アニーダ

3日、千葉のほうで、母親が7歳の娘を殺して、自殺したというニュース。女の子、特別支援学校の1年生だった。

つらい。なんか、悔しい。

部屋の壁に飾ってある写真がふと目にとまる。8年くらい前かな。パアララン・パンタオの旧校舎のテラスで、アニーダという10歳の女の子とふざけあって遊んでいる写真。カヨちゃんが撮って送ってくれた。アニーダは知的障害と、小さい頃の病気のせいで半身に麻痺もあった。
今どうしているだろう。

アニーダみたいな女の子だったかしら。あのゴミの山で、アニーダが生きられて、この国で、その女の子が生きられない。

NHKスペシャル見ていたら、家でごはんが食べられなくて、おなかがすいた、という小学生たち、この国の子どもの貧困を取り上げていたんだけど、なんだか、パアラランの子どもたちと似てきているかもしれない。
パアラランが、給食を実施する前は、顔色の悪いふらふらした子が何人かはいて気になった。給食を実施したら、なんにもせずにぼんやりしていた子が、いきなり元気になってアルファベットを覚えたと、レティ先生がうれしそうだった。最初の3か月くらいで学校にこなくなる子が多かったのが、給食がはじまったら、みんな通いつづけるようになった。

貧困のために親の教育力がない、ということが、パアララン・パンタオが、その地域になければならない理由だけれど、貧困によって教育力を失うのは、むろん、ゴミの山に限った話ではないわけだ。

貧困も虐待も家庭崩壊も、今ここで見ているものは、本当は日本にもあるものだ、と思ったのが15年前で、だから他人ごとでなかったのだけれど、それがどんどんこの国でも目に見えるものになってきているみたい。

と思いながら、途中で眠った。
目覚めてチャンネルをかえたら、太宰治と太田静子のことを、娘の太田治子が話していた。「革命の虹」などという言葉が耳にとびこんでくる。どれくらい昔に読んだのだっけ。「斜陽」の終わり近く。

「私生児と、その母。
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」

アニーダが、学校に来たおかあさんと、かくれんぼして遊んでいたのを思い出したりする。おかあさんとアニーダの笑顔。

朗らかに、生きてよかったのに。

どんな事情があってもなくても、
にもかかわらず、朗らかに生きてよかったのに。

朗らかに生きてみることだけは、絶対に正しい、と思う。