変身

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畑では、いちごが、ぐん、と背を伸ばしていた。季節がくれば成長するのだ。

息子、熱はいちおう下がったので月曜から登校しているが、まだ少し熱っぽい感じが続いている。喋ると喉に違和感があるそうで、声がまたいちだんと低くなり、続・変声期らしい、返事したくないから話しかけるなときたもんだ。
身長もこの2年間で20センチほど伸びて、声が低くなり目つきが変わり、またいっそう声が低くなって、なんか、成長というよりは、違う生きものに変身しつつある感じだ。

というわけで、通学かばんに入れとく文庫本候補に、カフカの「変身」を加えてみた。これ以上かばんを重くしないために、絶対文庫本。(最近の中学生の荷物の重さは尋常じゃない。教科書は紙質を落としていいから、軽量化を工夫して欲しいと思う)
本棚にあるのは自由に読んでいいよと言っているんだけど、自分で本を探すことはしないんだよね、(自分で探すのは、もっぱら電車の本と時刻表)。で、なんか本出しといてって言うので、思いついたのを、思いついたときに、何冊かまとめて息子の机の横に置いといてやると、適当に、かばんに入れている。
私の頭のなかでは「変身」のとなりにはカミュの「異邦人」と三島の「仮面の告白」が並ぶので、それも一緒に渡してやる。読むかどうか知らないけど。

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いま彼は太宰の「ヴィヨンの妻」を読んでいるみたいだ。その中に入っている「トカトントン」が私は大好きだったよ、となつかしい。「トカトントン」面白いよねえという話を、目の高さが同じになった息子としていると、なんか同級生と話している気分になる。
それらの本、私が高校生や大学生の頃に古本屋で買ったような、買ったときからぼろぼろの本なので、紙は黄ばみを通り越して茶色くて、文字は小さくて、私もう目がつらくて読めないのだが、息子は「おお、昭和50年の本だよ」などと言いながら、古さにも汚さにも字の小ささにも臆することなくめくっている。若いっていいなあと思う。

でも本棚眺めると、あれですね、読ませたいような読ませたくないような、微妙な気持ちになる本があれこれある。コクトーの「怖るべき子どもたち」は、私が中3だったときに夢中になった本で、いくつかのフレーズはいまも覚えているけれど、これを勧めるというのもなあ、と母は思ったりする。やっぱり、こっそり探してこっそり読むもんだよ、本は。