、ご冥福をお祈りします。本当にありがとうございました。(2007年12月アジア人権賞授賞式のときの写真)