星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

防災無線

早朝、大雨。確認すると大雨警報出てるので、学校休み。
さあもう一度寝よう。

寝ていたら、町内会の都合で、うちの廊下に設置している防災無線が喋る。大雨警報が出ています。土砂崩れに注意してください。

わかりました。それでまた寝る。しばらくすると、また防災無線が喋る。大雨警報が出ています。……

防災無線、こないだ、市の係の人が、交換用の電池ふたつもってやってきた。とんでもなくあつい日に、電池ふたつだけもって、若いお兄さんが。

あ、雨漏り。

と気になって起き出したが、雨漏りしてない。激しい雨なのに。
こないだ雨漏りして、今日はしてない。同じ激しい雨なのに、何が違うのか。
風だ。

ということは、屋根に穴があいているのではないんだな。横から風と一緒に吹き込んできたのが、溜まって、落ちてきたわけだ。

学校休みの息子が、ちょくちょくテレビをのぞいては、新幹線はどこが止まっていて、どこで土砂崩れがあって、っていちいち報告してくれる。

そのうち、雨は穏やかになって、夕日に輝く雲がきれいだ。
警報解除。



こないだ読んだ本を、またぱらぱらとめくっていたら、目にとまった。
『四つの小さなパン切れ』(マグダ・オランデール=ラフォン)
ナチス強制収容所を生きのびた人の本。

「どうしてわたしたちは人類の忘れ物になったのか? 虐待する人を除いて、だれもわたしたちに関心を持たなくなったのは、いったいどうしてなのか?」

「目に希望の宿っている人もいた。そのまなざしのおかげで、わたしは立っていることができた。」

それで、いくつかのまなざしのことを思い出したりした。

そのまなざしに出会うと、自分がまだ人間であることを思い出す、というようなまなざしのこと。

私がどんなになっていても、変わらないまなざしがあったということ。

そのことに全力でお礼が言えたらいいんだけれど。
何人かの人には、もう死なれてしまってまにあわないし、生きている人にはきっと恥ずかしくて言えないから、きっとまた間に合わなくなると思うんだけど。

とすると、まなざしには責任がある。心には。
希望を手放さない、ということについて。