ムンク人形と誕生日

フェルメールはあきらめた。平日の朝なのに、美術館前は長い行列。予約要るし、高いし。フェルメールは昔々、何かの展覧会で一点だけ、見たことがあって、その静謐さに引き込まれたんだったけど、その印象をはるかに思い出しながら、あきらめて、
しょうがないよね、と割り切って帰ったつもりが、戻ってきてから、むしょうに、行けばよかったな、無理すればなんとか行けたんじゃないかなとか、思って、今になって残念。

ムンク展も並んでいたけど、そこまで長い列でもなかったので、ムンク展見て帰る。
見れてよかったな。「叫び」は、いい。過激な絵かと思っていたけど、思いのほかに、つつましいたたずまいの、美しい絵だった。
お土産に買った。
「叫び」の空気人形。
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息子、気に入ってくれたみたいで、部屋に入ってすぐに目が合うところに飾っていた。「よう、おまえ、何してきたんだよう」と声をかけてくれる感じがするって。
そうかあ?


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あけて11月1日。息子の誕生日。ホットケーキミックスと炊飯器があれば、ケーキはできる。マヨネーズ入れたら、とってもふくらんでくれた。春にイチゴを、夏にブルーベリーを摘んで冷凍しといたのを出して、飾る、じゃなくて飾らせる。

五線譜と音符の模様のネクタイピンをプレゼント。

はやいよ。15歳だよ。

 

 

10年前のラブレター

 

先週末から、名古屋経由東京、4泊5日の旅。
羽をのばしてきたというか、もう若くないなあと思い知らされているというか、昨夜、帰ってきて、今日は体が動きません。

なつかしく、親しいみなさんにお会いできて、たいへんうれしかったです。

パアラランのことも、そのほかのことも、いろいろたくさん考えた。
課題もあるし、同じだけ希望もあると思います。

「人生は、他者への奉仕である」という言葉は、こっそりと座右の銘にしてるんですけども、
「人生の目的は、他者が生きること」と言ってくれた人もいて、それはまた新鮮に、響いた。

10年前に、かわいい大学生だった女の子に会いに行ったら、かわいい男の子を産んで、かわいいおかあさんになっていた。それで彼女が見せてくれたのが、よく持っていてくれたなと思うんだけど、私の息子が10年前に彼女に書いたお手紙、だった。
2008年夏、4歳のときだねえ、といま調べてわかったんだけど。
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「まさえちゃんへ

*******より

げんきにすごしていますか。
ぼくはやまぐちごうをみました。
ママのともだちにとくのうみるくふるーつをもらいました。」

と書いてある。私がお手紙書くときにいっしょに書いたのかな? 思い出せないんだけど。
まさえちゃんは、これから自分の息子にたくさんラブレターを書いてもらえると思うので、息子のは、私がもらってきた。このころからD51だったか……。

 

いつものカプセルに行ったら、2年ぶりなんだけど、2年前にも3年前にもいたおばさんがいて、おじさんもいて、ずいぶん長くここに住んでいるんだなあと思う。外国人もいて、受付のおじさんたちが英語のやりとりに汗かいていた。最近は学割もあるので若い子もよく見るようになった。

最後の朝に、共有スペースでお茶飲んでいたら、受付のおじいさんが、ずっとここに住んでいるらしいおばさんに、「**さん、私、今日で仕事終わりなんですよ」と声をかけていた。19年半ここで働いたらしい。もう84歳らしい。すると「昭和10年生まれなら、私の父と同じですよ」とおばさん言っていて、え?
ずっと年上の気がしていたけれど、10歳ほどもかわらないような、おねえさんだったかもしれません。

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浅草の夜のお散歩で。

 

天気雨

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5日ぐらい前に見た虹。その前にお天気雨で、光と雨が一緒に戯れているみたいなのが、楽しいなあと、傘さして散歩したんだった。

秋。お隣からたくさんの柿と栗をもらって、ようやく柿を食べ終えた頃、またたくさんの柿をもらった。毎日3個の消費がかれこれ一週間続いているが、まだまだなくならない。

栗のほうは、息子が嫌い、給食の栗ご飯は友だちにあげるほどなので、食べる人はひとり減る。どうしたもんかなあと思っているうちに、おじいちゃんやってきて、
お土産が、またたくさんの栗だった。私たちに、ではない。孫に、である。
息子が栗が食べられないのは、小さい頃におじいちゃんにアイスクリームのあとに甘栗食べさせられたときに吐いてしまったせいで、それだけでもないか、豆の類のぼそぼそしたやつは食感的に駄目みたいなんだけど、おじいちゃんは、孫が栗を食べないの知っているはずなのになあ、忘れているのか、忘れたいのか、これはなんの挑戦だろうなあ、
というわけで、ありがとうございますと受け取るしかない私の目の前には、たくさんの栗。一度は栗ご飯もつくった。皮むきしんどいし、息子は別メニューだし。

ゆでて置いといても、私もあんまり食べたいわけでもないのだった。それで思い立って作ってみた。茶巾しぼり。子どもの頃に、母につくってもらったことが一度くらいはあったような。記憶をはるかにさかのぼって、作ったらできたなあ。

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なんと。息子が一個食べた。一個だけど。ほっほう、私の勝ち、みたいな気分だわ。おいしかった。

これで一袋片付いた。あと2袋。

 

お話会のお知らせ

10月28日 日曜日。東京で、お話会をもちます。NPOハロハロさんの主催。
パアララン・パンタオの現在までの歩みについて、お話できればと思っています。
近くの方、お時間あればお出かけください。この機会にお会いできればうれしいです。

詳細・申し込みはこちらから。↓

https://www.npohalohalo.org/event/talkevent/

しかくかびん

参考書や問題集は学校で一括購入、配布される。ここんとこ相次いで高校過程のテキストが配られているのだが、息子はちょっとした受難続き。

名前を書いて学校においていた古文の参考書が紛失した。学校に予備はなく、市販で売っているものを入手してほしいと言われたという。個人管理でなくクラスでまとめて管理していたときに紛失しているので、釈然としないが、しょうがない。アマゾンで中古のを探した。配送料込でも定価以下で入手できたので、よしとする。

ここから本題。英語の分厚い文法の参考書を持って帰った息子、これ、ぼくは使えない、と言うのだった。ページに色が多すぎるし、ゴチック文字の太字が読みにくいし、さっぱり頭に入ってこない。文章の背景に色が入っているのも駄目だ。どのページもなかなかカラフルで、一見わかりやすく見える参考書なのだったが。

しかくかびん。視覚過敏だ。
聴覚過敏だけでなくて視覚過敏もあったか。
つまり、視覚過敏のせいで、色が見えすぎて、肝心な文字の情報が頭に入ってこない、という状態になってしまうのだ。

英語の参考書は、以前に息子が自分で選んだものがあるので、そちらのほうを使えばいいのだが、見比べると、息子が選んだやつは、見事なくらい色がない、白と黒だけのすっきりした印刷で、「色彩という余分な情報がないので、わかりやすい」と言う。
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使えない参考書(左)と読みやすい参考書(右)


いまのところ、ほかの教材は大丈夫みたい。

そういえば、ピアノ友だちのYくんが中学に入学した頃に、彼は学校に通えなくなっていたので、自宅学習のためにゼミの教材を取り寄せたんだけど、それがカラフルで使えない、3色以上あると内容が頭に入ってこないらしいと、お母さんが教材選びで困っていた。へええ、そういうこともあるのかと思ったけど、わが家の息子も同じだったか。

そういえば、私も、高校生のとき、ラインマーカーだらけの友だちの教科書を借りたときに、教科書の内容が理解できなくて困惑した記憶がある。自分ではせいぜい赤ペンで下線を引くぐらいで、ラインマーカーはこわくて使えなかったな。色ばかりが目に飛び込んできて、文字のほうが頭に入ってこない、というか、ラインマーカーをぬったところが、別の生きものになって、てんでに動きはじめる感じで、気持ち悪い感じになってくるので、ノートの整理の最小限にしか使えなかったラインマーカー。
ちょうどラインマーカーが急速に普及した頃。使いたいのに使えなかったので、憧れと嫌いとを半々に感じる文房具だわ。


息子は自分で、英語の先生に話をすると言っているけど、誤解があってもいけないので、私も手紙を書いた。

たぶんどの学校にも、息子みたいな子はいると思う。視覚過敏があっても自覚のない子は、テキストがわかりづらいのではなくて、自分の頭が悪いと思ってしまうかもしれない。
これからの教材選びの際に、気をつけてもらえるといいと思うんだけど、わかってもらえるだろうか。教材費、安くないし、使わないのは本人の責任だけど、使えないのは困るのだ。

 

 

なまけものたち

来月には15歳になるかという息子だが。
ここにきて唖然とするのは、生活習慣が身についていないことだ。いったい生まれたときから、毎日毎日、お風呂に入れたり、歯磨きさせたり、してきたのはなんのためでしょう。
たしかに、毎日お風呂に入ってはいた。でもまさか体を洗っていなかったとは、気づかなかった。いつから、と聞いたら、夏休み頃から。
きっかけは、フィリピンだった。パアラランの学校で、蟻の這うトイレで体を洗う、というのがいやで、水だけかぶって、ごまかした。気づいていたけど。
ごまかせる、とわかってしまった。別に洗わなくてもいいや、と思った。で、怠けた。

洗わなくてもいいだろう、1日か2日か3日なら。
3週間も洗わなかったら、臭い。
怠けてもいいが、怠けっぱなしはだめだと、気づかないのが、なんというか、ほんっとに頭が悪い。
「洗わなかったら臭くなると、言ってくれればよかったのに」って、言っても聞いてないと思うよ。本当に臭くなるまで、なんのことかわからないから、絶対に忘れる。

だいたい、ママが教育してないから、とすぐに言われるわけですけど(むかむか)、これは親の教育の不足ではなく、本人の問題、怠け心を制御できないという問題、ずっと体を洗わなかったら臭くなるという想像力が働かないという問題、でも今やっと、臭くなるということが事実としてわかったんだから、ここからは本人の自覚の問題。

夜の歯磨きもときどき怠けている。怠けていると感づいたときには、問答無用で、磨き直しをさせるんだが。顔を洗うのを怠けているときもある。洗ったかってきいたら、必ず「洗った」って言うんだけど。パパはわりとあっさりだまされるけど、私が疑うときはたいてい嘘だ。こちらが疑うのが面倒になると、ますます怠ける。

ほら、ごはんをたべて、お風呂にはいって、って、って、いちいちいちいち声をかけないと、頭の中はどっかに遊びに行ったまま、自分からはさっぱり動こうとしない。放っておいてすることと言ったら、時刻表を見ること、電車の動画を眺めること、氷をかじることとパンかカップヌードルを食べることぐらいだ。
宿題だけはしている、か。

またその文字が。
筆圧が弱いのは、小さい頃からそうだった。小学校に入った頃は2Bを使わせた。それでも最初の頃は、先生の指示にしたがって、丁寧な字を書いていた。それが乱れはじめたのは、2年生のとき。学級崩壊で、いじめもはじまったころで、緊張しながら学校に行っていたから、文字のことまで、うるさく言わなかったんだけど。
心が傷ついて、文字が乱れたとパパは思っているが、実は違う、と私は思っている。すこし雑な字を書いても、なんにも言われなかったので、どんどん楽なほうに、流れていって、そのうち雑な字しか書けなくなってしまった、のだと思う。
それで今、文字はどんどんうすく、小さくなって、先生たちよくこんな答案を読んでくれると思うけれど、文字はうすく小さいほうが、力もいらないし、早く書けるし、楽なので、楽なほうにしか流れてゆかない。

その怠けもの加減が、なんというか、もう、自分を見ているようで、この子どもは、ひとりで生活するということができるのだろうか、インディペンデント(独立)は可能だろうか。考えてしまうのだが、いや、私にしたって、家族がいなかったら、生活そのものを、怠けられるだけ怠けて、食べることさえ面倒で、ぎりぎりまで省略してしまうような人間なので、
なんかもう、鏡のような息子である。

「生活が大事」と息子に言いながら、15歳の私が、同じことを言われて、はいそうですねと納得したかと考えたら、してないだろうなと思うし。

あれこれ見かねたパパが、息子に長い説教をするが、右から左だろうなあ、と私は思う。でも、とても大切なことを言うこともある。

発達障害のいいところは、嘘をつかないところだ。世の中は信用、信頼で成り立っているから、嘘をつかなければ、なんとか世の中に居場所はある。だが、発達障害が嘘をついたら、居場所どころか、自分が壊れるぞ」

然り。他人の文脈に従って、自分の言葉かどうかもわからない言葉を言わなければならなくなったら、壊れていく。その罠に陥りやすいのは、自分の気持ちというものを、自分でうまく把握できないから、そして自分の文脈が、とても孤独だから。


きみの嘘は。
叱られるのが面倒くさいとか、そういうことなんだよな。怠けているのを叱られたくないとか、やりなおしを怠けたいとかでつく嘘で、なさけなくなるけど。
それでも、大事なことの記憶は、利害や私情を交えずに正確に表現できる公正さは、子どもながらにさすがで、感心する。


どれほど言い聞かせても、入っていかないということはある。あらかじめ想像して身を処すということが難しいし、失敗しないとわからないことが、たくさんある。なので、とにかくきみは、芯の強い人間に育つしかない、と思うよ。

 

 

風の吹く日に

6日、台風の風で電車が止まってしまった。改札に行くと、駅員さんが休止のお知らせをボードに書いているところだった。バス乗り場へ。バスと、止まっていない電車を乗り継いで、会場まで。息子たちのエレクトーンアンサンブルの発表会。
3歳の頃から一緒に鍵盤を叩いてきた子たちが、年に一度いまも集まって、演奏している。4人とも淡々としているけれど、幸せなことなんじゃないかな。
今年は、We are confidence manという曲らしい。

3日の夜はアマウラ・ビエイラ氏のピアノリサイタルを聴きに行った。息子と。学生2千円だったので、それなら連れていってやれるかと思って。非常に聞きやすくて、長時間聞いても疲れない音だねと言ったら、これは凄いよと息子は言っていたので、連れていったかいはあったかも。

ひとりだったら行かない。息子がいてくれるので経験できる、ということがたくさんある。すごいことだし、ありがたいことだなと思う。きみがいてくれるので面白い。

首のあたり黒くなっているのは、日に焼けたのかと思っていたら、なんか臭ってきて、問いただしたら、毎日風呂に入っているけど、体を洗うのは怠けていた、と判明。「ちゃんと洗剤で磨いてね」と言ったら、「洗剤?」と聞き返された。…石鹸。
で、風呂から出てきたら、首、白くなっていた。


すっかり秋。庭に出ると金木犀が匂う。ある朝、柿をたくさんもらい、夕方には栗をもらう。子どもの頃は、春も秋も永遠ぐらい長かったと思うけど、いまは一瞬で季節が過ぎる感じ。
畑がまた夏の間に荒地と化しているので、晴れた日は草ひき。町内会の大掃除も近いし、庭もジャングルになってるし、怠けずに働かなければ。