音の快楽

先月、国際会議場に行ったときに、置いてあったチラシを一枚、持って帰ったのだった。
フジコ・ヘミングとロシア国立交響楽団のコンサートのお知らせ。Cimg9164



ショパンのピアノ協奏曲大好きだし、行きたいなと思ったけど、こういう贅沢は、あきらめる癖がついているので、さばさばとあきらめていたら、
チラシを見た息子が、「ぼく、これを聞きに行きたい」と言ったのだった。

息子が行きたいのなら、あきらめなくてもいいかもしれない。ちょうど彼の誕生日の2日前なので、じゃあ、誕生日プレゼントはコンサートチケットということで。私も便乗しよう。

そんなわけで、学校まで迎えに行って、そのまま、国際会議場へ。
天井に近いところの席からだけど、しあわせな夜だった。
音が、きれいだ。ピアノもオーケストラも。
フジコ・ヘミングが黒いドレスをひきずって出てくるのが、魔法使いのお婆さんっぽくて、すごい。(という話をこっそりする)
ショパンのピアノ協奏曲、途中から息子が居眠りはじめたのを、手とかほっぺたとか、つねって起こす。こんな生演奏、めったに聴けないことは息子もわかっているので、「もっとつねって」って言う。
曲がラフマニノフのプレリュードになり、それから、ラ・カンパネラになると、その頃はもうすっかり起きていて、
「ピアニストの指の動きが見たい、オペラグラスがほしい」って言う。Cimg9148




休憩のあとのチャイコフスキーは、私が居眠りして、息子につねられた。
それで目を閉じないために、指揮者の動きを見ていたら、腕をぐるぐるまわしたり、体をひねったり、健康体操みたいでおもしろい。(という話をこっそりする)

アンコールの曲が何かわからないけど、息子は知ってるって言う。なんでも、お気に入りの鉄道の動画で、よく使われている曲らしい。
楽しかった。

ショパンの協奏曲も、チャイコフスキー交響曲も、なんていうか、遠い街の物語を、耳もとでずっと語ってもらっているような、感じがしていた。その街はもうどこにもないので、音にして伝えるほかにない、音の中にしか、蘇ってこない街があり、物語があることを、うっとりしたり、眠ったりしながら、思っていた。

どこにもないということ、すでに失われているということ、でもいまここにあらわれているということ。