泥色の

このあたり、あの巨大台風の強風域の、ほんのはしっこがかすったぐらいだった。かすったぐらいだったが、風は台風の風だった。ちぎれた木の葉の匂いがした。

ニュースで見るあの泥水のなかのどこかに、12歳の私と弟がいるような気がした。泥水のなかを転びながら、叔父につれられて避難した。浸水地域を出て、振り向いたとき、泥水のなかに、わが家が見えて、こんな家に住んでいたのか、と自分の家を見つめた記憶。こんなにみすぼらしい、こんなに壊れやすそうな、こんなに危うげな、こんなに不安な、こんなにぼろぼろの家で暮らしていたのか、というそれはひとつの気づきだった。今の今まで、なにもかも大丈夫に思えていて、こんなにみじめな家だとは思っていなかった。
泥色の水のなかに浮かんでいた、同じ泥色の古い家。

運命、という言葉を思う。同じ台風のなかにいても、それぞれの意味は違う。復興はもちろんするだろうが、もとにはもどらない家も、家族も、あるだろうなと思う。

つられて思い出したもうひとつの記憶は、高校生のころ。借金取りのヤクザが、毎晩のように電話をかけてきたり、やってきたりしていた頃だ。学校からの帰路、道の向こうに家が見えると、足がすくむような感じがした。家は、おびえた獣のようで、そのおびえた獣の腹のなかに、入っていかなければならないのかと、苦しくて、叫びだすか逃げ出すかしたかった。
母が、道の反対側から、歩いてくるのが見えて、家の前で待っていてくれた。近所の一人暮らしのお婆さんの家を訪ねるのが、母の日課のひとつで、お婆さんの家から帰ってくるのが、私が学校から帰る時間と同じころで、あのころ母の笑顔があったから、家に帰ることができた。
ひどいもんだったけど、家がそんなだったから、私は学校に行けたかもしれない。教室の前で足がすくんでしまっても、家に帰るわけにもいかなかったから。「生きなきゃ、生きなきゃ」と自分に言い聞かせて、教室のドアをあけていて、ドアを開けるだけのことが、なんでそんなに大変だったのかといまは思うけど、大変だったのだ。
なんせ、毎日くたくただった。


12歳の夏。泥色の水のなかの、泥色の家を見たことは、こんなに壊れやすいものが、暮らしであったり、家族であったりするのだということに、気づきはじめた最初だったのだと思う。最初に見つけた亀裂。