帰省 ④ 学校と闘牛場

14日。朝、バスで父の家へ。狭くて古くて、たぶんもう築70年くらいだが、人が住んでいいような家ではとっくになくなっているが、住んでるねえ。きれいに片付いているし、古い家具を処分したらしく、こざっぱりしている。
問題はトイレである。息子は怖くて使えないし(だから父の家に泊まれなくてホテルに泊まらざるをえないのだ)、私も、できるなら使いたくない。ぽっとんにもいろいろあるが、私も実家にいた頃はずっとぽっとんだったし、いまの家でも2年前までぽっとんだったが、ここよりはずっとましだった。踏板がきしむのがおそろしくてしょうがない。またよく見えるし。ほんとにおそろしいながめだよ。

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父にしても、ここがいいというわけではもちろんないのだろうが、引っ越しをすすめられても応じない、家賃安いし、気楽なのは気楽なのだろう。隣のむかし牛舎だった小屋を物置に使ったり、空き地にアロエの花壇つくったり、山から落ちてきた自然薯の種を植えて、育てたりしている。

父の家に去年出版した私の本「パアララン・パンタオ物語」がまだ何冊かある。それで図書館と母校に寄贈しようと思いついた。図書館は前日行った。あとは学校。お盆だから開いてないかなと思いつつ、父の自転車借りて、母校をまわった。
自転車久しぶり。十年ぶり以上ぐらいに久しぶり。久しぶりすぎて、足が震えたけど、風が気持ちいい。最初、中学校に行ったら、閉まっていた。すっかり新しい校舎になっていた。
高校では、応接室で教頭先生とお話した。応接室に飾ってある大きな茶色の絵に覚えがある。ちっともすてきと思わない絵だが、また出会ってしまったか、という感じがする。
小学校は先生はいなかったが、バスケットボールの指導員の人がいて、教員に連絡してくれて、電話でお話して、指導員の人に預かってもらう。
1時間ほどでまわり終えた。卒業後はじめて足を踏み入れたが、なんかもう恥ずかしいね。

6歳から18歳まで住んでいた家のあたりを通る。家々はすっかり変わっている。隣がお寺だったのだが、荒れ果てている様子だ。もう人は住んでいないのだろう。その横のどぶ川の匂いが、なつかしいというか、相変わらずだった。臭い。

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それから息子と闘牛に行く。途中で弁当買って、闘牛場で半分こ。この数年、毎年見に来ているなあ。闘牛おもしろい。しっぽに赤と白のリボンを結んでいるのが、ほんとかわいい。





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700キロ~1トンもある牛が角突き合わせて闘って、さきに尻尾を見せて逃げたほうが負け。おだやかである。
最後の一番が、中量級のチャンピオン戦で、「二升五合」は去年のお盆場所でチャンピオンになったのを覚えてる。顔だけが白毛の牛だ。すでに何回目かの防衛戦らしい。最初押され気味で、だめかなと思ったが、決して後ろを見せずに粘って、角突き合わせて傷ついたのだろう、白い顔に血が散っているが、とうとう勝った。すばらしいよ。
閉幕後、チャンピオンと一緒に記念撮影ができる。息子、記念撮影した。さらにまた、何度も牛にさわりにゆく。何度も写真撮ってやる。

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観光案内のボランティアしている下の叔父もこの日、闘牛場にいた。ゴミの収集をしていた。天赦園でおじさんが教えてくれた四角い竹を見たよ、と息子が報告する。池の熱狂的鯉の話もする。すると叔父が、あそこの鯉は指でひっかけて釣れる、アライにして食えばええ、などと言う。ちょっと本気にしたくなるね。
闘牛場で、売れ残りの弁当が半額になったので、買って、息子と半分こ。道ばたで食べる。

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闘牛場からの坂道をゆるゆると歩いて降りる。お城山が見え、町が一望できる。坂道を降りたあたりが、私の母の里なのだが、いつからか疎遠で、小学校の頃以来、行ったことがないので、家も道も変わってしまって、もうわからない。どこかに、私の母に似た顔の従姉がいると思うのだが。名前ももう覚えていない。
兄が仕事を抜け出して迎えに来てくれて、海まで運んでくれる。