夏の旅 フィリピン 1

 

7月25日、福岡空港からマニラへ。息子は新幹線に10年ぶりぐらいに乗ったらしい。飛行機ははじめて。海外ももちろんはじめて。

もっと以前に連れて行きたかったんだけど、ちょっとした環境の変化に弱かったり、飛行機を怖がったり、おじいちゃんおばあちゃんも心配するし、で、無理はしないほうがいいと思って誘わなかった。今回、本人も行く気、パパも快諾、飛行機も安い、ということで、14歳の息子を連れてのフライト決行。

いい天気で、飛行機揺れずに、予定時間よりずっと早く着いた。雨上がりの感じ。日本よりずっと涼しい。
いつものようにジュリアンが迎えに来てくれる。はじめましての息子に帽子をプレゼントしてくれた。夕方に到着したのでしょうがないんだけど、マニラの渋滞半端ない。私はいつものことだなあと思うだけだけど、息子はものすごく驚いて、さっそくカメラを動画で回す。たくさんの日本車とジプニーとバス。こんな運転あり得ない、こんなにクラクション鳴らすなんてあり得ない。
その、あり得ない光景のなかに、2時間ほどは閉じ込められるのだ。遅々として進まない車の列の傍ら、高架のLRTアストラムラインみたいな列車が人をいっぱいに詰め込んで走っていくのが見える。
マニラの最初の衝撃だったらしい。
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母が英語がさっぱりできないことを、息子は知っている。息子、英語のテストの点数はよいので、母よりはずっとできる、と思っていたらしい。ところが、自分が話してみた英語はジュリアンに通じず、なのに、母のわけのわからない音声は通じている不思議。
自信をなくされても困るんだけど、そこはもう、つきあいも長いから。

ジュリアンは最初に会ったときはパアラランの生徒で、それから高校に進んで、パアラランの最初の奨学生のひとりとして大学に進学した。いまはレティ先生の息子のジェイコーベンの会社で働いている。娘のサビエンヌは、キンダーガーデンに通っている。
去年、公立の小学校にキンダーガーデン(幼稚園)の付属が義務づけられたので、パヤタスの子どもたちも、5歳になったら通うことができる。
「無料というわけじゃないけど、まあまあ安いよ」ということだ。

ジュリアンが私に聞くのは、たいてい、たった2つのことだ。「疲れてないか、お腹がすいてないか」。私が聞くのは、奥さんと娘は元気? ということ。
ようやく渋滞を抜けたあたりで、ジョリビー(ファストフード店)でご飯。チキンとスパゲティとハンバーガーとポテト。私はマニラのお店のアイスティーが大好き。

3時間かかって、パヤタスに着いた。路上では子どもたちがまだ遊んでいる。
レティ先生、車椅子は車椅子だが、台所やお部屋で、数歩程度は歩いていて、それが、なんだかすごくうれしい。レティ先生は元気で、パアラランを今年もしっかり続けてゆくんだなということが、まずわかった。

息子とレティ先生は10年ぶり。レティ先生がアジア人権賞を受賞して、東京に来たとき、4歳の息子を連れて家族で上京した。あのとき、いつもと違う環境で、落ち着かない息子は、レティ先生のスピーチの間も会場をぐるぐる走り続けて、それを追いかけてつかまえるのが、なんかもうほんとにしんどかったのを思い出すけど。
4歳だった子はなんにも覚えていない。

教室にござを敷いて、テントみたいな蚊帳を張って、そのなかにマットレスを敷いて、寝る。天井の扇風機だけで十分涼しい。たぶん、扇風機の音がギイギイ鳴るせいだけれど、ヘリコプターの夢を見た。

朝、たぶん4時頃には、鶏の鳴く声が響く。それから人間たちが活動をはじめる。子どもの声。以前は、鶏の声より早くゴミのトラックの音がした。
パヤタスのゴミ山は、去年の8月から閉鎖されている。ゴミはもう捨てられていない。いまは、エラプの近くのイシドロというところのダンプサイトに捨てにいく。80年代から30数年間、積み上げられたゴミは、谷だったところを山に変えてしまった。
ゴミを追って、引っ越した人もいるが、ここからイシドロのダンプサイトまで通う人もいる。ゴミ回収業もここで続いている。全体としては、そんなに大きな変化はない感じだ。ゴミに依存して暮らす人もいるし、そうでない人もいる。

夜は暗かったので気づかなかった。黒板に大きな文字で「Welcome Back Ate Kazumi」と書いてある。気づいてよかった。ありがとう。写真撮って、クラスがはじまる前に消す。(ブログのヘッダーにしよう)。
表の路地は、犬と猫と子どもがいっぱい。鶏もいる。足をつないでいたり、籠に入れていたり。
「ぼくは生まれてはじめて、生きている鶏を見た」と息子。なんと。はるばるフィリピンまで来て、はじめて見た、鶏。

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フィリピンに行っていました。(パアララン・パンタオ)

 

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7月25日から8月1日まで、フィリピンに行っていました。いつものように、パアララン・パンタオに滞在。

まず、会う人会う人から、この度の西日本豪雨災害への心配とお見舞いの言葉を聞きました。
フィリピンも自然災害の多い国であり、パヤタスでは、2000年に雨でゴミ山が崩落し数百人が犠牲になるという事故もあったことから、わがことのように心配してくれていました。被災地のみなさま、友人のみなさまへのお見舞いを、お伝えします。

...

さて。いろんなことがあったんですけど。息子、それも14歳という難しい年頃のを連れて行ったので、いつもと少し違っていたし、フィリピンの友人のみなさまには、本当に本当にお世話になりました。ありがとうございます。息子にはとてもいい経験になったし、とても楽しかったです。
詳しい記事はまたゆっくり。 

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パアララン・パンタオの写真から。
先生たち、奨学生(アシスタントの先生)たち。中央の車椅子がレティ校長。エラプ校とパヤタス校の建物。両校の生徒たち。

 

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今年は2校で計143人の子どもたちが登録しています。
パヤタス校61人(午前30人3~4歳と6歳 午後31人4~9歳。6歳以上の生徒も数人います。小学校に入学しそびれたり、通えなくなって学びなおしに来ている) 
エラプ校82人(午前41人2クラス、3~4歳 午後41人2クラス、4~5歳)


子どもたちもスタッフたちも元気でがんばってます!
詳細またお知らせします。ところで、
パアララン・パンタオの運営費が底をついています。7月は先生たちの給料を払うことができましたが、このあとの予算が、いま全くありません。

緊急に8月末までに少なくとも2000ドルが必要です。(2校で月に2000ドルほど必要ということです)
みなさまそれぞれに大変な中、本当に申し訳ないのですが、どうか、ご支援をよろしくお願いいたします。


パアラランへの寄付はこちらから。

郵便振替 00110-9-579521
名称 パヤタス・オープンメンバー


このあと、学校の近況報告、ニュースレターの発送等、努力していきますので、ひきつづきパアララン・パンタオのことを、気にかけていただけると嬉しいです。
ゴミ山のふもとの子どもたちと一緒に、希望をつくりたい、分かち合っていきたいと願っています。

パアララン・パンタオのホームページ

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パアララン・パンタオ(パヤタス校)の近く

夏休み

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今日から夏休み。昨日は学校に三者面談に行ってきた。学校では猫かぶっていい子にしているらしく、特に、話はなし。
「あのね、家で子どもが勉強しない、とか、怠けるとか、親の言うこときかないとか、そういうことについては、先生はこのあとたくさん聞かされるはずだから、わざわざママが言わなくてもいいと思うんだよ」
と息子が言うのが、なんかおかしかったので、黙っといてやることにした。

で、明日から息子連れてフィリピン行きます。雨季なので日本よりは涼しい。避暑してくる。はじめて息子を連れていくんだけど、そろそろ荷物運びでもなんでも、少しは役に立つかもしれないと期待して連れていくので、期待にこたえてほしいと思う。
友人のみなさま、いろいろお世話になります。
ほんとに、みんなにどれほどお世話になることか。


8月11日に、旧広島球場跡地で、盆ダンス、の催しがある予定。そこでパアララン支援の店出しをする予定。いろいろ仕入れてくるつもり。
その話は、息子を連れていくと決まったあとに、やってきた話なんだけど、ひとりだったら荷物運びはしんどかったので、それだけでも連れて行くかいはある、というか、ちょっといい流れかな、と思う。11日のボランティアもしてもらおっと。

今年度、新学期がはじまったときに、例年の半分ほどしか送金できなくて、これでやっていけるのかどうか、相当に不安だったけど、ペソとドルのレートが、ドル高のおかげで、少しはもちこたえられるかもしれないこと、現場も柔軟に対応していること、いつものように学生たちの訪問の話もあったり、盆ダンスの店出しの話が来たり、まだ天は見捨ててない、と思うので、私も、しっかり前を向いてがんばりたいと思います。

今年も130人ほどの小さい子たちが、通ってきているというし。レティ先生学校つづけるし。

パアララン・パンタオ

寄付は一年中受け付けています。

郵便振替00110-9-579521 
パヤタス・オープンメンバー


健康・晴天・無事故で、行ってくる。また近況報告します。
酷暑の夏、ご自愛ください。

 

酷暑

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酷暑お見舞い申し上げます。
夕方、畑に行ったら、大きなポリバケツにためておいた水が、お湯になっていて、撒くべきか撒かざるべきか、悩む。夜明け前に撒くのがいいだろうなあ、と思う。

雨のあと、畑にスイカがなっていた。掌にのるくらいの小さいのが1つ。大きくなるかしらと思って待っていたけど、ならないので、収穫。小さいけど、ちゃんとスイカだだった。ブルーベリーも採れた。

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電話や手紙やメールの用件の度に、豪雨災害は大丈夫でしたかと、互いに聞きあっている感じのこの頃。報道されたところだけが被災したわけではなくて、思いがけないところ、身近な人たちの傍らに、被災現場があって、ふるえる。

災害のあとは、長く深くしんどいと思う。

大丈夫な世界の上で生きていると感じていられたのは、いつぐらいまでか。ほんとうは、こんなに壊れやすい世界で生きている。
こんなに壊れやすい世界で、生きていられるのは、奇跡のようなのに、なんの不注意で、子どもたちが学校で、熱中症で死んだり倒れたりしなければならないのか、絶句する。
注意深くなければ。

夢を見た。広大な砂漠のようなところにいて、人の列が続いているのは難民の群れのようで、自分もそのなかのひとりで、いまがいつか、ここがどこか、さっぱりわからない。なぜなら、家や街だけでなく国境線もながされてしまったので、この人々をどこにもどせばいいのか、私もどこにもどればいいのか、なんにもわからないのだった。国境線もながされてしまうのか、と夢のなかで驚き、国家は仮の城だから、国境線も流されるときは流されるよな、と夢のなかで納得していた。黄色くて大きな太陽がのぼるのを、まぶしく見ていた。





 

 

翔べない鳥

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「みらいらん」2号。エッセイ書いたので貼っておきます。
手紙、たった一通の手紙で、人生のかたちがすっかりかわってしまうということが、人生にはある。本当にある。たいへんなことでした。すばらしいことでも、あった。

マヤ・アンジェロウ『歌え、翔べない鳥たちよ』読んだ。南部やサンフランシスコのハーレムで育った黒人少女の自伝。ときどきはこういう本をきちんと読みたいと思った。はじめて読むのに、なつかしかった。
アメリカの黒人女性作家たち。20代のころ、トニ・モリスンや、ゾラ・ニール・ハーストンをよく読んでいた。大好きだった。
人生は大きな危険のようで、生きるというのは、サバイバルするということで、とんでもないけど、彼女らの本が傍らにあるというだけで、大丈夫、私も生きていける、と思ってきたなあと、なんか深く感謝したい気持ちになった。傍らに、大きなたのもしいお姉さんが、ついていてくれるみたいで。
あのお姉さんたちがいるなら、こわいものは何もないのだ。勇気ひとつで生きていける。生きることを好きになれる気がした。

 

 

壊音

「壊音」というタイトルの小説を、ずっと昔に読んだことがある、気がする。記憶は定かでないし、内容もなんにも思い出せない。たまさか立ち読みした文芸誌に載っていたんだろうか。たぶん、学生のころかな。壊音、という言葉を思い出した。

  夕焼けいろ 崩れそうな山も氾濫しそうな川もこわれそうなひとも
  すくってもすくってもなくならない土砂もかなしみもかなしみもかなしみも
                    /野樹かずみ

4年前の土砂災害のあと書いた。被災現場と同じような土地に暮らしている。山のふもと、川のほとり。あのあとしばらく、山という山は崩れそうに見え、川という川は氾濫しそう、人という人は、いつでも壊れてしまいそうに、見えた。
いままた、そんなふうに見える。

フィリピンの友人から心配のメールが来たりしたから、海外でもニュースになったのだと思う。フィリピンこそは、毎年の台風被害が深刻だと思う。ちょうど滞在しているときに台風にあったこともあるし、川沿いの家が壊されてゆくのも見た、昼も夜もいつまでもつづくあの雨音は、許してほしいと泣きたいほどだったけど、今回も4年前もフィリピンの雨を思い出した。激しくしつこい亜熱帯の雨の感じだ。

中学1年の夏、台風で床上浸水した。瓦も飛ばされて、雨漏りがひどかった。朝から弟と、鍋や洗面器をもって走り回ったけど、全然おいつかなかった。玄関から水が入ってきて、水位をあげてゆく。父と母が机の上に畳を上げていた。とうとう水が床上にきたころ、心配した叔父が水のなかを歩いてやってきた。私と弟と、連れられて祖母の家に避難することになった。腰まで水に浸かって歩いた。うまく歩けなくて、転んで泥水に頭からつかった。
しばらく歩くと、そこはもうふつうの雨の日で、振り向くと、私たちの家がある一画だけが、浸水していた。泥水のなかに浮かんでいた。あの取り残されたなかに父と母がいて、逃げてゆく私は頭まで泥水にまみれているが、100メートル先は、ただの雨の日だったのだ。
日常と悲劇の、紙一重の、でも決定的な断絶、を最初に感覚した経験だった気がする。
豪雨災害の映像を見ていたら、あのときの水のなかを歩いたときの、歩けなさ、泥水に沈んだときの感覚がよみがえってきた。流れがなかったから、転んでも起き上がれた、というか叔父が引き上げてくれたのだが、流れがあったら無理だったかもしれない、と今になって気づく。
祖母の家でお風呂に入った。家が片付くまで、1週間ほど祖母の家で暮らした。水のなかを歩いたあと、体中にぶつぶつ赤い湿疹が出て、かゆくてしょうがなかったのを覚えている。誰にも言わずに我慢したのか、誰かに言ったけど大人たちそれどころでなかったのか、とにかく放っておかれた。そのうち消えたと思うけど、全身ぶつぶつが、不安だった。

いまも、我慢している小さいひとたちが、たくさんいるだろうなと思う。報道されていない被害もたくさんあると思う。


愛媛は特別警報が出るのが遅かったと思う。出たときはもう、崩れたり氾濫したりしていた。蜜柑山の崩落の写真は胸に刺さった。車窓から、あの蜜柑山とあの海が見えると、ふるさとだ、という気持ちがした。私がそこにいなくても、そこにあってほしい幸福、そこにいない私のために、そこにあってほしい景色だったと、思う。

宇和島の夏のお祭りは中止になったらしい。私たちの夏休みの帰省も、鉄道では帰れないだろう。青春18きっぷを買わない夏休みになりそうだ。

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向かいの森は、すっかり夏の山。もう水の音も聞こえず、ロダンの池にも水はなく、水路も乾いている。

 

 

 

 

 

同時多発

豪雨被害のこと、友人のみなさまにご心配かけていますが、わが家は無事。雨漏りだけです。いろいろ大変な思いをされている方、お見舞い申し上げます。
6日の深夜に、兄から電話かかってきた。数キロ先の被災現場が全国ニュースで報道されたので。いやいやうちは大丈夫よと返事して、数時間後、7日の早朝には、宇和島が1時間100ミリの降雨と聞いて、今度は私が、父のところ兄のところに電話。こんな雨ははじめてだなと言いながら、父のところは雨漏りだけ、兄は仕事で通じず、午後になってから電話がきて、浸水しているところもあるみたいやけど、ここらは大丈夫よ、と聞く。わりとのんびりした口調だった。
ニュースで四国の映像が出てこないし、でも死者は多いし、気になってネット見たら、いやもう、土砂崩れとか河川の氾濫とかしてるし。国道が浸かったら、陸の孤島になる。今日になってようやく、海から船で、地元メディアが吉田(宇和島の被災現場)に入ったという記事をSNSで見かける。みかん山の上から海まで、土砂崩れ。なつかしい景色が一変している。
こんなに同時多発だと、報道なんて全然追いつかないんだろう、と思う。

7日の文化祭は中止になり、息子はiPad抱えて、鉄道の被害状況を追っていた。
学校の下級生の女子が、ツイッターに壊れた鉄橋の写真をUPしたところ、全国各地の鉄道オタクたちがリプを返してきて、その内容がなかなか専門的なので、女の子、理解がついてゆかず、私、駅名とか国語とかもっと勉強します、と返事していた、という話が、かわいらしかったけど。
今朝、息子が、宿題しているふりで宿題せずに書いていたのがこれ。

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山陽線呉線芸備線、こんなにたくさん壊れている。なんかとほうもない。息子の学校は電車通学の生徒たちも多いのだが。

家の向かいが森なので、木々の葉を打つ雨音と、流れてくる水の音がすごい。森が水がたまって沼のようになっている。森の奥には池があり、ロダンの考える人の像がある。この森には昔、人間嫌いおじいさんが住んでいたらしく、おじいさんがつくった庭の名残の池とロダンなのだが、日ごろ水のない池が水のある池になっている。山から滝のように水が流れている。雨音、聞き疲れた。

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