星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

ピアノ友だち

週に一度、ピアノ教室まで息子を迎えに行く。夜、6時半を過ぎて、教室を出ると、すっかり暗い。たいてい、Yくん(中1)と妹のHちゃん(小4)とそのお母さんと一緒で、雨が降ってるね、とか、見て満月だよ、とか、雪やまないね、とか言いながら、スーパーの駐車場まで一緒に歩くんだけど。
中学生になった息子を、わざわざ迎えに行かなくてもいいのだが、Yくんたち母子と会えるので、行くのである。親たちは、学校のこと、あるいは学校に行けないこと、ピアノのこと、試験のこと、どちらも自閉症スペクトラムを抱えた子どもたちの日々の話などして、レッスンが終わるのを待っている。

雪の土曜日、コンクール前の、教室内での小さな発表会があり、久しぶりにYくんとHちゃんのピアノを聞いて、しあわせだった。
このふたりは、すごく上手。音がいい。Yくんは何をどう弾いても、彼の音になる。個性がある、というのはこういうことだなあと思う。音符が長くなったり短くなったりする、休符がとても長くなったりする、でもそれでいいと思えるほど、音楽との距離が近い。
Hちゃんの音はまた、きわだってきれいなのだった。
この兄妹は芸術家だと思う。

このふたりのピアノを聞いてしまうと、たいていの子は、音楽との距離が遠い。遠いけど、練習してまあまあ弾けるようにはなる。でも遠いままなのだ。早熟な女の子たちが感情を込めたりするのが、しなをつくっているようにしか感じられない。それはそれで、いいんだけど。

さて、うちの息子だが。Yくんの真似をしようなんて絶対思うな、と彼には言った。Yくんが溜めて弾くときは、彼の必然がある。でもきみがそれを真似すると、思わせぶりと中身の空っぽが、伝わるだけだから。きみは、よけいなことしない。楽譜通り丁寧に弾くだけでいいから。それだって至難だから。

一番最初、はじめての曲を楽譜を見ながら、音を探しながら、たどたどしく弾いているときが、彼は一番、音がきれいだ。それで、弾けるようになったらどんな素敵な演奏になるだろう、と一瞬期待させるが、
暗譜して弾けるようになると、とたんに、雑になる。
ついでに怠け者で、はやくすませて、それから電車で遊ぼう、とか、幼いことを考えているのが、わかってしまう。
暗譜して、それなりに弾けるようにはなるのだが、弾くほどに、地滑り的に雑になる、のを、自分でとめられない。

字が雑なのも同じことで、丁寧に書こうとしても、3秒と踏みとどまれない。

それで、「地滑り的に雑になるのを、自分でとめられない」のは、母譲りだと思うの。
どうしても雑になってしまう。踏みとどまれない。そのどうにもならなさあたりに直面すると、なかなかつらいのよ。

でも何かしら、自分をごまかせないものを、もっているのはいいことと思う。かなわない友だちがいるということも。

雪の夜に、Yくんのピアノは川が流れるようで、Hちゃんのは星がきらめくようで、ほんとにきれいな音のピアノを聞いたこと、あとから、一緒に雪のなかを歩いたこと、いつもの駐車場で手を振って別れながら、

いつか遠い先に、もう子どもたちが大人になってしまったあとに、もしもまだ生きていたら、
子育ての時代の、ことさらになつかしい景色として、こんなふうに、Yくんたち母子と私と息子と一緒に過ごしたことを、思い出すだろうと、思った。