パアララン・パンタオ 2012年8月 ⑤

8月8日(水)
パヤタス校にもエラプ校にも、台風の被害はないが、エラプの隣のカシグラハンは、水没した。テリーさんの家もある。パアラランの子どもたちの家もあるようだ。避難センターに行っているだろう、とレティ先生。生徒たち数世帯の家族が、エラプ校に避難している。

朝、水が出ない。汚れた水しか出ないから止めたらしい。
こういうことはよくあって、大きなポリバケツにも、小さなバケツにも、いろんなところに水をためているので、さしあたって困らない。

朝すこし雨がおさまっている。台風はもう過ぎてしまって、モンスーンの雨が降っているだけらしい。クラスもないし、高さんと外出することにする。
マニラの中心地あたりは、水没しているところも多いし、出ていって無事に帰れるかわかんないし、ケソン市内で、フィリピン大学あたりを散歩して帰ろう。
それなら大丈夫だ、とレティ先生も了解する。
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さて、学校を出て、ジプニーに乗る。乗り合いジープ。何年ぶりにジプニーに乗れてうれしい。私はこの乗り物は大好き。
コモンウェルスのマーケットで降りて、うろうろ歩き回ってお買い物。頭にヴェールをかぶった女の人たちが目につく。イスラムの人たち。ミンダナオのほうから来たのかな。

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ジプニー乗り継いで、たぶん十数年ぶりだけど、フィリピン大学の留学生寮に行ってみる。着く頃、また大雨。行けるかどうか不安だったけど、建物もあたりの景色もなんにも変わっていない。迷わず行けた。
約束もなんにもしていなかったけれど、月曜日にパヤタスに来てくれた女の子に会える。
受付で、親御さん?と聞かれて、ちょっとめまい。そうかあ。それくらいの年齢差だ、たしかに。
はじめてここに来た頃は、学生たちとは、まだ兄弟姉妹くらいの年齢差だったが、あれから18年過ぎたのだ。

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陽子ちゃんはこれからも通ってくれるというので、さしあたって、授業があるときの学校と先生たち子どもたちの写真を撮ってくれるようにお願いする。ニュースレターに使わせてね。

パアラランを訪れてくれる人たちは、何ができるできないは、さしあたって考えなくていいので、若い人たちはとりわけ、先生や子どもたちや地域の人たちと、楽しい時間を過ごしてくれるといいと思う。国際貢献とかボランティアとかいっても、一緒にいて楽しい、ということが、ほとんどすべてだと思う。
もちろん、お金は必要、知識も大事、でも、喜び、がなかったら、一緒に喜ぶ、ということがなかったら、子どもたちを育てられないし、活動も続けてゆけない。
レティ先生は、そのことをとてもよく知っている、と思う。

外はまたざあざあ降り。ジプニーを乗り継いで、リテックスの市場まで戻る。ここを歩くのも久しぶり。以前は、パロット売りがどこにでもいたんだけど、いない。店につんであるのは、ただの卵で、パロットじゃない。もうここで行商しなくなったのか、台風だからいないのか、わかんないけど、とにかくパロット見つけられず、残念。
年に一度、ここに来たときしか食べられないのになあ。孵化寸前のあひるの卵。
ランブータンという果物買って、そこからはトライシクルで帰った。

トライシクルを降りて、ちょっとマジョリーの顔見て帰ろう、と思って、店のほうへ行くと、そこにいたお婆さんと子どもたちが、私を見て、あっちだ、あっちだ、と指さす。どうやら道を間違えたと思われたらしい。パアラランは、もうひとつで向こうの通りで、ここじゃないと教えてくれているのだ。
いえいえ、ここでいいんです。
マジョリーは雨の水で洗濯中。みんなによろしくって。

最近は、滞在中、ひとりでは学校の門の外に出してもらえなくなっていて、ゴミ山のほうも全然行けないのだが、出たついで、少し坂を下って、ゴミ山のほうへ。ゴミ山、グーグルの地図で見ると、フィリピン大学の構内と同じくらいの広さがある。とても広くて、とても高い。
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パヤタス校にもどると、エラプからロレインが来ている。グレースとふたり、パヤタスカードをつくっている。スポンサーさんたちへのお礼というか、領収書代わりの、手作りのカードなんだけど、私が持って帰りたいのだが、残りがなかったらしい。ふたりとも作業の途中で、ケータイで遊んでは、レティ先生に叱られている。
でもとても明日の朝までに、間に合いそうもないので、カードのフォーマットを私のメール宛に送ってもらうことにする。メッセージカードもサンプルをもらって、あとは子どもたちの絵だけ、あるだけもらって帰って、日本で私が作業しよう。
それで、準備をしたが、そこにジェイン先生が、家で内職してつくっていたの、80枚ほどもってきてくれる。これだけあればしばらく大丈夫。

テレビニュースはずっと、台風のあちこちの被害の様子と避難センターの様子を映している。
ロレインとグレースが、「明日のフライトはないよ。来週まで飛行機は飛ばないよ」としきりに私をからかう。以前、本当に台風で帰れなくなったときがあったから、大丈夫と思っても、多少不安になる。
グレースのパソコンから、一応パパにメールをしとこうかと試みるが、ふだん顔つきあわせている人のメールアドレスなんて控えてないし、覚えてない。メールできないので、パパを知っている友人にメールして、電話を入れてもらうことにした。

帰国の翌日に講演があるらしい高さんは、電話は通じないし、ようやくメールでやりとりしていたけれど、ずいぶん心配だったんじゃないかしら。

夜になっても雨音静かだし、飛行機は大丈夫、と思って寝たら、そのあとがまた、すごい雨音と雷の音。雨音の激しいのもようやく慣れてうつらうつらしたのが、光で目がさめた。一瞬後、雷のものすごい音。それから立て続けの雷。ずいぶん近い。50回ぐらいまでは数えたけど、もうそのあと、疲れて数字を追えない。1時間ぐらいは続いたんじゃないだろうか。

素直に言いますが、私は台風も雷もこわかったです。
9日早朝、眠れなくて起きたら、レティ先生も起きていて、パンシットつくってくれていた。
グレースがパソコンで、フライトを調べてくれる。キャンセルになっていない。6時に、ジュリアンが来てくれた頃、ようやく雨音がしずかになった。

レティ先生、お願いしておいた書類がまだ書けてないといって、机に向かう。できあがった書類をもらって車に乗り込んだ。前夜ここに泊まったロレインが、「またあとでね」って言う。いやいや、今回は飛べるよ、引き返して来たりしない。