消された在日朝鮮人

『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)という漫画について。

直接に作者を知らないけれど、友だちの妹さんが作者だから、その成功だけを喜んで小さな瑕瑾には気づかないふりをしたかったけど、数々の賞をもらったり、映画になったり、外国でも翻訳出版されたりして、こんなに成功したら、小さな瑕瑾も大きな政治的な問題を孕むこととして批判されるのは、いたしかたないことなのだろう。

優れた描写もあり、表現もあり、そこだけ見ていたいが、原爆のまんがをかいてくれただけでもたいしたことであり、ありがたいことだと思ってもいいのかもしれないが、私自身、読む度に傷つくのは、その漫画にかかれたことではなく、かかれなかったことについてである。

端的に言って、この漫画には、小さな瑕瑾ではなく、重大な欠陥が2点ある、と思う。ひとつは、1945年以前の広島がかかれていないことであり、もうひとつは、朝鮮人が多く住んでいた原爆スラムを舞台としながら、だだひとりの朝鮮人の登場人物も出てこないことである。

1945年の原爆投下から広島がはじまっているのではない。それ以前に、軍都として発展したという歴史があって、広島に原爆が落とされているのだ。そしてそこには数万人の在日朝鮮人もいたのである。
そのことへのまなざしがまったくない原爆まんが、というものが、こんなにも流布してしまった以上は、作者の、おそらく無邪気な、素朴な、善意の、政治性など排除したつもりのヒロシマの物語も、強烈な政治性をまとうものとしてあってしまうし、その政治性(広島の加害の側面の削除、在日朝鮮人の存在の削除)に対して、当然、批判はなければならないと思う。



『原爆文学という問題領域』(川口隆行著 創言社)
という本に、この漫画についての、実にすぐれた批判が載っていて、救われる思いがした。長くなるが引用する。


朝鮮人と日本人の抜き差しならぬ交渉過程そのものを存立基盤とするようなコミュニティの光景。換言すれば、朝鮮戦争台湾海峡封鎖を経て確立する冷戦体制下の東アジア的な広がりに再定置することで明瞭となる、流動的かつ重層的な都市と人との関係性が織り成す光景である。『夕凪の街 桜の国』というマンガが再現を試みた五〇年代半ばの"夕凪の街"に欠落するのはこうした光景なのだ。
(略、こうのが参考文献として載せた、大田洋子の作品、大江の「ヒロシマ・ノート」、「はだしのゲン」にも朝鮮人被爆者が登場していることをあげて)
にもかかわらず、このマンガから在日の痕跡は、きれいさっぱり拭い去られているのである。
 実際この地域には、戦前からの市内居住者、原爆被災者だけでなく、県内各地さらには大阪などの関西方面からも多くの朝鮮人が同胞をたよりに集まって来ていた。そしてその多くが広島市の戦後復興事業を支えた日雇い労働者であった。「原爆スラム」とは、朝鮮語のトンネ(部落)と呼ぶに近い空間といってもよいかもしれない。(略)
『夕凪の街 桜の国』は、現実の広島市の都市空間から消滅した「原爆スラム」をマンガという媒体によって紙上に甦らせようとしながら、そうした忘却に抗うそぶりのうちに、コード化されたともいえる「原爆スラム」=朝鮮人というイメージの連結を密やかに切断している。そもそもこのマンガの絵は、昭和三十年代の風俗、日常の生活の様相を資料調査、時代考証に基づき微細な箇所まで再現しているかに見せかけているだけに、朝鮮人の視覚的イメージの不在はより大きな問題となってくるだろう。この問題は被爆描写の「リアルさ」の回避とどこかで繋がっているようにも思われるのだが、それはともかく『夕凪の街 桜の国』が、被爆六十年を目前に「日常の視点」を備えた「穏やかな」原爆の記憶を表象化しえたとすれば、その代償に支払ったものとは──いささか表現はきついかもしれないが──被爆都市の記憶の横領といった事態であった。イメージにおける排除空間の排他的占有といってもよい。」



排除された朝鮮人たちが住みついた原爆スラム、その原爆スラムのイメージから、作者は朝鮮人を排除したのである。おそらく、とても無邪気な手つきで。
見えなかったのだろうか。朝鮮人の存在が? 参考文献には書かれていたのに? 見えなかったのだ、きっと。書かれていても。

たとえばそこには、ひとりの被爆した女の子がいて、頭痛や倦怠感に苦しみながら、学校に行けばチョーセンといっていじめられ、近所の同じように貧しい日本人が自分の子に、あそこの子はチョーセンだから遊ぶな、と言うのを耳にし、泣いて帰れば親に怒られ、そのうちぐれて、親とけんかして、泣かせて、学校も行かず遊び歩いて、夕方家に帰るとき、川に、スラムの路地のあかりがゆれるのを見ながら、ここの人ら何がおもしろうて生きとるのかと、思ったりしていたのだが。
その女の子の姿は、見えない。



補記、として、「週間金曜日」に載った山口泉の書評が引用されている。

「問題は何か。本書の性格を象徴するのが、巻頭の献辞だ。「ヒロシマのある日本のあるこの世界を/愛するすべての人へ」──。だが「この世界」は愛したくとも、「日本のあるこの世界」など、終生、拒絶せざるを得ない人々が、現に日本の内外に存在する。少なくとも日本は、一九四五年八月、突如として、この地上に出現した国ではない。「平和」を、真に人間普遍の問題として共有し得るためには不可欠の、地を這うような困難な手続きをあらかじめ回避したところに、この物語は成立している。
 本書の抱え持つ脱政治性ともいうべき傾向が、事柄のいっさいを”無謬の「桜の国」の美しい悲劇”へと変質させかねないことを、私は危ぶむ。そして、痛ましくも口当たりの良い物語の”受け容れられやすさ”が、「被爆」を単に”日本人の占有する不幸”にのみ矮小化し、さらには新しいナショナリズムに回収される迷路へと誘う場合もありうることを、私は恐れる。」



見えないようにしてきたのだ。戦後、日本は。在日朝鮮人などいないかのように。在日の多くの子どもたちは、日本名で日本の学校に通う。意識して意識して意識しなければ、朝鮮人になど、出会うことはないのだ。目の前にいてさえ。ましてその物語を知ることはない。
その日本の戦後に育った、おそらくとても聡明で素直な少女の指先で、ひとつの街から、ひとつの民族の痕跡が消されてしまったこと。そしてその物語が、各種の賞を受賞し、世界各国に原爆の物語として流布されていること。そのスラムにいた朝鮮人被爆者の痕跡の消された物語が流布されていること。
マンガ、とは言いながら、こう考えてくると、それは相当におそろしい景色である。

そして、そのようなこの国の景色のなかに、いま朝鮮学校無償化除外の問題も置き去りにされているのだと思う。