『チェルノブィリの祈り』スベトラーナ・アレクシエービッチ から ③

チェルノブィリの祈り』スベトラーナ・アレクシエービッチ から


第三章
悲しみをのりこえて

──化学技師

「あるとき特別注文がきた。廃村の一軒の家を大至急洗浄してくれ。すてきだぜ!「なんのために?」「あしたそこで結婚式があげられるんだ」(略)このカップルは移住して別の村に住んでいたのに、説得されてここにきたのです。歴史にのこる映画を撮るんだからと。プロパガンダの仕事、夢を作る工場ですよ。いまになっても、ぼくらの神話を守ろうと躍起になっている。われわれはどこででも生きのびられる、死んだ大地の上でだってというわけです。」

「あの日々のどんなことが記憶に残っているか? 狂気の影と、ぼくらがひたすら掘りつづけたこと。(略)最初の数日にぼくは理解したんです、土になるのはなんと簡単なことなんだろう。」

──環境保護監督官

「おばあさんが牛乳を売っていても、だれも買おうとしません。「うちの牛乳はだいじょうぶだよ、うちじゃ牛を原っぱに出してないからね、あたしが草をはこんでやってんだから」。車で郊外にでると、道路沿いにかかしのようなものが見えます。ビニールですっぽりおおれた雌牛が放されているのです。となりには、これまた全身をビニールにくるまれたおばあさん。泣きたいような、笑いたいような気持ちです。」

「幼稚園では調理員と看護婦が逃げていた。子どもたちはお腹をすかせていました。」

「農村の人たちがいちばんきのどくです。(略)彼らはなにが起きたか理解できず、学者や教育のある者を信じようとしたのです。司祭を信じるように。ところがくり返し聞かされたのは「すべて順調だ。恐ろしいことはなにもない。だが食事のまえには手を洗うように。」私はすぐにはわからなかった、何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。」

「ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。」

──歴史家

「ぼくらはその日その日を生きのびている。そのために全エネルギーを費やし、魂はみすてられたままです。それなら、あなたの本はいったいなんのためなのか、ぼくの不眠の夜は。」

──教師

「私たちになにが起きたのか? 私たちの前になにがあらわれたのか? もう一度書きます。私たちに起きたことは、コリマよりも、アウシュビッツよりも、ホロコーストよりもなにかもっと恐ろしいことです。でも、わが国の知識人たちはどこにいるのでしょう? 作家や、哲学者は? 彼らは、どうしてくちをとざしているのでしょう?」

──カメラマン

「家のカーテンはぴたりと閉まっている。人々は去り、家には彼らの写真が住みつづけている。人々の心のように。どれをとってもないがしろにできるものはありません。(略)人はこの土地から永久に去ってしまったんです。ぼくらは、この〈永久〉を体験した最初の人間です。どんなささいなことも見落とすわけにはいかない。(略)ぼくはこれをぜんぶ覚えていたかったのです。それで写真を撮りはじめました。」

「ぼくらは形而上学者なんです。この世界ではなく、空想のなか、会話のなかで生きているんです。人生を理解するには、日常生活にちよっとしたものをつけ加える必要があるんです。死ととなり合わせのときでも。」

──舞台監督

「私たちベラルーシ人には一度も永遠のものがありませんでした。大地ですら私たちは永遠のものを持たず、いつもだれかが奪いとっては私たちの痕跡を消してきた。(略)ところが、ついに、永遠不滅のものを与えられたんです。私たちの永遠不滅のもの、それはチェルノブィリ。」

「私たちには苦悩のほかはなにもない、ほかの歴史も、ほかの文化もないのです。」

つづく