星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

古城山

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NHKドキュメンタリー - 新日本風土記「宇和島」

新日本風土記で、宇和島をやっていたので見ていたら、「そういえば去年、闘牛場に取材が来ていたよ」と息子が言う。たしかに、去年のお盆場所の映像だった。闘牛場の場面、豆粒のような観客のなかに、私たち家族もいると思う。
遊子の段々畑も、夏に行った。
「移住してもいいかもしれないね」と息子が言う。そうだよねえ、山も海もあるし、暖かいし、のんびりしてるし。きみが、母の故郷を好きになってくれてうれしいよ。
それで、なつかしさにまかせて、ネットであれこれ探していたら、こんなページを見つけた。

古城山の謎

この古城山(ふるしろやま)のふもとに、住んでいた。長堀というところ。古城山は子ども時代の遊び場だった。化石も見つけた。どんぐりも拾った。あるときから「工事」がはじまり、山頂はこんな景色になった。


この写真は昭和五十年頃撮ったもの(だったと思う)
山頂に巨大な岩があった。

 

山頂の巨大な石を覚えている。こんな景色のなかを、ひとりで歩き回って過ごしていた。工事の人はいることもあったがいないことも多かった。夏休みの午後、熱い中を、砂漠みたいだと思いながら、ふらふらさまよっていた。なつかしすぎる景色だ。
11歳くらいの痩せた小さな女の子が、鉛筆のキャップでつくった笛みたいなものをピーピー吹き鳴らしながら、山頂のこの景色のなかで、日が暮れるまで過ごしていたことなんかは、たぶん誰も知らないだろう。

年表なんかも眺めていたら、いろいろと思い出した。たとえば、ごく小さかった頃は、断水があたりまえで、大きなバケツに水をためていたこと、ダムができて、断水がなくなったのが夢のようだったこと。
弟を取り上げてくれた産婦人科の先生が、飛行機事故で亡くなったという話は聞いたことがある。(弟の名前は、その先生から「愼」の一字をもらったらしい) 1966年11月13日、全日空533便YS-11型機、松山沖に墜落。乗客乗員50名全員死亡、うち宇和島医師会の医師6名、という記事があった。
そんなわけで、弟の出生については、取り上げてくれた先生に「愼」の一字があったという手がかりがある。
私については、どの病院で生まれたかとか、聞いたことがないし、知らない。

子どものころ、大人たちの世界には、いろいろと不穏なこともひそんでいそうだと感づくようになると、怖ろしくて、知らずにすんでいることを知りたいとは思わなくなり、むしろ土地や係累から離れた者になりたかったので、知らないまま今に至っているんだけど。家族や親せきについても。私自身についても。住んでいた土地についても。