星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

ボードレールのランプ

中学校の図書室はなつかしい。私は図書委員で土曜日の当番だった。放課後30分ほど図書室を開けて貸出しと返却の受け付けをすればいいだけだったが、夕方まで開けていた。というか、ひとりでその部屋に引きこもって過ごしていた。
やがて、それを嗅ぎつけた何人かが、昼ごはんのあと学校に戻ってきて、思い思いに過ごすようになった。少女漫画がもちこまれることもあったし、LaLaとか花とゆめとか少女コミックとか、誰かがもってきてくれるそれらの本を借りて読むのが、私は楽しみだったし、男子たちが経済の話を議論しているのを、ちんぷんかんぷんで聞いていたこともあったし、歴史小説にはまっていた女の子が、司馬遼太郎とか黒岩重吾の本の話を一冊語りおろしてくれるのを、ずっと聞いていて夕方になったこともあった。
私はそこで、赤毛のアンのシリーズを全部読み、トーマス・マンを読んでさっぱりわからず、キャパの「ちょっとピンぼけ」を、どんな本とも知らず、おどけたタイトルにひかれて読み、やはりタイトルにひかれて、ボードレールの「悪の華」を手にして、あれは、魔法にかかった感じがした。それまで知らなかった呪詛の言葉を聞き、ランプや船や王冠や世界、知らなかった誘いの言葉を聞いた。

教科書の下に隠して読んでいたのを覚えているのは、見つかって叱られたからだけど、ランプ、そうよ、ランプに憧れたのは、ボードレールのせいだ。理科室のアルコールランプでさえ、本当は何かもっといいものかもしれない、不思議な力があるかもしれない、と思った。


「地図と版画に夢中な子どもにとって、宇宙はその果てしない想いと同じ大きさをしている。世界はランプの輝きの下で、なんと大きく見えるのだろう!思い出の中では、なんと世界は小さいのだろう!(以下略)」(「旅」)


図書室の土曜日の当番は、とても幸せだったんだけど、でも数か月で取り上げられた。ある日、もう係をしなくていいと言われた。もしかしたら私が勝手なことをしたからなのかもしれないが、土曜日の放課後は図書室を開けないことになった、らしかった。
土曜の午後の図書室にいた人たちは、クラスも違うから知らなかったけどみんな成績よかったんだ、高校はそのあたりで一番の進学校に行ってしまって、私だけが違う高校に行って、会うこともなくなった。一緒に世界地図を眺めたりした男子のひとりが東大から宇宙開発なんとかに就職したということは、何十年もあとに知った。東南アジアのほうに、人工衛星を売りに行くって言っていた。人は遠くまでゆくもんだ。あのころ四国のはしっこにいて、本州でさえ、そこへ渡ってゆけるとも思えないほどの「海外」だったのに。

大学の近くの古本屋で、金鶴泳の「あるこーるらんぷ」という本を見つけて買ったとき、ボードレールのランプを思い出したし、ずっと後に、フィリピンのゴミ山で、停電の夜夜を、ビール瓶のアルコールランプで過ごしたときも、ボードレールのランプを思い出した。

憂鬱、という漢字が書けるようになったのは、「悪の華」のあとに読んだ「巴里の憂鬱」のおかげ。「窓」という詩が好き。

「開け放たれた窓を外部から見る者は、閉ざされた窓を透かして見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。蝋燭の光に照らされた窓にもまして、奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、惑わし多いものはまたとあるまい。白日の下に人の見得るものは、常に硝子戸のあなたに起るものよりも興味に乏しい。この暗い、または輝いた孔虚(うつろ)のなかには、人生が生き、人生が夢み、人生が悩んでいる。(以下略)」(「窓」

それで肝心のボードレールがどんな人生を送った人か、ということは、私は河津さんのこの本を読むまで、その略歴も知りませんでした。