数字化け

高校生になって、すでに2度目の模擬テストがあった。

自己採点を終えて、帰ってきた息子が言った。「ぼくは確信した。ぼくは数学がわからないんじゃない。数字が苦手なんだ」
つまり。
1度目の模試では、数字の6が途中で9に変わってしまった(9が6に、だったかも)。これで20点減だったのかな。
2度目の模試では、数字の3が、途中で消えてしまった、らしい。大問まるごと落として25点減。
悔しすぎて泣けない。
弱点がわかったのはよかったんじゃないの。気をつけるしかない。

数学は、定期考査もぼろぼろだった。図形やグラフがあるものはいいのだが、式の計算は、先が見えなくて不安に飲み込まれてしまう。

そういえば、私の先輩で、カタカナが苦手という人がいた。カタカナが読みづらくて覚えづらくて、地理や世界史がつらかった。私はアルファベットが苦手だった。bとdの向きが、どっちがどっちかわからなくなって、胸が苦しくなった。
あ、なんか6と9を間違えるのに似ているかも。

そういえば、10+5=15とわかっても、10円と5円のお金を見せたら、105円、と言っていた幼稚園の頃。見える数字にひきずられたんだな。

英語と国語は悪くないんだが。

しかしながら理系志望で、担任が数学担当。夏休み前の懇談会の話題は、数学どうするの、って話になりますかね。憂鬱なことで。

字が、あいかわらず薄くて小さくて、読みづらい。数字も消えようというものだ、と思うが、字を大きく丁寧に書こうとすると、今度は頭が働かない。

それは私もそうなのだ。字を書くのは早いがとても雑。丁寧に書こうとすると、ゆっくりになる、そうすると誤字脱字だらけになる。

彼はまた筆圧が弱い。小さい頃からずっと。ついでに包丁もあぶなっかしい。力の入れ具合が正しくない感じがする。大きくなればなんとかなるかと思ったが、なんともなってない不器用さ。体力測定は学年男子ワースト3だった。

ついでに視力悪化。眼鏡を買った。ところが、眼鏡をかけると、感覚が違ってきて吐きそうな感じがして、眼鏡をかけて歩くのがこわい。授業で黒板を見るときだけかけている。

息子とスーパーにいたとき、幼稚園と小学校と音楽教室が一緒だった男子のお母さんに会った。おしゃべり。工作が好きだった男の子は工業高校に進学して、すでに危険物取扱の試験を受けたらしい。
休日に、仲間たちと自転車で隣県まで遠出しているという友だちが、もう社会に向かって歩き出している感じがして、息子はふと、自分たちの姿がたよりなく思えたらしい。「同じ高校生なのに、ぼくも、うちの学校の人らも幼いよね」とつぶやいていた。

あはれ花びらながれ

雑誌「みらいらん」4号(洪水企画)が届いた。

http://www.kozui.net/frame-top.htm

 

特集は田村隆一

「空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある」

詩「四千の日と夜」は高校生のときに読んだのだった。とてもかっこいいものを読んだと思い、そして、どういえばいいか、スフィンクスのなぞなぞに出会ってしまったような感じがした。いつか私も、そのような「野」が見えるようになるかしら、もしなれないとしたら、そんな人生は絶望でしかないのではないかと、不安だった。
……そんなことを、ふいに思い出した。

古居みずえさんへのインタビュー記事もよかった。古居さんのパレスチナの映像はすごく好き。対象との対話の仕方がとても人間的でほっとする。悲惨な現実のなかに分け入っていきながら。たぶん、だからこそ。

河津聖恵さんの詩は若沖について。

「途轍もないまぼろしは細部から手なづけるしかない」
「檻を描きつづければ神のけものたちはそこにおのずと降臨する」
「格子の向こうではなく小さな正方形一つ一つの内部に/未知の怒りをたたえ」

という世界観が、すっすっと心に入ってくるのが快い。

私も書かせてもらっているので貼ります。たどたどしいものを、自由に書かせてもらえてありがたく。

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人間模様

女の子たちはなんとかした。
金曜日の夕方のうちに、隣人は、畑の網を張りなおしたらしい。360度、緑色のネットで二重に覆って要塞化していた。
この3日間、鹿子は来ていない模様。上段の隣の畑に入らなければ、うちの畑にもまず入ってこない。1.6メートルのあたりまで合歓の葉の食い尽くされていたのが、おずおずと新芽が伸びている。
鹿子、このへんであきらめてくれるといいと思う。
雨が降れば、森にもすこし食べものが育つと思うんだけど。

女の子たちはなんとかした。
文化祭。準備が間に合いそうにも思えなかったお化け屋敷も、当日朝には、なんとかなっていて、大盛況だった。高校の文化祭はいいよ、と前日まで文句たらたらだった息子が朗らかに帰ってきた。何がよかったのと聞いたら、先生や教育実習生からジュースやアイスクリームの差し入れがあったから、らしい。拍子抜けするような単純さだな。

ただ、前日、隣のクラスの友だちが帰ろうとしたら、彼はクラスの男子に「なんで帰るんだよ」と引き止められて、なかなか大変な言い争いになったらしく、
眼前で繰り広げられたそういう光景に、息子はうんざりしていた。
息子は、さぼって帰ろうとした男子と仲が良い。でも、ひきとめたほうの男子は、中1のとき、息子が同級生にいじめられたときに、いじめたやつに立ち向かってくれた子でもある。
人間模様は単純ではないのだった。

私もなんとかした。
制服リサイクルの教室前で、30分前から列に並んだ。先頭から10人以内のところにつけたのだが、それでも男子の制服は出品が少なくて、かろうじてセーターだけ(今もっているのは破れてほつれているのだが、破れていないやつ見っけ)入手、あとはあきらめていたところに、ほしいサイズのズボンがぽんと戻されてきた。急いで手を伸ばした。冬ズボン入手。これは上出来。2つで700円。助かった。
バザーでは、プリンターのインクを30円(!)、傘を80円、ほか洗剤など買った。

荷物かさばるので、とっとと帰った。

そうして思い出そうとしてみるのだが、私は文化祭の記憶がない。体育祭は、いやでいやでいやでいやでいやだった記憶が苦く苦くあるが、文化祭は記憶そのものがまったくない。たぶんいやでもないが楽しくもなかったのだろう。中一の文化祭の日に、小学校のときに仲良しだった友達が病気で死んだことを知らされたのが、唯一の思い出。

☆☆

所沢の中学2年同士の殺人事件は、へんに身近に感じられて恐ろしい。

わが家は小学校からも離れていたし、坂の上の不便なところにあるが、それでも、近くの子たちが遊びに来たりしていた。友だち、と呼ぶしかないが、ほかに行き場のない上級生同級生下級生がやってくる感じだったとき、彼らの関係性から、目が離せなかった。彼らのわがままと、それを拒めない息子の気持ちの負担とを考え併せて、家に遊びに来ることを禁じたことがあるけれど。……そんなことを思い出したりした。
そこは、大人が介入しないといけなかったと思う。
それから数年たって、同級生だった子とは、今は、たまに道で会うと、ふつうにおしゃべりできる関係ではあるみたいだ。ふたりとも、すこしは大人になったのだろう。

子どもの人間関係は、けっこうはらはらさせられるものを抱えていると思う。中学になって、最初に仲良くなった子に、暴言吐かれたり蹴られたりするようになったとき、息子はショックを受けていたが、まあそういうことはあるだろうなと思った。すぐに学校に言ったけど。それから2年間は顔もあわさないようにしていたが、最近は、ふつうに話をすることもある。が、距離はとっているし、(息子は)油断はしていない、らしい。

心配するほどのトラブルではないのか、本人に任せて大丈夫か、親がものを言ったほうがいいかの見極めは難しいと思うんだけど、私も対応が遅れたり間違ったりしてきたと思うんだけど(そういうことを思い出すと、胸が痛い)、でもきっと、大人はもっと、見ていなければならないのだろうと思う。暴力を拒む注意深さを、もっとしっかりもたなければいけないのだと思う。


暴力は蔓延している。被害者は加害者になるし、加害者は被害者になる。中学2年って……殺された子も殺した子も、かわいそうでならない。

 

 

 

 

鹿子、跳べ

うちの畑で遊ぶだけにしておけばいいものを。
鹿子、上の段の隣の畑のいもの葉を食ったから、隣のおばさんが、鹿よけのネット張りに乗り出した。

鹿子はしかし、私が1メートル50センチの高さに張ったネットを助走なしで飛び越えている。糞と足跡を残しているのでわかる。見事なものなのだ。勝てる気がしない。

でも、上の段のネット張りをした隣人が、「おたくから上がってきたら困る」というので、隣人の望むところにネットを張る。(でもいままで鹿子は、上の畑からこちらに降りてきていたのだ)
そこが体当たりで破られた。そこは鹿子の逃げるルートでもあったのだが。おばさん、「網をきちんと張っていないからよ」と怒るので、網を二重に張る。これを越えられたら知らんよ。
私はこれ以上の対策をする気はない。それに、鹿子が隣の畑を食ったのは、私のせいではない。私に向かって怒んないでほしいと思う。

だいたい、管理放棄の空地を勝手に使っているだけなので、そもそも私たちと鹿子たちは、同じ立場だと思う。食われたらしょうがないと思う。

私は鹿子より人間がめんどくさいよ。

さて鹿子、匂いのある草は食べないみたい。セロリもパセリも食べない。パクチーも、そこらじゅうに生えているヨモギも、ミントも。でもニラは食べている。

収穫期のミニトマトと、まもなく収穫のブルーベリーは、鳥よけネットで大丈夫そう。

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息子の学校は明日から文化祭。クラスの出し物の準備が進んでないというから、もっと遅くなるかと思ったら、わりと早く帰ってきた。途中でひきあげてきたのだそうである。いいの?ってきいたら、男子の責任者に許可もらったからいいんだって。その男子の責任者も一緒に帰ったんだって。
女子の多いクラスで、ほぼほぼ、女子が仕切ってるんだが、それが、設計図もないし、女子たちの頭の中にイメージはあるのかもしれないが何があるかわかんないし、指示系統もあやふやだし、女子の責任者たちへんにぴりぴりしてるし、洪水ちゃんが意味不明な言動でひんしゅく買ってるし、とてもあんななかにいられない、という。
何していいかわかんないので、段ボールの整理整頓だけ、完璧にして帰ってきた、そうである。

そうね、若くても若くなくても、ときどき女の子たちはぴりぴりしてこわい。

お化け屋敷、するらしい。

土曜日の一般公開の日に、早く行って、制服リサイクルの列に並ぶのが私の仕事。ブレザー(3年前のリサイクルで買った)は来年までいけるとして、ズボン(2年前のリサイクルで買った)は次のサイズが要ると思う。適当なサイズがあればいいが、去年は豪雨で中止だったので、買えていない。最大2点しか買えないので、今年買えないと、高くつくはめになるかも。

人の心とは……

「――人の心を知ることは……人の心とは……」
というフレーズを思い出した。立原道造の詩、だということも。

 

 はじめてのものに    立原道造


ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

☆☆

 

詩の話ではなく、ふと見かけた発達障害の記事の話なのだが、

ADHD注意欠陥多動性障害)が「自閉症スペクトラムの人と違うのは、人の心が分からないのではなく、人の心を考える余裕がないだけ」
という書かれ方を見て、違和感をもった。
自閉症スペクトラムは、人の心が分からない?

もちろん特質として、見えないものの把握は難しい。人の心は見えない。自分や他人の気持ちの把握は、たしかに難しい。だから、「人の心が分からない」と言われるが、それは違う気がする。「わからないんじゃなくて、フラットにしたい意志が働くんだよ」と思う。

こないだ息子が、クラスの人が話しかけてきたりするときに、彼や彼女はどういうつもりで、話しかけてくるのだろうと、考えようとしたら気持ち悪くなった、と言うのがおかしかったけど。
人の心って、おおむね、ろくでもない。魑魅魍魎の住処だし、人の心をわかるって、あなたのなかの魑魅魍魎を嗅ぎ当てる、みたいなことだし、そんな楽しくないことはしたくない。
そんな魑魅魍魎にはかかわらずに、そうではないフラットな地面で、お話したい。

「おまえは人の心がわからない」と罵られることはよくあったが、でも本当は、そういうときの心って、本当は、わかってしまわれたら恥ずかしいような、心、なのではないだろうか。
魑魅魍魎と魑魅魍魎が相槌をうちあうような、おしゃべりができることが、人の心がわかることなら、それはまっぴらごめんと、中学生のときも思ったし、今もそう思う。


思うに、発達障害は、能力の欠落などではなくて、このように脳を使いたいという、脳のひとつの選択の仕方でもあるのではないだろうか。


「わからない」でいることが、優しさだっていうこともあるのだ。

「わからない」とは、人に対してフラットな姿勢でありたいということ、魑魅魍魎以外の可能性に向けて、常にあたらしく心を開きたいということなのだが(ああ、言葉にするのってむずかしい)、そういうことを、理解してくれる人は、多くない。

でも必ずいる。
ので、この世界はすばらしい、と思うよ。

 

日曜日の夕焼け。

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鹿子たち

日曜は早朝から、町内会の集会所の掃除当番。つづいて町内の掃除。近所の人たち総出で、草刈、草引き、枝を払ったり、溝の掃除。向かいの森は、持ち主のおじいさんが死んでかれこれ30年ほどになるのだろう。以前は、たまに息子が管理に来ていたが、その息子も高齢なのだろう、もう全然姿を見ない。しょうがないので、木を切ったり枝を払ったり、私たちがするのだ。
さて、その森の前を通る度、物音がするのは、鹿がいるのである。以前はときどきだったが、最近はいつも。こちらの足音に気づくと、一応逃げるが、またすぐにいる。鹿の親子。鹿子とバンビ、と呼んでいる。鹿子と1日に2回も目があったりする。

畑を食い荒らしたのは、この鹿子とバンビだろうか。別の鹿だろうか。去年まではこんなことなかったのに、今年はなぜだろうね。

鹿子たちは、いつ来るのだろう。夜、懐中電灯をもって見に行ったら、鹿子たちはいなくて、満月があった。

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鹿子、で思い出した。息子が小学生のとき、顔を見ると、バカ、と言ってくる女子がいて、名前に馬がつくので、鹿子、とあだ名をつけた。25回、バカと言われたら、先生に言おうと思って、息子は連絡帳に正の字をつけはじめたが、25回にたどりつかないうちに、鹿子は先生に見とがめられて叱られた、ということがあった。
そういうことがいろいろあったので、息子のクラスメートたちの名前や顔を、私は一生懸命覚えたものだった。その鹿子に、道でばったりあったことがあって、どこへ行くの?って聞いたら、あそこの塾、って言ったのだった。中学受験するのだというから、頑張ってね、って言ったら、はい、と素直で朗らかなお返事だった。
鹿子とあだ名されていたことは夢にも知るまい。私は鹿子というあだ名だけ覚えていて、本名がわからない。
鹿子は中学受験は残念で、地元の公立中に行った。高校はどこへ行ったのだろう。鹿子に限らない、私が名前や顔を一生懸命覚えた、あの子たちは、みんな高校生になったはずだが、どうしているだろう。息子は地元中にすすまなかったので、さっぱり情報がない。親しかった子たちの連絡先さえ、彼は知らないのだ。

息子、新学期が始まって2か月たって、ようやく隣の席の女子の名前を覚えたらしい。でも、クラスの女子の半分はまだわからなくて、話しかけられても、誰に話しかけられたのか、よくわからなかったりするが、今は学校生活は平和なので、大丈夫らしい。
そうか? 
すこし努力して覚えなよ、と言ったら、いまそれどころじゃないと言われた。
考査まっただなか。覚えることが多すぎて、覚えられないことも多すぎて。




バンビの食卓

外に出ると、向かいの森ががさがさ鳴る。のぞいてみると、私の気配に逃げていく鹿の尻が見えたりする。
雨上がりの畑に行くと、枝豆が、茎だけ残してすっかり食べられていた。花も咲いてこれから楽しみだったのに。ジャガイモも花も葉もすっかり食べられていた。
そばには鹿の糞が残っていた。
今日は、桑の葉が食べられていることに気づいた。桑の葉茶にするつもりだったのに。
さらにさらに、息子の弁当用に植えていたチシャも、ラディッシュの葉っぱも食われた。植えたばかりの空心菜も。
なんなんだ、これは。私はバンビの食卓を整えているのか。
すると、畑に水を運んできてくれたパパが、雨が少ないから、山に食い物がないのかもしれん、と言う。
しれんけどっ。
耕したまま、まだ何も植えてないところは、猫のトイレになっている。そりゃふかふかで気持ちいいだろうよ。
なんかなんかもう、しょんぼりだった。
ブルーベリーの実がなっているので、これは鳥に食われないように、網をかけた。

息子は明日から考査。しばらく弁当つくんなくていいわ。

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チシャとラディッシュといちごとパセリは畑から。天ぷらのバラとドクダミは庭から。
花はエディブルフラワーといいます。食べれるのだ。ままごとみたいで面白い。
いいかげんな母の弁当を、毎日完食の息子に感謝。



香港のデモ。
昔、旅行雑誌のコピーを書いていたときに、ちょうど中国に返還される頃だった。これからどうなるのだろうと、不安もよぎったが、旅行雑誌のコピーはあくまで明るく、一期一会、返還前の香港に行こう! とか、返還後には、新しい時代の香港へ! とか、とにかく前向きだったのだ。夜景がどうとか、クルーズがどうとか。

共産党は、裏切るぞ。土壇場で裏切るぞ。

もう亡くなった恩人のような人が、よくそう言っていたのだとパパが言う。それが、耳のなかでリフレインしている。
佐藤優氏が、自分は徹底して反共、反革命だと書いていたことも思い出したりする。
天安門‥‥あれから30年なのか。