星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

Rについて

「私がそれをしたのだった。それを思う私がそれをした私なのである。それなのに、彼女達は私に殺されたのだ、という思いが、どうしてこのようにヴェールを通してしか感じられないのだろうか」
「本当なのだ、生命とは尊いものなのだ。それなのに私の心はどうしてこうも無感動なのだろう」  『李珍宇全書簡集』朴寿南 編

 1958年8月に起こった小松川事件(女子高生殺人事件)の犯人は、当時18歳の在日朝鮮人、李珍宇(イ・チンウ 通名・金子鎮宇)であった。その数ヶ月前に起こって迷宮入りになっていた賄い婦(24歳)殺しも彼の仕業であったから、これは2度目の犯行である。
 少年は新聞社に電話をかけ、犯行を告げ、死体のありか(高校屋上のスチーム管の中)を教え、被害者の家にその遺品を送るなど、犯行から逮捕までの行動の異常性が、取り沙汰された事件だった。李は法廷陳述で次のように述べる。

「ええ、二、三日後でございます。いつもの通り通っていたんですが、そのことについて別に新聞やラジオで報道もなかったし、また捜索願いも出ていなかったんです。ぼくはそのまま、二、三日すごしていくうちに自分がやったかどうかおかしくなってきたんです。自分のあれでは夢ではなかったかと思ってきたんです。それならあそこへ行ってみればよかったんですが夢の中で行われたようで自分も穴には行きたくなかったんです。それで自分の考えをただすつもりで新聞社にかけたんです」

 この事件は、在日二世たちにとって衝撃的な事件だった。『李珍宇全書簡集』の編者、朴寿南(パクスナム)は、「小松川事件は、わたしにとって目も眩むような衝撃であった。逮捕された『極悪非道な殺人魔』が、得体の知れない怪物ではなく、もうひとりのわたしだったかも知れない、いわば、わたしの片割れだったからである」と語り、「ぼくもまた、もうひとりのRだ」と自らを名づけた帰化者、山村政明(梁正明ヤンジョンミョン)は、「もはや日本人でもない、朝鮮人でもない」「けれどもぼくは半日本人(パンチョッパリ)ともいうべき非条理な自己の存在を納得することはできない」という苦悩の遺書を残して、焼身自殺する。

 人生を変えた一冊の本は何かと問われたら、この本をあげないわけにいかない。たまさか古本屋で見つけて読んだのだ。殺人犯の書簡などとは思わず。18歳のおわりから19歳にかけての冬、母が死んだら私も死ぬはずだったのに、母が死んでも私は生きていて、その生きている自分をどうしても受け入れられなかったころ。
 存在は罪悪であるから、どうかして自分を殺さなければならないと思いつめて、でも死んでも自分の核にあるものはのこってしまいそうで、それではらちがあかず、殺したりないので死ぬ意味がなく、世界は遠くて、自分自身も自分から遠くて、感情というものがわからず、そうであれば、私の本性はたぶん冷酷で、人間と呼ぶには値しないもので、でも人間のふりをして笑っていて、それだけでもう人をあざむいている。母か私かなら、母のほうが人間らしく、母が生きることのほうが正しいのに、なぜ正しくない私が生きのびているかわからない。
 死んでしまえ、死んでしまえ、とたぶん日記は自分への呪詛の言葉で埋まっていたころに、読んだのがこの本で、ふるえながら読んだ。
 あとにもさきにも、あんなに切実な読書体験はない。

 この本を読まなかったら、人生はきっと違うものになっていたんだけど、読んでしまった、思い出すと、トラウマだな、きっと。自分で自分の首をしめようとしたときの息苦しさが戻ってくる。
 で、思い出したままだと苦しいので、書きます。ああ、ずっとずっと昔に、卒論でこの事件とりあげて書いて、すっきりと終わったつもりだったのに。

 この話は長くなります。