「海炭市叙景」

映画を見に行った。何年ぶりだろう。
昔、大学があったあたり歩いて、大学は今はもうなくて、学生寮もなくて、そのあたり、たぶん私が気づかない間にもいろいろ変わっていたりするんだろうが、もうわからない。映画館だけ、見る度に薄汚れているような気はするんだけど、なんだか全然変わっていなくて、ソファーが広くてその上にクッションまで置いてあって、この映画館は、好きです。

海炭市叙景
小説は20年前に読んだ。こんなに美しい小説があるかしらと思った。遺作、と帯にあって、作者はもう自殺していた。大好きな小説で、今でも手の届くところに置いてあるけど、触ると指の先から泣き出しそうな気がして、読み返していない。

その小説が映画になって封切りされていて、で、見に行った。
泣かずに見たけど、最後に字幕が流れ出してからは、もう駄目で、べそべそ泣きながら外に出て、慣れた道を慣れたほうに向かって(つまり昔のバイト先の店に向かって)歩いていて、でもパパと待ち合わせをしたのは全然違う方向なので、ずいぶん遠回りして歩いた。歩いてる間ずっと、べそべそ泣いていた。

救いのない話だ。それはもう、まったく私たちの暮らしそのものの救いのなさの手触りで、子どもの頃に身近にいた人々の姿が、次から次へふつふつわいてきて、道歩いてる間じゅう、べそべそ泣いた。

家の向かいの、ぼろぼろの木造の建物の1階は材木置き場で、2階はアパートで、そこにいた3人姉妹と、もしかしたら今の私よりも若かったかもしれない疲れた母親のことを、何十年ぶりに思い出した。裏の長屋も、ぼろぼろだった。陽も入らないし、台風が来る度浸水する。踏んだら畳の沈む家で、夫婦喧嘩がはじまると、子どもたちが逃げてきた。喧嘩が終わると、ドアも窓も壊れてた。働かない男たちもたくさんいて、夫と子どもに食べさせたら自分はもう何にも食べるものがないので、うちで昼ごはんを食べていた近所のおばさん。味噌がないとか醤油がないとか米がないとか。船乗りの夫がいない間に不倫していた女がいて、夫以外はみんなそのことを知っていた。また別の船乗りが乗っていた船は瀬戸内海で沈んだ。行方不明者が死者になるまで、テレビのニュースを見ていた夜。小学生のくせに煙草吸って、ヌンチャクふりまわしていた少年たち。子どもの火遊びで燃えた家。ぜんそくで咳き込む母親の背をさすっていた女の子。博打で借金まみれになった私の兄や、夜ごと取り立てに来たやくざたち。
とにかくここを出て行こうと思い、出ていった私に、一度だけ「ここは地獄です。高校を出たら私もここを出て行く」という手紙をくれた幼なじみの女の子の手紙のこと。それから何十年かたってようやくわかるのは、出て行った先もまた、地獄だということなんだわ。

映画に最初に出てくる兄と妹の話。解雇されてお金がなくて、大晦日の年越し蕎麦に一個のかきあげを半分にわってのせているあたりから、もう泣きそうだ。それから小銭をかきあつめて、日の出を見に行く。ロープウェーにのって。帰りのロープウェーのお金が足りなくて、妹だけをロープウェーに乗せて、自分は歩いて帰るという、その時に兄が笑うのな。
兄というのはそういうふうに笑うのだ。かんべんしてほしい。

大学に進学するのに、広島に来るとき、兄が車に荷物をのせて一緒に来てくれた。フェリーに乗って海を渡る。フェリーで、兄がゆで卵を買ってくれたことを、いきなり思い出した。買ってきたゆで卵を渡してくれるときに、笑っていたのだ、そんなふうに。
私そのとき、悲しくて腹がたっていらいらして、でも兄は笑っていて、仕方ないからゆで卵食べたけどさ、お腹はもうものすごくすいていたし、食べたけどさ。
お金なかったんです。大学の受験料からはじまって、入学金や寮費や、フェリーのお金や、母がなんとか工面してくれたのと自分の貯金を崩したのとでやりくりして、でもこのあと仕送りなんかないわけだから、どうやって生活するのか授業料払えるのかわかんないのに、そいで兄は借金取りに追われてて、それで母を泣かせてて、兄に金を貸したら返ってこないって親戚たちが文句を言いに来る、たかが1万円2万円の金だったりするのに、あのののしりようはすごいんだけど、ああ、こんなところでゆで卵なんて買うなよ、ゆで卵買って私に食わせたりせずに、借金返せよ、って思ったんだな。はにかんだみたいに兄は笑って、私はものすごく不機嫌に、ゆで卵食った。

いま思い出してよかった。もしかして兄が死んだときに、そのゆで卵のこと思い出して、自分がそのときものすごく不機嫌だったことを思い出したら、つらいかもしれん。

そのゆで卵の数ヶ月前の大晦日か正月か、そのあたりには、兄と一緒に買い物した。私の誕生日に本を買ってくれるっていう。そんな金ないだろって思うのに、どっから手に入れた金か知らないが、それくらいならあるさっていう。いらないというのも傷つける気がして、そのうち、なんだかどうでもよくなって、次から次へ本屋まわって、本を積み上げて、あの頃まだ文庫本なんて安かったし、1万円あればけっこう買えたけど、1万円以上買ってまだ買って、それからケーキも買ってくれるって言い出したときには、もう笑い出したくなって、ケーキ屋に並んでるショートケーキ、全部の種類を一個ずつ買って、20個以上あった、ケーキ、食べきれないし、私のお誕生日祝いの配給です、近所に配ってまわって、私はひとりで4つぐらい食べた。

どうせ食べるのに、ゆで卵、あんなに不機嫌でなく、あのやけくそのケーキぐらい、愉快に一緒に食べればよかった。

って、死んだあとに思い出すことにならずにすみそうで、よかった。

この救いのない映画に、救いのない人生に、もしも救いがあるとしたら、これを見る人が、これらの人生の景色を、愛おしいと思うかもしれない、その心にだけ、あるんだろう。

毎晩やってくるヤクザに土下座していた母が、そこを逃げ出さないことで、私は守られていたんだけれど、脅えたケモノの腹のなかに閉じこめられているような、何かに押しつぶされていて、息もできなくなりそうだった、あの日々のなかで、ときおり嘘のように、笑った。あの誕生日のやけくそのケーキ。

全然、映画から離れた話になってしまった。小説、「佐藤泰志作品集」が、クレイン、というところから出ています。