帰省の話⑨ お城山

16日。土日は宇和島城でガイドのボランティアをしているおしゃべりなほうの叔父だが、朝、雨が降ると行かないそうである。昼前に私たちがのぼったときは雨はやんでいたのだが、叔父さんいない。
パパは山のぼるのしんどいから麓でお茶飲んで待ってるって言う。父と兄と私と息子とのぼる。

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昔、父たちは城山の麓の家に住んでいた。終戦の直前の7月の空襲で家を焼かれて、そのとき、お城山に逃げて一夜をあかした。町のあちこちから火があがるのが城山の上から見えて、不謹慎だが、それが本当にきれいだった。「こんな火事を見ることはもうないから、よく見とこう」とすぐ下の弟に言ったそうである。

終戦後、父は13歳くらいから左官の見習いになった。仕事でずっと、お城の屋根を直したり、壁を塗ったりしてきた。昭和35年の大補修工事のときも、その後の補修工事もずっとやってきた。無口なほうの叔父が42年に左官になってからは、一緒に仕事してきた。天守閣に登ると、「屋根をなおすときは、こっから外に出る」と、父はひょいと柱を外してみせる。模型を見ながら、ここの壁から塗り始めて、ここまで塗った、とか、説明...してくれる。それを聞くのは、私ははじめてではないのだが。

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ぼくのじいちゃんと大叔父さんが壁を塗ったお城だ、と息子は自慢に思ったらしい。しかし天守閣の階段が急で、途中で足がすくんで、半分しか登れなかった。

お城山を降りてゆく。空襲の夜に、予科練の兵隊たちと一緒に一晩を明かしたのはこのあたりだったという、そのあたりで、じいちゃんと孫と一緒に写真とる。写真撮るよって声かけてんのに、じいちゃん、何かに気をとられてよそ見してるし。

じゃこ天買って(スポンサーはおしゃべりなほうの叔父)、無口なほうの叔父が冷凍しといてくれた魚をひとかかえもらって、しまなみ海道通って、広島に戻った。

4泊5日、一生懸命遊びました。おしまい。