忘れ物と、くりさがりのあるひっ算

ここんとこ、連日子どもは学校に忘れ物。体操服とか宿題のプリントとか。取りに行くにも、歩いて取りに行ける距離でないから、連れていく。
土曜日は、教室閉まっている。職員室に行かねばならんが、これが恥ずかしい。ママいっしょに来てって、いやです。
たまたま通りがかった先生が、一緒に職員室に行ってくれて、別の先生が一緒に教室まで行ってくれる。
日曜日は午前中参観日だった。午後、忘れてきた宿題を取りに行くと、教室には担任の先生もいた。なのに、恥ずかしくて入れなかったそうで、階段降りてくる。
ああ。
しょうがないので、一緒に教室まで行く。ドアの前でもじもじしてるのを、教室の戸をあけて放り込んでやった。

気持ちはわかる。
宿題取りに学校に行ったが、鍵のかかった校舎(教室は古い木造校舎のなかにあった)に入れず、途方にくれていたのは私だ。職員室に行って鍵をもらえばいいものを、行けず、たまたま窓が開いていたので、窓によじのぼって校舎に入ったが、今度は教室に入れず、廊下の下の通気口から床下にもぐってみたが、床がはがれて教室に入れるわけでもなく、あきらめて通気口から出て、窓から出て、とぼとぼ家に帰ったことがあった。小学校4年のとき。
床下にもぐって泥だらけになって帰ったから、どこで遊んでたのって叱られて、説明もできず、またとぼとぼと学校へ向かって歩いた。
職員室に行くよりしょうがないのだ、とは思ったから、職員室のぞくと誰もいない、こそこそとはいって鍵をとって、校舎の鍵と教室の鍵をあけてはいって、宿題もって外に出て、さて、職員室の前に行くと、先生たちの話し声がする。
入れないんだな、職員室に。玄関にあった先生の靴のなかに鍵放り込んで、帰りました。
あああ。



さて子ども、いつものように宿題はじめていつになってもおわらない。声をかけると、いま消しゴムが落ちて、とか、あ、ちょっと休憩してて、とか言い訳ばかり言うが、2時間かけて、算数のプリント1枚やった。

ところが、全部ちがう。答えが。3桁のくりさがりのある引き算の筆算全滅。くりさがりの計算したらしい形跡はあるのだ。でもよく見ると、数字に斜線を入れて1少ない数を書く、という行為と、くりさがりの考え方が一致してないのだ。つまり、くりさがりが必要か必要でないかに関わらず、数字には斜線を入れて1減らしているのであった。そいで「ぼくは学校でこう習った」と言うのであったよ。
あああああ。

筆算は、左からじゃなくて、右から計算するんだということは、ふたけたの計算のときに、さんざん言い聞かせたのに、3桁になると、なぜかまた左から計算したりしている。しかもしかも、引き算の途中で足し算にきりかわって、8-8=16とかで、くりさがりの計算にくりあがりが混ざる。
ああ。いいようのない複合汚染。

つまりこの子ども、2時間かけて、まったくでたらめの計算をしたのである。2時間かけて。テストなら0点だ。

なんかすごい。

昔、母が、弟に勉強させるのに、全然理解しないので、怒って泣いて、さしで叩いて、弟もわんわん泣いて、けたたましかった夕暮れの景色を、思い出すなあ。

やっかいなことにこの子ども、理解できるかできないか以前に、人の話をきかない、きけないっていうのがあるんだ。関心のないことって、上の空。
人が説明してる間にも、別のことを考えてるのがよくわかる。パパに叱りとばされて、ようやく、意識がこちらに向く。

もしかして、ぼくは算数わかってないのか、とようやく気がついたような顔をする。

ショックですこし泣く。よし、泣いてくれ。
さあて、ぜーんぶやりなおし。