2019春の旅 4日め 天空庭園まで

27日。早朝4時起き。買っておいたカップヌードルを食べる。それから荷物をまとめて、ホテルを出て、始発の地下鉄に乗って、神田で中央線に乗り換え、八王子まで。昔そこで暮らしていたときに、いつも見ていた松本行きの列車に乗る。

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こんこんと眠り、ときどき目を覚まし、駅名を見る。雪をかぶった山々。あれはなんの山かと聞くと、息子がいちいち教えてくれるが、聞く一方から忘れる私。
富士山も見えた。

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甲府あたりで、隣に座っていたおじさんがA410数枚ほどの原稿を読んでいた。タイトルは「藤田嗣治 序章」面白そうで盗み読み。アッツ島の玉砕の絵のこと、米兵の美しい顔と小さな花のこと。……おじさん途中で席を移ったのは、盗み読みに気づかれたかな。気づくわな。

塩尻駅でそばを食べ、お弁当を買って、中津川へ。中津川から名古屋へ。近い座席にいたおばあさんは、山梨から高知へ向かうのだそうだ。ひとりで。名古屋からは飛行機で。一群の旅のひとたちがいて、塩尻からの車内で向かいの座席にいた青年を、大阪でも見かけてびっくりした。でも目があっても、気づいていないふうなので、こちらも気づいていないふうで過ごす。大阪で、降りた駅まで同じだった。
長野、岐阜あたりは、私は頭のなかで地図ができていない。木曽って、このあたりなのか、とか思いながら、半日電車に揺られていた。


大阪に着く。私のいつもの常宿、昔ドヤだったところが、リニューアルされたらしく、きれいになっていた。部屋は10階、3畳間。ああ、電車の音がうるさいなと思っていたら、窓を開けた息子はなんと、「トレインビューだ」と喜んでいる。
そういえばこのひとは、小6の夏に初めて大阪に連れてきたとき、あべのハルカスの何十階か忘れたけど、あの高い高いところから、はるか下の天王寺駅を、いつまでもいつまでも眺めていたのだった。

友だちが、天気がいいから天空庭園がきれいだと思いますよとメールをくれたので、行こう!と思った。何年前かな、彼女に連れてってもらったとき、息子を連れて来たいなと思ったことを思い出した。そんなことずっと忘れていたんだけど。
なんか、実現してしまった。
息子、大喜びで、外はぶんぶん風が吹くのに、いつまでも降りたがらない。
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夜景、きれいだった。
壁に、「銀河鉄道の夜」の一場面。

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新今宮まで戻って、新世界あたりを歩く。お好み焼き食べたいというので探すが、見当たらず、入りやすそうな店もなく、コンビニで何か買うとして、パソコンもしたいというので、まんが喫茶に入ったら、未成年は10時以降は出歩くことを、条例で禁じられていますよと店の人が言う。一瞬意味がわからなかった。
大阪の人間ではなくても、保護者が一緒でも、駄目なのです、と言う。そんな条例があるなんて、全然知らなかったよ。大阪だけ?全国的に?
すでに10時15分前。順法精神のある息子は、宿に帰りたがる。コンビニのお好み焼き買って帰る。
トレインビューの、電車の音も気にならないほど疲れていたらしい、ふたりとも、よく寝た。

2019春の旅 3日め 東京

3日めの朝、まず上野公園へ。桜もわりと咲いている。ゆっくり花見もしたいが、息子はそれどころではなく、美術館も見たいが、やはりそれどころではないので、ほらここが西洋美術館、ロダンカレーの市民地獄の門だけ見せて、動物園へ。
パンダの列に並ぶ。30分待って見た。シャンシャンはおっきくなっていた。木の上でのんびりしていた。

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隣のブースではお母さんが笹を食べ、その隣のブースではお父さんが笹を食べていた。
それからモノレールに乗りたいというので、モノレールに乗る。なんでも、上野動物園のモノレールの仕組みは、世界にたったひとつだけの、珍しいものなのだそうである。
パンダを見てモノレールに乗っただけの上野動物園を出て、駅に戻って、大宮へ。それから鉄道博物館へ。息子はここへ来たかった。

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私ははじめてだが、息子は4歳のときに来ているから、11年ぶり。なかなか壮観。
食堂車を模したレストランでごはん。
そのあと、まだまだここにいるという息子と別れて、私は都内に戻る。友だちとお茶する。
夕方、6時45分から7時の間に交番前で待ち合わせたのに、息子がやってこない。ようやく来たのが7時20分で、どうしたのかと聞いたら、鉄道博物館から池袋まで戻ったあと、山手線一周あまりまわって上野に戻ってくるはずが、途中で緊急停止ボタンが鳴り、そのまま20分ほど停止して遅れたのだそうな。
やよい軒に連れてってごはん。3杯もおかわりしていた。
それから、仕事帰りに来てくれた友だちとお茶。私たちのおしゃべりの間、息子は静かに本を読んでいた。友だちから次々借りてくるラノベ

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そのあと息子とスカイツリーを見に行く。スカイツリーはライトアップできれいだし、橋もライトアップできれいだし、しかもそこを電車が走るし、光のリボンのようよね、惜しみなく次々と電車は走るし、桜も咲いているし、息子、カメラの電池が切れるまでそこにいた。風吹いて寒かったけど。

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それから雷門の前まで行くと、門の前で撮影をしていた。それが、旭日旗をもった詰襟姿の美少年、と見えたが、男装の美少女だった、雷門の前で、旭日旗をもって、ポーズをとっている。
謎だ。
「こういうのをかっこいいと思う人たちもいるんだろうなあ」という息子の、肯定も否定もない冷静さ。
浅草寺を散策。桜咲いてきれいだった。この時点で夜11時を過ぎていた。
15歳の息子と真夜中の散歩。散歩が楽しいというのは、なんだかぜいたくなことだ。東京で暮らしているとき、散歩が楽しいなんて思わなかった。

向こうにスカイツリーが見えて、屋根の上にはレトロな人形がすわっていた。

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うろうろ歩いて宿についたのは12時前。

 

2019春の旅 2日め 美しい村

早朝に東京着。上野のコインロッカーに荷物を預けて、そのまま高崎へ。ついで横川へ。このあたり山のかたちが険しくてどきどきする。妙義山というのはこのあたりなのか。北関東の地理は私の頭のなかでは白紙。どこがどうつながっているのかいないのかよくわからないが、横川からバスで軽井沢へ。
軽井沢では1時間ほどしか時間がとれないが、犬の散歩をしていたおばさんに道を尋ねて、雲場池まで歩いて往復した。歩いたら、歩いた分だけは親しい土地になる。

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それから、しなの鉄道信濃追分へ。ここは私が行ってみたかった。
雪をかぶった浅間山がきれいだ。「ようこそ美しい村へ」

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左の道へ行けばよいと思うのに、歩道のない道、向こうの見えない坂道、しかもそのとき車がびゅんとスピード出して走っていたので息子がこの道はいやだと言い、それなら遠回りだけど、右の道から国道に出て追分宿を目指そうかと。
まあとにかく浅間山に向かって歩いてみた。
ほんと遠回りだったね。でも行き着いた。追分宿。鳥の巣箱のような図書館は息子が見つけた。

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時間がないので堀辰雄記念館はなかに入らず、公民館の壁に、立原道造の詩碑があるのを見る。

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そうよ、私の頭のなかでは、中学生のころに読んだ立原道造の詩がリフレインされていて、

  夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しづまりかへった午さがりの林道を
  
………

        立原道造「のちのおもひに」

軽井沢まで行くのなら、信濃追分まで行ってみたかったのだ。
夢のかえっていくところへ。

さて、ずいぶん歩いたので息子がどんどん不機嫌だ。駅までタクシーで帰ろうかと話すが、タクシーなんて見当たらない。電車の時間が迫るし、とにかく駅に向かって歩くしかない、ここで、国道が高架になっているのに気づく。横断歩道はあるが、信号がない。車は止まらない渡れない。歩道橋まで行くのは遠回りだし、どうしたものかと思ったが。
ふと見ると、柵の隙間から下の林道に降りていけそうである。ここを降りるよ、と息子に声をかけて、柵から藪のなかを潜り抜けて、下の道に降りると、背後から、息子の吠える声が聞こえた。
なんと彼は、いきなり藪のなかを歩かされて、怒り心頭だったのである。手に引っかき傷ができたとかなんとか言う。でも、とにかく道がみつかってよかったよ、と私は言ったが、すごく怒っている。パパが怒るときに似てきたよね、と言ったら、「パパがどうしてママを怒るのかよくわかったよ」とそのあとは口もきかずに、ひとりでどんどん歩いて行った。
藪のなかを歩かせたといったって、ほんの数メートルのことである。だいたい歩道のない道をいやだと言って、遠回りするはめになったのはそもそも自分のせいである。
とはいえ。
思えば、私は小さいころから近くの山をひとりで歩き回って遊んでいたが、息子は、山の近くに住んでいるが山を歩いていない、熊が出るのであぶないと言われたら、私だけの子ではないし、連れてゆけない。全然経験が違うのだった。
子どもに伝えられないことは、思いのほかにたくさんある。
でも、林道の散歩はこころよかった。そこらを飛んでいたしっぽの青い鳥は何でしょうか。

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電車の時間にも間に合うし、無駄なケンカをしてもしょうがないので、さっさと仲直りして、また軽井沢へ。バスに乗って横川へ戻る。このバスからの眺め、奇妙なかたちの山々が、すごみがあった。

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横川で、峠の釜めし食べる。ひとりだったら、こんな遠くまでこれなかったよ、と仲直り後の感謝を言い合う。
それから碓氷峠鉄道文化むらで遊ぶ。私は近くを散歩して、記念館で碓氷峠の関所破りの記録の展示見たり、酒屋のおじさんとおしゃべりしたりする。過疎の町に、遠くから鉄道マニアが来るらしい。たしかに、鉄道なんとかと名のつくところ、どこに行っても息子のような男の子たちがいた。
息子によると、鉄道文化むらの感想は「ふつうに天国」らしい。ふたりでトロッコも漕いで遊んだ。

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それから横浜へ向かう。横浜では友人一家と中華街でごはん。2年前に長崎の中華街へ行って、前日に神戸に行くなら、横浜にも行こう、ということで。

2年ぶりに見た女の子が13歳で、日ごろ家では男子しか見てないので、なんか、私はうっとりした。いい年ごろだよね。そのときはそうは思わないんだけど。いろいろ、きれいなものが、心に落ちてくるような。それが、いつもかえっていくところになるような。

上野に戻り、地下鉄に乗って宿まで。

 

 

 

2019春の旅 1日め ムーンライトながら

24日午前5時、始発駅から始発で出発。息子とふたりの青春18きっぷの旅の1日め。

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駅に着く度、乗り換えの度に、息子はカメラをもってあれこれの電車をとってまわる。それでも彼の頭の中には、乗り換えの時刻やホームや路線がちゃんと入っているので、私はあとをついていけばいいだけ。あとをついていく。
昼前に神戸着。中華街でごはん食べてメリケンパークへ行く。以前ここに来たとき、斜めになっている街灯を遠くから見て、神戸というオシャレな街だからこんな街灯もあるのかしらと思ったけど、近づいてみたらそれは震災の遺構なのだった。

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地下鉄に(端から端まで)乗って、鉄人28号を見に行く。28号の下では、昭和歌謡ショーなるものが行われていて、市民のカラオケ大会? 「赤いスイトピー」や「つぐない」や「22歳の別れ」を聞いた。
それから京都へ向かうのが、JR人身事故でストップというので、私鉄で行く。行先も京都駅から河原町にかわったんだけど、いやいや人の多いこと。桜まだ蕾。

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河津さんに見つけてもらって、観光列車「比叡」に乗りにゆく。夕暮れ、川沿いを歩くのが気持ちよかった。出町柳商店街の頭上の鯖。鯖街道だったのか。これくらいの規模の商店街が生き生きしている感じなのはいいなあと思った。

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それから大垣へ。

1993年の3月だった。26年前なのかー。この駅のホームで日本に出稼ぎに来ていたペルー人一家に出会った。夜汽車の同じ席に乗り合わせた。そのことは、以前、河津さんとした詩と短歌のコラボ「christmas mountain わたしたちの路地」にも書いた気がする。ジェシカの赤いランドセルのこと、あたたかい夜汽車の家族のこと。
ジェシカのお母さんが日系3世だったと思う。若い夫婦と7歳のジェシカの、家族3人、尼崎から厚木へ、仕事を探して友だちを頼って行くところだった。ジェシカは明るい女の子で、家族の喜びだった。あんなに楽しそうな女の子に出会えたなんて、いまも奇跡のように思える。私はジェシカと朝までトランプして遊びながら、家族ってこんなに暖かいものなのか、とか、楽しいという気持ちってなんて久しぶりだろう、とか思っていたのだった。そのときの私が思い出すこともできなくなっていた幸せ──。
ジェシカの明るさは、離れた席の人たちにも伝わっていた。厚木あたりで一家が列車を降りて、ホームでジェシカがこちらに手を振ってくれたとき、車両のほかの席の人たちも、ジェシカに手を振っていたことを、あの暖かい夢のような光景を、いまもありありと思い出せる。

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26年ぶりの夜の大垣駅のホーム。ここから「ムーンライトながら」で東京へ行く、と息子が言ったので、今回の旅が始まったのだった。
しかし、眠れないわ体は痛いわ、なかなか過酷な夜汽車の旅──。

  
  

 

春休み

金曜日は終業式だった。山のような荷物とともに帰ってくる。その数日前から学校に置きっぱなしのものを、これでもかというほど持って帰ってきていたが、どうすればいいか。使うもの、使わないもの、捨てるものに仕分けさせていたが、息子、途中で寝てしまって起きない。
これでもかというほどの、紙の束。教科書、ノート、ワークブック、プリント…こんなにたくさんのテキストが頭に入りきるわけない、と思う。でも片付けるくらいひとりでできないか。…無理か。
通知表もあった、まあそんなもんか、というか、全然楽しくないので、さっさと片付ける。猫もつれて帰ってた。これは美術の作品時間切れ。

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まだ全然片付かないけど、今日はもう、明日からの旅の準備。青春18きっぷ買いに行ったり、ダイソーアイマスクや空気枕を買ったり。
その空気枕をふくらましてみるのが、たいへんで。私は風船ふくらませるのとか、難しくてきらいなんだけど、息子が、全然できない。私より大きくなったんだから、私にできることは、できるはずだよ、と思っていたが。そういえば彼は、風船をふくらませるというような経験を、全然してきてないかもしれない。いい機会なので、練習。

明日早朝から、青春18きっぷの旅。28日夜まで留守。

みなさま、よい春休みを。

 

一雨ごとに春になる

風はまた寒いけれど、すこしやわらかくなった。一雨ごとに春になる、と思う。それにしても、よく降る。昨日かな、宇和島で桜の開花。
息子の小学校のころの同級生は、みんな中学校を卒業していった。仲のよかった子たちと連絡をとるならいまのうちだよと、しばらく前に言ったのだが、そもそも連絡先を知らないまま卒業したのだという。あの子たちが、どんなふうに育ってゆくのか、関心があるのは、息子ではなく、私のほうか。

息子は、一貫校なので卒業式もないが、中学校過程を終えるのである。それならそれで祝卒業ではあり、そのあとの春休みこそは自由のはずだが、数学100問の宿題だってよ。
親は親で、教科書他のテキスト代3万円って、想定外で慌てたけど、なんとか振り込んだら郵送してきた。かれこれ37冊ある。
家族の寝室も勉強部屋も何もかもごっちゃで暮らしていたのだが、高校生になる息子のために、物置状態の2階の一室を明け渡してやることにして、片付けるのが、片付かないのなんのって。まだ全然使える状態でないが、とにかく運びこんだ教科書たち37冊。

プリンターがもう、調子悪いの機嫌悪いの、そろそろ限界かと思いつつ使い続けているんだけれど、いまとても買い換えられる余裕がない、なんとか頑張ってもらって、パアラランのニュースレターの印刷・発送終えました。
助けてくださるみなさま、ありがとうございます。パアラランは今年開校30年。ほんとうに長い間、お世話になっていますが、いくばくかの希望を、わかちあえたらしあわせです。
自分の部屋がほしい息子が、よく手伝った。ぼくはこういう単純作業は好き、だそうで、紙の三つ折りは、私の二倍の速さだった。

ムーンライトながらの指定券がとれたので、春休みは息子と東京に行くことになった。例によって青春18きっぷの旅。えんえんと東京まで。どうなることか。
東京で何するのって聞いたら、電車に乗るっていう。都内の通勤時間帯の電車に乗るのだけは絶対いやだ、と言ったら、考えたらしい。
「早朝に東京駅に着く。そのあとママを連れていきたいところがある」と言う。
ママを連れていきたいところがある、というセリフに、無駄にときめいてしまったが、「横川」って、どこ?
群馬でした。
地図を見たら軽井沢が近い。じゃあ軽井沢も行こうか。じゃあ信濃追分まで行ってみようか。……という話にはなっている。
24日から。電車内1泊、東京2泊、大阪1泊の強行軍。

寒くないといいな。春の陽ざしと鳥の声があるといいな。桜が咲いているといいな。それから私は、友だちに会えるといいな。

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畑の金柑の実がなっている。毎年寒すぎて駄目になったりするのに、今年はあたたかかったからかな。

 

それほどのもん

もうすこしあとだと思っていたのに、病院は患者を甘やかしてくれないらしく、パパは昨日退院だった。支払いの用意をして、朝、迎えに行く。2日前に、退院がきまったと電話があったとき、「えっ、もう?」と思わず言ってしまって、どういう意味かと聞かれてしまった。いやいや、こんなに早く退院なんて、よかったよ。おめでとう。

実は、いない間にやってみたいことがあった。冷蔵庫を空っぽにすることである。


パパがいない間18日間、食費は半分以下ですんだ。というよりほとんど何も買い物しなかった。すると、毎日少しずつ、冷蔵庫のなかとか食材のかごのなかとか、すきまができるのである。空っぽになったら掃除ができる、と私は思った。空っぽをめざそう。

というのも、パパはへんなこだわりがあって、使う食材は必ずスペアを用意する。いや、まだあるからいらない、と言っても、なくなったら困るじゃないか、と言う。そんなことはなくなってから考えたいが、スーパーで言い争うのもめんどくさくなり、この不便な土地で、パパが車を出してくれるから楽に買い物できているということもあり、気のすむようにしてもらっていたら、つまり、モノがあふれて場所をとるのだ。私は微妙にそれがストレスなんだが、食べ物がない、よりは、ある、ほうがよいので、なんともいえない。
節約するなら、なんといってもここからなのだが、私に台所を仕切らせると、飢えさせられるとでも思うらしく、せっせと食糧供給してくれるのだった。
病院から帰って、さっそく買い物。
すきまと、私の片づけの意欲が消えていった。


パパは家に帰りたかったらしい。帰りたくて帰りたくて帰りたかったらしい。息子はそれほどのもんか。ママはそれほどのもんなのか。と自分でいぶかしんだらしいが。

それほどのもんですよ。

左目の手術を2回。併せて7時間を超える手術だった。執刀医が手術しながら、大学の講義さながらに、若い女の先生たちに説明して、若い先生たちはのぞきこんでメモをとったりしていたらしい。2度目は全身麻酔だったから何があったかわかんないが、診察の度に眼科の全部の先生がそろっていたから、けっこうな事例だったのだろう。
術後は良好らしい。視力も徐々に戻ってくるだろう、という。


パパがいないから、ふきのとうも摘みにいかなかったんだんだけど、お隣さんがおすそ分けしてくれたので、てんぷらにした。今年も春がきたよ。

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春が来た。庭の椿もクリスマスローズも咲いている。沈丁花も匂う。
畑に行くと、鹿のふんがたくさんあった。チューリップの芽が食いちぎられているのは、鹿のせいだろうか。もう、さくらんぼの花も咲いてる。

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