いちごストゥーパとよもぎのお茶漬け

一日じゅう雨。畑にゆかず。今日赤くなるいちごは、まるごと虫さんたちにさしあげる。
授業が午前中だけなので、息子がお昼すぎに帰ってくる。それじゃあ、算数終わらせたら、おやつにしようよ、という話だったのだが。 途中でどれだけぼんやりしたり、ミニカー並べたり、図鑑ながめてたりしてたのか、知りませんがっ。おやつは夕方5時半でした。

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息子作いちごストゥーパ(仏塔)。
いつもの炊飯器ケーキはよもぎ入り。

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このよもぎ(あく抜きしてペーストにしたもの)なかなか便利で、最近の私のお気に入りは、よもぎのペーストに塩すこしかけて、それを玄米ご飯にのせて、よもぎとすぎなとふきの3種混合茶をかけて、お茶漬けにしたやつ。お茶が緑に染まる。緑の液体のなかに玄米ごはんが浮かぶのが楽しい。草の匂いがすばらしい。


 
子どもの頃、小学生の3年生か4年生くらいの頃かな、私は大人になるのは無理だと思っていた。 なんでかって、母親はあれこれ家事をこなしたり、まわりの人づきあいとか、家族のだれかれの問題とか、お金の心配とか、難しそうなことをたくさん抱えているわけで、でも、そんなの、とても私にできると思えないし。めんどくさそうでいやだし。
「そんなことじゃ世の中生きていけん」と大人に言われるとき、世の中ってどこにあるのかどんなものか、見当もつかず、ただただ漠然と恐ろしく思える。でも反抗心だけはあって、じゃああたしは、世の中なんかで生きてやらない、と思う。
でも、世の中で生きていけないあたしは、どこでどうやって生きていくか、生きていけるのか。
子どもなりに、考えたのだ。
犬が、水たまりの水を飲んでいた。もし、水道代が払えなくて水がないときは、どうするか、と思って、私も水たまりの水をすくって飲んでみた。ざらっとした泥が喉になだれ込んできた。そのまずさは衝撃で、2度とやってみようと思わなかった。(そんなことしてるからピロリ菌を飼うことになったと思う)
泥水を飲めなかったのに、泥を食べることができればいいのに、とはずっと思っていた。それなら、世の中というところで生きて行けなくても、私は地面や山の泥を食べて生きていけるのに。どうして人間は泥を食べて生きられないんだろう、と残念だった。
学校の行き帰りに、道ばたの草を片っ端からちぎってかじってみたりした。イタドリやスイスイグサみたいにそのまま食べたりかじったりできる草が、もっとほかにないものかしら。いろいろ齧ったが、まずい。とりわけ、茎を折ると白い液の出るような草の、あの白い液の苦いこと。
あんまり苦い草ばかりだったので、草を食べるのはあきらめたが、道端の草や垣根の葉っぱをちぎりながら歩く癖は、そのまま、高校を卒業するまでつづいて、気づくと、指はいつも緑色だった。

  犬のように空き地の水溜まりの水を飲んでみたざらざらの泥みず
  泥の道を裸足で歩く生きられるだろうか野良犬みたいにわたしも
  道ばたの草食べてみる にがい草・にがい草・にがい草ばかりだ
                  (野樹かずみ)
って、短歌を以前書いたけど。

そんなわけで、いま啜っているよもぎのお茶漬けを、私は10歳の頃の自分に食べさせてやりたい。大丈夫、世の中で生きていけんでも、なんとか生きてゆけるもんです。